2023.06.11
INSTYLE GROUP
MISSION ・VISION ・ VALUE
2023.06.11
INSTYLE GROUP
MISSION ・VISION ・ VALUE
1.
五月初旬に、軽井沢で数日を過ごしていた時のこと。
軽井沢駅前に前回来た時にはなかった、新しい店舗がオープンしていたので立ち寄った。
「このジャケットを買うな」
の広告で有名な企業である、パタゴニアの新店舗だ。
前月に「ビジョンは必要なのか?」と公式にHP掲載しておきながら、
グループのミッションやビジョンについて考えていたことも手伝ってか、
「社員をサーフィンに行かせよう」と「レスポンシブル・カンパニー」の
2冊が飾られているのが目に入った。
店舗に入ったものの、
特段買いたいものが見つからなかったことも手伝い、
僕はその2冊を自分への土産にとばかりに、レジに持って行った。
すると、カウンター向こうの彼は、僕に合計金額を伝えた後、
軽井沢店限定のステッカーと、パタゴニアの公式ガイドブックを添えて、
申し訳なさそうにではなく
(悪いことだと言いたいわけではない。彼がそうなってもおかしくないような行動だということだ)
むしろ誇らしげに、
「あ、ウチはゴミ削減と環境保護の観点から、ショッパーないんで、どうぞ!」
そう言って、前述の4点(本2冊、ステッカー、ガイドブック)を、
そのまま裸で僕に差し出した。
「はーい」
努めて、わかっていた、問題ない、という反応を取り繕いながら、
それでも我ながら歯切れの悪い返事と共に商品群を受け取り、
そのまま店を出て、駅からそこそこ離れたところに停めた車に向かう二十分の道すがら、
僕は気を抜くと手から滑り落ちそうになる、
公式ガイドブックとステッカーと本ニ冊を、
落とさないように握って歩くという小さなストレスへのため息と共に、
「あー、この会社、確かにこういう会社だったわー、、、」
と、軽めの愚痴を吐き出しながら、
同時にこれがビジョナリーカンパニーだよなあ、と思っていた。
もちろん、パタゴニアと同社の創業者、
イヴォン・シュイナードが地球環境の変化を憂いていることも、
売上の1%を寄付する団体を作ったりして、
自らもそうしていたりすることは知っていた。
けれど、この体験を通じて、改めて
「いいことを沢山していること」よりも、
「普通の企業が当たり前にしていることをやらないこと」
の方がビジョンを体現できるな、と改めて思った。
(だいたい、ガイドブックとステッカーを合計した方が、
ショッパーよりよほど使用する紙の量は多いはずなのだ)
このことは少しのストレスと共に、僕の中に深く刻まれ、
何とかしてこういった、
「普通の企業が当たり前にしていることをやらないこと」
を通じて、自分達らしさを体現できないか?
なんだったらお客さんが少し困った顔をしながら、
「ああ、こいつらこういう会社だったもんな、やれやれ」
と思ってくれるようなものを探したい。
有り体に言って、ビジョンと、
それを自分達らしく表現出来るものを作ろう、
と改めて思えた瞬間だった。
僕は元々、
「本音と建前」みたいなものが嫌で、自分の会社にはビジョンが無かった。
「オワコン」になんてなりたくなかったから、
終わるくらいなら、流行りたくも始まりたくもなかった。
「ビジョナリー・カンパニー」に掲載されている企業が、
その後必ずしも繁栄していないことも知っていた。
でも、人も会社も、いつかは死ぬから、
ゴーイング・コンサーンとミッション・コンプリートのバランスの中で、
やっぱり自分で終わりを決めようと思った。
大抵の場合、個人は死に方が選べないが、法人は死に方が選べる。
ゴーイング・コンサーンと言う名の不老不死を目指すタイプではないから、
ミッション・コンプリートで清々しく死のう。
それが、ビジョンを制定しようと思った、もう一つの側面だった。
思えば、ミッション、ビジョン、バリューの順だとして
(世の中にはビジョン・ミッション・バリュー派と、ミッション・ビジョン・バリュー派が居る。
こういうところも、ビジョンやらが嫌いだったところの一つ)
僕は割と「ハウスルール」や日々のメッセージ等で、一番下のレイヤーである、
「バリュー(日々どう行動するのか、といった行動規範のようなもの)」は、
折に触れて共有してきたつもりだ。
けれど、
「タスク労働」的に、「これさえ達成出来れば、何やったっていいんだよ」
とみんなに言ってやれるようにと、
時間や場所から自由な働き方を提案すればするほど、
「これさえ」という、ある意味で「タスク」に相当する部分、
「ビジョン」が要るなと思い始めた。
つまり、
「◯ ◯ ◯ ◯ってビジョン実現のためだったら、何をしたっていいよ」
と言えるものが要るな、と思った自分に気づいてしまったのだ。
そこからは改めて本を読んだ。
元々、ビジョンを制定しよう、策定しようと27年間の起業家・企業家人生の中で、
一度も思わなかったわけじゃあ、もちろんないから、
100や200のビジョンに関する本は読んでいたけど、もう一度数十冊を読み直し、
その中から
・世界のエリートはなぜ美意識を鍛えるのか
・仕事ができるということ
・ビジョンとともに働くということ
の3冊を選び抜き、
「僕の考えていること、これからのこの会社・グループが向かうところがわかりやすくなる本」
として社員への読書リストの序盤に割り込ませた。
それが5月の終わりのことで、
八月の新オフィスへの引越しを通じて、
グループが再編されようとしている過渡期において、
変革の最終フェーズを迎えている時のことだった。
2.
三冊の中にも何度か、色々な表現で登場するが、
(というか山口さんの本には結構登場する)
「役に立つ」と「意味がある」の2軸による話がある。
例えば車でいうと、
役には立つが意味のないものにトヨタや日産、
役に立つし意味のあるものにBMWやベンツが、
役に立たないが意味があるものにフェラーリやランボルギーニが並んだ、
以下のようなマトリックスが描かれている。
トヨタや日産は人や物を運ぶ、というスペック、問題解決、という
「役に立つ」市場で戦い、100〜300万円が主な価格帯となる。
ベンツやBMWは役に立つし、意味も少しある、という市場で戦うため、
(乗せられる人数や物の多さという役立ち方に大した差はないが、
ブランド価値、ストーリーが少しある)500~1000万円が主な価格帯となる。
フェラーリやランボルギーニは、役には立たないが、意味はある市場で戦うため、
(乗せられる人は多くの場合1〜2人で、数百馬力と時速数百キロは、何の役にも立ちそうにない)
4000万円~1億円程度が主な価格帯になる。
つまり、「(役に立たないが)意味のあるもの」の方が高いのだ。
これに会社や人を当てはめていくと、面白いものが見えてくる。
会社とは「利益を追求する社会的団体」と書かれている辞書もあるくらいなので、
グループトップとして、投資家として、コンサルタントとして、
どんな視点から見たとしても、役に立つ会社とは利益の出ている会社であろう。
だがどう考えても、
役に立たない(赤字の)会社がこのグループには存在する。
しかし、ある会社や人は粛々と整理され、
他方でまるで会計がわかっていないかのような資金投入をされる会社や、
真実が見えていないのでは?と思うように時間を投資される人間がいる。
ここを説明するのにも、やはり「意味」が「役に立つ」。
毎年の花火、X GAMES、AIR RACE、、、
赤字企業・事業(花火や社員旅行は事業ですらないが)は枚挙に暇が無い。
しかし、みな著しく「僕っぽい」と思ってもらえるはずだ。
恐ろしく「意味がある」からだ。
それがこのグループの「ストーリー」で「コピーできない競争力」で、
「意味を持っている」ことを、多かれ少なかれ、みんなが知ってくれているはずで、
逆に、これを理解できないと、グループの、僕の価値観への理解が進まないので、
グループでの仕事を難しくさせてしまうと思う要素の一つだ。
(元々、本を改めて読む前から「好き嫌いと独断と偏見」という言い方で、
僕なりの価値観や美意識、投資・人事評価は伝えてはいるが)
だから、左下の役立たないし(赤字で)意味もない、会社は粛々と整理されていくから、
この例ではマトリックスの上を目指すか右を目指すかをするしかない。
どちらもできなければ、それは当然に、整理対象になるからだ。
一方で、右下の最たる例が花火や旅行、X GAMES、AIR RACE、そしてBED j.w. FORDだ。
パリファッションウィーク、
通称パリコレクションで初参加にしてオンスケジュール(公式参加)を勝ち取った彼らは、
BIRTHLYという法人として、今すぐ売上と利益という観点でグループの「役に立つ」ことは難しい。
パリでショーを行うのに、数千万円の経費がかかるからだ。
では、パリでショーを行わずに、日本で何となく「今イケてるブランド」として、
大きな赤字も出さないが、BIRTHLYのみんなが一応食えてるからいいか。
という、(実際はそんなことはないけれど、あえてわかりやすい表現をするが)
可もなく不可もなく、毒にも薬にもならない、そんな会社でいたらいいのだろうか?
それこそ、そこに何の意味があるのだろう?
きっと無い。
だからこそ彼らには、
「君らはマトリックスの上、(役に立つ・利益が出る)を目指すべきではない」
と伝えている。
「その代わり、このグループで一番右(意味がある)に居てくれ」
と言っている。
その問いに対する、彼らと世界の答えの、初めの一つが、
今回のパリコレクション オンスケジュールだと思う。
この答えを、僕は心から応援しているし、みんなにも祈っていてほしいと思っている。
仲間の成功を。
僕たちが祈らなくても、彼らは成功する。
それでも、祈っていてほしい。
見えないところで、遠いどこかで、自分を知っている誰かが、心から成功を祈っていること、
それはきっと、彼らの力になるから。
そこに僕達が一緒にいる、意味があるから。
3.
一緒にいる、といえば、他社がコピー不可能な「ストーリー」として、
先日のX GAMESと集合写真がある。
みんなに同じ格好をさせたり、同じ方向を向かせたり、そもそも写真嫌いの僕にとって、
「集合写真」は、好き嫌いで言うと「嫌い」の要素の多い、苦手に分類される物の一つだ。
(みんなで同じことをできて、同じ格好で同じ場所に集まれて嬉しかったという声が多くてありがたくはあるが、基本的には心配になることの方が多い)
そんな僕がユニフォームのようなもの(記念グッズに近いんだが)を作って、
集合写真を撮った理由も、後述する「グループであること」を体現したかったのと
全員との時間を共有したことを形にして残しておきたかっただけでしかない。
ご存知の通り、INSTYLE GROUPは特殊なグループだ。
そもそもホールディングスカンパニーのように、子会社、親会社の関係ではないし、
大抵の会社の株式を僕は持っていない。
銀行員に「資本関係がない以上、INSTYLE GROUPの定義ってなんなんですか?」と聞かれて、
「信頼関係と仲良しです」と答えて苦笑いされるのはこの会社の常だ。
各社社長の自主独立を重んじ、自由裁量によって運営されているせいか、
アメリカ合衆国のそれぞれの州のように、それぞれの会社は事業内容や企業風土がかなり違う。
そのため、M&Aした会社の社員から、
「グループと言われても、あまりその実感はない」と言われたこともある。
しかしそれでも根底にはある程度醸成され、共有された、文化があると思っている。
その文化はハウスルールや日々のコミュニケーションを通じて醸成されてきたものだが、
もう一段上にビジョンを掲げることで、ある程度の理解がなされるのではないかと思っている。
「私たちは違う船でやってきた。しかし、いまは同じ船に乗っている。」
とキング牧師ことマーティン・ルーサー・キング・Jrは言ったが、
今はこの言葉に、歴史の浅い、移民国家の、でも開拓精神にあふれたアメリカ合衆国に準えて、
(アメリカのダメなところを言うところじゃないので、こう書いているが、僕はアメリカ万歳な人間ではない)グループに向けての思いに近いものを感じている。
一方で、「寄せ集め」なことが否めない側面も、このグループにはある。
僕がよく「原初の衝動」と呼ぶ、「目的、レゾンデートル」をなくした会社があるからだ。
創業者が離れ、原初の衝動、目的を忘れたり、なくしたりした会社は、
当然にビジョンを持たない。
そのため、バリューが最上位の価値観となり、
ここに「延命のみが目的」となった法人が誕生してしまう。
起業・企業投資の世界では、成長も倒産もせず、「ただ生きているだけ」の企業を表す、
リビングデッド(生ける屍)なる言葉がある。
極論、赤字でもないが、大した黒字でもない、上場やバイアウトをできるわけでもない、
ただ延命しているだけ、のような会社は、
世に多くあるし、前述のように、残念ながらグループにも何社かはある。
そもそも「インスタイル株式会社」自体がおそらくそうだったのだと思う。
創業者は僕ではないし、社長ですらない(たしか、取締役だったはずだ)、
株式も持たないところからスタートした。
2008年の春、X JAPAN復活プロジェクトを終わらせた僕は、
次に小室哲哉の復活プロジェクトを担うために彼の3つの個人会社の共同代表に就任し、
その後、九段下にあるファンドが出資する会社(インスタイル)に小室哲哉を所属させ、
彼の抱えた問題を片付けるはずだった。
インスタイルグループ各社の取引銀行が、だいたい神保町支店なのは、そういう理屈だ。
(インスタイル株式会社は最初、九段下の千代田会館にあった)
しかし、
「ヒデが社長でも100%株主でもない会社にアーティスト小室哲哉を預けたくないな」
と本人に言われ、
慌ててファンドから株式を買い取り、他の役員を解任し、僕が社長に就任した。
確か3日くらいで取締役から社長になった。
だから、実はインスタイル、という会社名自体、僕が付けているわけではない。
「ヒデちゃん、そういうとこにはこだわりのねえ人間だとは思ってたけど、そこもかよ」
と友人にはよく笑われる。
ちなみに問題解決(ファンドからの資金注入)がちょっと間に合わず、彼は逮捕され、
僕はお茶の間デビューを果たす。
確か11月4日のことだったので、数日前に28歳になったばかりの僕が先頭を歩いている。
「TK、お前は悪くないと思ってるんだろ?(ちょっとは悪いんだけどw)じゃあ胸張って歩けよ、
全国のファンのためにもさ。できる限り俺がお前の前を歩いて、盾になってやるからさ」
と当時28歳にケツを叩かれ、頑張って堂々と?歩く当時49歳。やれやれ。
https://www.youtube.com/watch?v=ctp7TVh1M14
そこからまあ紆余曲折あって、今に至るわけだが、
その時、ついてきてくれたのが大石さん。
元々、小室哲哉の会社の、経理や秘書や幾つかの会社の社長まで任されていたことで、
僕の部下になった彼女が、インスタイルの第一号社員になった。
前述のように雇われ役員、雇われ社長だったから、
一応ファンドのオーナーにも確認したところ、「前職のような高給は出せません」と言われ、
彼女の初任給はほぼ半減の30万円でオファーしなくちゃならなかった。
嫌だったけど、こちとら20億の借金を連帯保証して、絶賛返済中の身なので、
「僕の分はいいから、彼女の待遇を良くしてくれ」などと、いくら言ったって意味がない。
毎月数千万、よくわからないところへよくわからない返済で口座から金が消えるのだ。
同じ金額でオファーしたいなんて、ただの僕のカッコつけでしかない。
正直に状況を伝えてお願いした。
その時の返事が、
「私は西村さんについて行くって決めたので」
という言葉と泣き笑いだったから、
僕は彼女の給与を死んでも前以上にしようと誓ったし、
苦労かけた以上に幸せにしようと決めた。
グループの初任給、最低給与額(グレード0)が30万円なのは、
この時のこの出来事によるもので、
彼女にオファーした以上の金額でオファーしたくなかったからだ。
今はさすがにやめたが、そんな理由で最初は、
どんなに優秀と言われる人にも30万円でオファーしていた。
逆を返せば、どんなに低い給与でも、上げようと思えば最終的には本人次第で上げられるし、
彼女のような人を30万円で採用できたんだから、という思いがあった。
そして、
いつそう思ったかは忘れたが、
そんなに遠い昔ではない気もするし、
もうずっと昔のような気もするある時に、
「経済的には多分、彼女のことを幸せにできたな、ちゃんと」
と思えた時、
今思えば僕の中でインスタイル株式会社を続ける理由は特段なくなっていた。
僕は彼女を幸せにするために会社を経営してきていたし、大きくしてきた。
だから曲がりなりにも、目的を一度果たしたことで、
「生きること・延命」のみが目的となってしまった会社が出来上がってしまっていた。
かくしてこの会社は、原初の衝動を無くし、リビングデッドになっていた。
「作家は処女作に向かって成熟する」と言う言葉があるが、
INSTYLE GROUPの処女作がインスタイル株式会社である以上、
グループに目的を無くした、原初の衝動を忘れた、生存のみを目的とした、
リビングデッドが蔓延っていても、それは仕方のないことなのかもしれない。
なんのことはない、このグループは、
インスタイル株式会社という、僕の書き上げた処女作に向かって、
成熟してしまっていただけなのだ。
4.
四十二にもなって、こうしてようやく自覚した病に、たしか付ける薬は無かったはずだが、
死ななきゃ治らんと言われるこの病と症状を治すために死ぬわけにもいくまいと気を取り直して、
とはいえどうせ変わるなら今日が一番若いわけだしと、無理やり己を鼓舞しながら、
自縛していた自縄をせっせとほどき始めると、なんとか解決の糸口が見えてくるような気がした。
「無いもんじゃなく、あるもん数えろ」
「無理やりでいいからポジティブに考えろ、ほっといたらネガティブになるから」
と日頃うそぶく人間がこれではいかんと、なんとかこの重ねた年月による恩恵を探すと、
積み重なったファミリー、メンバーとそのストーリーしか出てこないことを知る。
だが、まあ十分ではないか。
結局は処女作に向かって、別の方向で成熟するしかあるまいと気を取り直す。
彼女を幸せにしたいと思ったような原初の衝動は悪いものではあるまいし、
彼女のように、社員皆を幸せにできれば良いとは常日頃言っていたし、
その気持ちに未だ寸毫たりとも嘘はない。
人に投資をし、社長をつくり、その会社や社長に祈りや想いを込めて社名を贈ってきた。
株式は早晩、全部を社長に譲渡してしまってきたから、
たいてい僕の手元にはグループ各社の株はない。
まあ、字面で並べて冷静に省みて見れば、そう悪くないではないか。
それこそ見方や好みの問題だ。
もちろん僕の人生と会社の遠回りに付き合わされて、
迷惑を被った側はたまったもんじゃないだろうが、
(おそらく随所に被害者の会が発足しているのだろうが、
それは見て見ぬふりができる程度には歳を重ねたのだ)
それでも無理やり前向きに考えれば(反省は大いにしている)
お金も時間も、後生大事に抱え込んでも、使わなければ何の意味もなさないのだ。
命も時間も、同じようなものだ。
命はもちろん大切なものだが、ガソリンのようなもので、
それ単体で意味をなすことは、実はあまりない。
ガソリンを使って、どこに行くかであって、それ単体に大した意味はない。
この話にも賛否両論あるだろうが、僕はいわゆる「植物人間状態」になったら、
生きていたいとは思わない。
生きていれば回復する可能性があるなら、もちろんそれに向かってベストは尽くすが、
体をチューブだらけにされて、「延命しているだけ」、になったとして、
その時傍らに(ありえない仮定だが)今の僕がいたら、
そっと生命維持装置の電源は切ってしまうと思う。
周りが「あなたが生きていてくれる、ただそれだけでいい」と感じることに意味はあっても、
「僕が生きている、ただそれだけに意味がある」と堂々と言うのは自意識過剰というものだ。
人は好むと好まざるとに関わらず、世界に迷惑を撒き散らかし、
存在するだけで何らかのコストを世界に強いる存在なわけで、
その存在が堂々と「生きているだけでいい」と言うのは少し世界に対して厚かましい。
せめてなんらかの貢献をするために成長して、
どこかでお返しをする存在になれると思いたいものではないか。
長い時間を使って、命を使って、何を成し遂げたいか?
どこに辿り着きたいか?
例えば、100年後に何を残したいか?というような、長い時間軸で自分や会社、
グループを俯瞰して見た時に、
「僕さ、Instagramや TikTok、Twitterのフォロワーが、100万人いたんだぜ!」
というようなことは絶対にならないことだけはわかっていた。
ということは、僕は世界に何を、自分が得た真実として残すんだろう?
そんなところから考えはじめた。
好き勝手に生きてはいるが、そこそこ人様のご期待にもお応えする人生だったせいか、
その作業は困難を極め、
「リクエストにお応えして作り上げたものじゃない、僕が世界に問いたい何か」を
「作品として」捻り出すには、それなりに時間がかかった。
例えていうなら、ペイパルマフィアのような、リクルートのような、文化や仲間、
それこそ、パタゴニアのようなブランド、会社。
結局はそれが自身の「作品」であろうことはうっすらとわかってはいた。
端的に言って、
「このチームで勝ちたい」
そう思っていることはわかっていた。
だから「グループであること」を自覚しやすいように
(もちろん、色々と効率化するためにもだが)
「INSTYLE GROUP株式会社」を作った。
今度は「最初から目的を持って、僕が社長で、僕が作った、原初の衝動を伴った会社」だ。
そこに人員、雇用、さまざまなリソースを集約して、本当の意味で一つになろうと思っている。
こうして、新オフィスの席次を決められるかもしれないと、ようやく思えたのが本当に最近の話だ。
そうして、グループの再編や、目的の再定義をしながら、事業を推進し、
整理整頓と成長と達成と獲得を繰り返していく中で、
目的やレゾンデートルを無くしてしまった会社には、
グループとしてのビジョンやミッション、バリューを通じて、一つになることで、
グループとしての自覚や、
価値観の共有がより生まれていくのではないかと思っている。
それぞれの社長が、新しい目的や目的地を生み出せたなら、
それは尚、良いことで、もし、会社としての目的を無くしてしまったままなら、
グループとして一回り大きな枠で目的、目的地を再定義することで、
まとまっていく、ドライブしていく。
「インスタイルグループというスタイル」が作品となり、
百年後にアートのようにスタイルを残す。
そういった目的地に到達するためにガソリンを使うように、
辿り着きたい所に行くために、お金を、時間を、命を使う。
それが文字通り、「使命」であり、つまりは「ミッション」なんであろうと思った。
5.
六本木オフィスへの引越しを直前に控えたタイミングで、
こうして「INSTYLE GROUP株式会社」が出来上がり、
ようやく、この会社、グループにミッションやビジョンが生まれようとしていた。
僕は第二次創業期、という言葉があまり好きではないが、
今回のこの行動はそれにあたるであろうと思っていた。
改めて、ミッションとビジョンを発表し、
このビジョン実現に向けて全力を尽くすチームが作りたい。
グループ再編、第二次創業期。
こんな手垢のついた擦られまくった表現を使うのも恥ずかしいが、
言葉にすると結局、そんな気持ちではある。
そして、こんなものは第三だの第四だのと、
RPGのナンバリングタイトルのように積み重ねるものではないので、
ここで終わりにしようと思う。
INSTYLE GROUP最初で最後の二次創業期で、変革期だ。
なんと言っても、起業してから27年間、ビジョン否定派だった僕がビジョンを標榜するのだ、
そのくらいのことは言って差し支えあるまい。
ビジョンは、
「ハッピーエンド」にした。
僕はどうせ役立たずだから、せめて意味ある会社をつくりたい。そう思ったからだ。
デザインやサイエンスとスキル、良し悪しではなく、
アートとセンスと好き嫌いの世界で意味のある経営に特化するために、
このビジョンにした。
働く意味のある会社を作り、意味のある社員・社長とだけ過ごすために、このビジョンにした。
好きなやつと好きなように過ごすために、このビジョンにした。
「ハッピーエンドになれば、なんでもいいよ」
正直に心からそう言える気がした。
「僕は彼、彼女を幸せにした。彼、彼女は自分の力と努力、僕の用意した環境とチャンスで、
立派に幸せになった」
それをどうお互い胸を張って言えるかどうかだ。
この未来を目指してきたし、一部は叶えてこれたと思う。
だからこのビジョンに、
どう共感を集められるかだ。
僕ならそのビジョン実現に向けて仲間になりたいと思えるか?という問いに対して、
自分でYESと言えるものを作りたかった。
僕を海賊王にしてくれなくて良いから、
(もしそれが君達全員の、一番の望みなら僕は全力で海賊王を目指すけど)
各々の真のハッピーエンドに向けて、
助け合いながら艱難辛苦を乗り越えるチームであって欲しいと思った。
同時にこれは、グループを包括した、横断的なビジョンでもあるので、
このビジョン実現に向けて、僕はこれから仕組みやルール、マナーを制定し直していくつもりだ。
これに則ってさらにフィロソフィーも書いている。
ミッション(起業率向上、女性の社会進出やインクルージョンの促進、貧困の解決)・ビジョン(ハッピーエンド)・バリュー(ハウスルールとフィロソフィー)が本当の意味で揃った時、
この会社、グループがどうなっていくのか、
僕にもわからないが、今から楽しみにしている。
ミッションもビジョンもなく、みんな適当に幸せでいてくれたらいいよ、
なんて投げやりにも取れる経営でここまでこれたみんなだ。
きっと、とんでもないところまで行けるに違いない。
結局幸せでいて欲しいってのを英語(カタカナ)にしただけで、
大した違いはないじゃないか、と思うかもしれないが、それは違う。
明確に、それぞれのビジョンやミッションを標榜し、そこに向かうか向かわないかで、
合うか合わないかで、共感できるかできないかで、意思決定をしていくのだ。
同じ結果になるわけではない。
詳しくは、3冊の本を読んでみて欲しい。
そして、六本木で一つところにまとまった時に、
一つ、ミッション、ビジョン、バリューと親和性の高い施策を実行に移そうと思っている。
それは、
パタゴニアにショッパーがないように、
(そして不用意な相手に少しの面倒とストレスを与えるようなもので)
ミッション、ビジョンに沿ったものになると思えたもので、
最初は軽い気持ちで思いついたこの施策も、時を重ねるごとに納得感が増していくので、
これ以上のものは今、出せないのだろうと思ったので、ここで伝えておくことにする。
新オフィスで、それなりの規模に見える状態になるからこそ、
(数人のベンチャーがやっても大して面白くない)
ある程度のディスクローズをするからこそ、INSTYLE GROUPは、
名刺から、「肩書き」をなくそうと思う。
INSTYLE GROUPはベンチャー企業(の集まり)だから、
ダブルロール、トリプルロールはあたりまえだし、
社長率に至っては約35%、社長なんて偉くも珍しくもなんともない。
元々僕も社長やら何やらの肩書きで呼ばれたことはないし、他も同じだと思う。
肩書きでしか判断できないようなやつと付き合わなくていいし、付き合いたくもない。
「INSTYLE GROUPの社長や部長や専務」に会いたいって言われた時には居ませんと答えたい。
全ての社員・社長に肩書きがないから、逆に目の前の新卒に見えるこの人は社長かもしれない、
そう思ったら、社員も下手な扱いをされないんじゃないか?とも思った。
元々一般的に「経理」と書かれそうな人間の肩書きを「秘書」にしている理由も、
みんなに「社長」をはじめとした偉そうな肩書きを付けてきた理由も、
世間では肩書きで判断される事が多いから、
大層な肩書きをつけてしまえば大事にされるのではと思ったからだ。
肩書きではなく、個人にフォーカスして欲しかったから、先に肩書きを良くしてきた。
そして、そういった経営を続けてきた今、
肩書きがないと困るような奴は幸いにして会社にいないし、
ある程度シンプルにフラットになるな、とも思った。
「結局お前が頭であとは一緒だから、ピラミッド型じゃなくて、鍋蓋型の組織じゃん」
と言われたこともある。
社長の肩書きが邪魔、という社員も社長も報われるだろう。
肩書きは関係ない、と言いながら「いい肩書き」をつけるほうが、
肩書きに囚われている気がしたので、本当の意味で、
「うちには肩書きはありません。肩書きと上下関係ではなく、業務上・書類上などでの、
『役割』や『順番』の問題です」
と言い切れるのは気持ちがいい気がした。
そう決めることでより、この「INSTYLE GROUPという作品」を作り上げようと思えた。
今、世界には自分を代弁する「作品」がない人間が多すぎて、
SNSを含めて否定の数が多くなっている。
高度経済成長期における、「正解を出すという作業」が仕事と呼ばれた残滓を生きている人たちは、
楽しそうに仕事をしている人間を見ると自己を否定された気になるらしく、
彼らは楽しそうに働く人を見ると、ひどく落ち着かない。
多くの場合、日本では幼少期に気軽に作品(自分)を否定されてきているので、
自己の作品を持たないまま成長してしまう人が多い。
拙いクレヨンで描いた犬を「いやー、これじゃあ猫だよ」と否定されてきたように。
残念なことに、所得や教育水準の低い家庭ほど、
指摘系のツッコミが溢れる民放のバラエティ等に浸潤されてしまっているので、
何度作品を親に見せても、いつも簡単に否定されてきている。まず褒めない。けなす。茶化す。
その結果、
自分が何かを作って誰かに見せるという行為の期待値は常にマイナスとして記憶され、
評価時の落胆に負けず何度もチャレンジしていこうと頑張った場合も、遅かれ早かれ心が折れる。
評価者が雑で適当だから。
大人になれば、評価者のレベルや無責任さを把握して「気にしない」という対策があるが、
子供から見た唯一の価値観である年長者からそう言われてしまうと逃げ場がない。
こうして、たくさんの無駄な労力が子供の記憶に厚く積もった頃、
最も楽に優位性を保ってるように見えるのが目の前の無神経な否定者なため、
いつの間にか子供もそちらの道を選ぶことになり、
幼稚園や小学校で誰かが作った作品をいかに短い単語でdisるかといった残念な道がはじまり、
それがウケたりするとその生き様が強化される。
問題なのは、日本の教育のほとんどが、指摘側の思考パターンを補強するものなのだ。
つまり、幼少期の創作物に対して、構図、バランス、配色、使用する画材など
具体的なアドバイスを添えながら改善できる人物がほぼいない。
美しさの構成要素を具体的に説明できて寄り添える人もいない。
アーティストの子供がアーティストになりやすいのは、身近に言語化の得意な
アーティストが親として存在したからであり、逆にいうと茶化す凡人が近所にいなかったことが、
とても良好な環境を作ったということができる。
そうして
なんらかのきっかけで美しいバランスや善意に満ちた狂気を帯びた作品やらに触れることで、
傑作の前で素直な態度が取れるようになっていくのだが、
それは一部の運よく洗脳が解けた例にすぎない。
これからアート文脈を生きる、意味文脈を生きる、
我々はこのことを改めて知っておかなければいけない。
単純に他人の作品をこき下ろすのは民度が低い。
そうしてしまうのは、自分に作品がないからだと知る必要がある。
だから、
文脈のある、ストーリーのある、意味のある、アートを新オフィスには飾ることにした。
本物に触れ、感性を磨き、自己の作品を作る側にいられるように。
山口歴さんのアート(と美術館レベルの照明や世界トップレベルだと自認する内装)には、
「X GAMESで書いてもらったから」以上の意味があってそうしている。
6.
八月には新オフィスへの引越し
(お披露目パーティーは9月。こだわりすぎて、僕の部屋の家具が一部間に合わない笑)と、
きぬ川のオープン、BED j.w.FORDの新店舗のオープン、SUMMER MEETING(花火)、
と全て言ってしまえば「不要不急」で大して役に立たない(利益に繋がらない)イベントが、
あいも変わらず目白押しで並んでいる。
初めてのSUMMER MEETINGでも話したが、
この世界のほとんどが、言ってみれば不要不急で、僕たちは特にその世界で、
不要不急を生業として生きている。
とみ田の鮨でなければ必須栄養素を摂取できない人、PSCのパジャマでないと寝られない人、
そんな人は存在しないし(いてくれたら会社としては大いに助かるが)、
AIR RACEがなくても、XGAMESがなくても
(この調子でグループにある全ての会社がなくなっても)、
世間じゃ誰も死にはしないのだ。
だから、言ってみればグループの全てが不要不急なもので、
そんな「エッセンシャルじゃないもの」だらけのグループだ。
けれど、「人はパンのみにて生きるにあらず」で、
食えて寝てられれば、生命活動さえ維持していられればいいわけではない。
文化や文明、芸術や文学といった、人生を豊かにするものが必要なのだ。
だからこそ、僕達は「不要不急」には抗い続け、
日本で最もコロナを気にしなかった会社の一つではあったと思う。
(これもグループ各社大小差はあれど、全体をまとめると、という話)
コロナ対策に不平不満を唱えながら、
それによる恩恵を受け入れるようなダブルスタンダードが嫌だったし、
本音と建前を使い分けては生きられなかった。
そこに意味があると思ったことは、やらずにはいられなかった。
だから、
「無理やりにでも前を、上を向きたくなる会」と称して、
花火を上げ続けていたら、この八月で、もう四年目になる。
すっかりグループの夏の風物詩として、定着してしまった。
辞めどきが見つからないので、この先ずっとやると思う。
けれど、この意味がある行動も役にたつ(利益が出ている)状態の会社がないと、
やってはいられない。
だから、意味のある会社を作りつつ、
もちろん、利益も出して行く必要がある。
具体的には、
神宮前、六本木チームの111人で、5~7年で年商400~500億に向けて動くつもりだ。
内訳概要は下記。
https://docs.google.com/spreadsheets/d/1YYKl3mMP8q0l_Ydye7a-SzR3W6d1lwF5_hA6jhBEAWI/edit?usp=sharing
この売上と利益の中から、
詳細の説明は控えるが、一人一人順番に、経済的自由人にする仕組みを用意している。
ある程度の勤続年数は必要になるが、平均離職率1〜2%のこのグループにおいては、
そんなに難しい基準ではないと思っている。
むしろ、今後少し健全な新陳代謝を促すという意味で、離職率は若干上がったほうがいいと思っているくらいだ。
(離職率5%程度を目指します、と標榜しようかと思ったくらいだ)
これもなぜかというと、
経済的自由人だけの会社にしてハッピーエンドを迎えたいからだ。
7.
二次創業をより良いものにするために、
現在地と目的地を明確にしておこうと思う。
マズローの欲求5段階説というものがある
1.の生理的欲求は食いたい、寝たいといった状態で、生きてりゃ上等、というレベルなので、
法人で言うと、会社がとりあえずある、というレベル。
2.の安全欲求は快適な家、健康、と言った状態なので、
法人でいうと、快適なオフィスや、黒字経営で、会社が潰れない、というレベル。
3.の社会的欲求になると、仲間、集団といった形になるので、精神的欲求となる。
法人でいうと、グループ法人や経団連あたりがこれに相当させられる。
4.の尊厳(承認)欲求は認められて尊敬されたい、という形なので、
法人で言うとブランド企業になりたいと言っている状態。
5.の自己実現欲求になると、自分の可能性を引き出しクリエイティブに満たされたい状態なので、
法人でいうと、グループとしてあるべき姿にビジョナリーに向かい、実現する、成長欲求の段階。
6.自己超越は ミッションの部分で、個人や法人を超えて、社会的なミッションの達成であろう。
INSTYLE GROUPは5や6を目指していくので、
1、個人的に経済的自由人になった僕が、
2、会社に長期的安定を与え
(経済的自由法人になり、家賃と人件費が投資収益のみで賄えるようになり)
3、社員全員に長期的安定を獲得させ
(全員経済的自由人になるために仕組みを作っている)
4、その原資の獲得のために111人で年商400億を達成し、
5、社会的意義を果たし、制定したビジョンの達成とそこに同意する長い社歴の社員を優遇し、
一人ずつ順番に経済的に自立させ
6、最終的に200人程度で年商1000億円/利益100億を上げる会社にし、様々な面で社格を上げる。
その頃には時価総額1221億=1人当たり時価総額11億の会社になっている予定だ。
「社員全員が経済的自由人になった状態で、それでも好き好んで働く会社」
という作品を目指している。
「原初の衝動」をなくした僕が、
自らインスタイルの名を冠する会社を作って、
みんなを一つにまとめた理由が、
この経済的に自由で幸せな状態にみんなを到達させたい、みんなで遠くに行きたい、
と思ったからで、それはつまり、
僕がいつ死んでもいい状態になることが、目的地となっている。
8.
七転八倒しながらビジョンを制定したおかげで、ミッションは思えば簡単に制定できた。
ミッションは社会課題に直結していて、長期的で、
ビジョンが実現することである程度叶うものとして定義されるからだ。
元々、正義は勝つし、良い奴は報われる社会にする
(ためにもまずはそういう会社でいたい)と思って、
行動を重ねてきたし、会社経営をしてきたつもりだ。
だからビジョンはハッピーエンドにしたし、その他の要素はビジョンの章で論じた通りだ。
そのビジョンが実現することで解決する社会課題としては、
会社と社会を交互に見渡せば、課題と、多少なりとも貢献出来そうなポイントは、
起業率の低さや女性の社会参画やインクルージョンの促進が未熟な状態にあること、貧困、などが挙げられる。
だから、ミッションは
起業率の向上や女性の社会進出の促進、インクルージョンの促進や、貧困の解決
あたりになるんであろう。
頭のおかしいユニークな自由で幸せな会社を通じて社会貢献していく。
でもいい。大して変わらない。
尊敬できる仲間と夢中になれる仕事をしたいだけだ。
仲が良くて、儲かっていてて、社員が成長できる、社会的な存在意義のある、
影響力のある会社がいいだけだ。
目の前の小さな事、目の前に居る一人の人に向かい、
大切にすることで
その先の大きな事、たくさんの人を幸せにする
世界にプラスのインパクトを残す会社がいい。
理想を追い求めて生きてきたから、いくらでも言える。
芸能事務所のコンサルティング先から来た社員、
アパレルの、不動産の、化粧品の、、、
かなりの確率で
コンサルティング先の社員が今も一緒にいる理由は、
面接・面談時に、「一生面倒を見る」と言ったことを約束として守っているのともう一つ、
どこかで彼ら彼女らが正しいことを、
かつての社長や世界に証明したいからだ。
良いやつには報われて欲しいし、途中で嫌な目になったとしても、
最終的にはハッピーエンドでいて欲しいのだ。
今更、僕の正しさや価値なんて証明しなくていいから、
彼ら彼女らが正しいと証明したかった。
ただ、そこには彼ら彼女ら自身の助けが必要だった。
ケネディの
「国があなたのために何をしてくれるかではなく、
あなたが国のために何ができるかを考えようではありませんか。」
の国の部分を会社やチームに置き換えてくれたら、だいたい言いたいことは伝わると思う。
経済的自由人だらけの、頭のおかしい世界にも類を見ない会社で、
自責の枠組みが許す範囲内で、好きなように生きるのだ。
9.
零どころか、マイナスから始まった、インスタイルというストーリーのなかで、
それでも妥協せずに今まで大切にしてきたスタイルがある。
それは、
好きなやつと好きなように過ごしたい。
という子供じみた考えだ。
大人になってから、家族以外で、友達と毎日ずっと一緒に居ると聞いたら、
例え親友でも驚くだろうけれど、
好きな奴と遊ぶように、自然に、ずっと一緒にいようと思ったら、
仕事するか趣味が合うかしかないんじゃないかなと思っていた。
だから、「仕事という名の手段が目的化した趣味」を通じて、
グループ一同、家族のように大事に
(「家族」がどのくらい大切か、どのくらい嫌いかは個人に任せています)、
自然な形で一緒にいたいと思っていた。
とはいえ、それだけだと個人的すぎるので、
利益を追求する社会的団体=会社としては、
好奇心と愛情から来る起業を通じて、
新しい可能性を世界に提示することで、
社会に貢献し売上と利益を確保することで、
納税や雇用を通じて社会に貢献することで、
なんとか社会性を保つ努力をしているのだ。
家族の笑顔を守るために頑張るって聞いたら良いお父さん、お母さん、のように聞こえるけれど、
家族のように大切に思ってる社員や社長達の笑顔の為に頑張るのはなぜダメなのかしら?
と思ってしまうから、
親父ヅラして、自主性を奪ったり、守ってやってるって家長ヅラで勘違いすることなく、
対等な商取引として、一生懸命給与を出すから、一生懸命働いてもらう、
という関係の中で許される範囲で、
守り守られ、頼り頼られ、好きなやつと好きなように過ごして行けたらいいなと思っている。
けど、この好きに過ごす、を変に勘違いされると、
お互いに好きに過ごせなくなるからこそ明確にしているのが、
INSTYLE GROUPにおいては、責任の取れる範囲が自由の範囲だ、ということで、
自由でいたいメンバーが、自由でいたい分だけ、責任の範囲を広げていければいいのだと思う。
僕は出来る限り自由でいたいので、出来る限り責任は取るつもりだ、これからも。
普段から、
素直な思考停止しない、いい奴が、主体性・積極性・自主性を発揮して、
行動、アウトプットを増やし、フィードバックを正しく受け入れ、
良質なコミュニケーションの元、成長・達成・獲得のサイクルを回していく会社。
経営者マインドや当事者意識を持って、一生懸命働いて、結果を出す組織。
なのにホワイトで休みが多くて給与・待遇がいい。
みんなが楽しそうに、仲良く助け合いながら働いて、結果出してる会社。
を目指していると言い続けているのもそのせいだ。
でも、どれだけ言葉を尽くしても、正しく理解はされないだろう。
異端であることは自覚している。
だからこそ、僕らはここにいる。
僕らは一般的に理解されやすい文脈を生きない。
僕らは時代や世代を代表せず、
好きなところで新しいものを勝手に創る。
これらの、ごくごく私的なことを繰り返していった結果、
物心両面において豊かで幸せな社員と会社を増やす事で、
社会はより良くなると思うから、
まずは小さなところから、自分から、家庭から、会社から、グループから、
妥協せず理想を追求して、僕らは今日も、
好きなやつと好きなように仕事をするのだ。
10.
九段下のファンド会社の、窓のない小さな部屋に、
机をたった二つ間借りした形で生まれたインスタイルが、
まさかこんな風になるとは、文字通り夢にも思わなかった。
思えば遠くに来たもんだな、とグランドタワーの最上階から、
みんなと一緒に眼下に広がる景色を見渡しながら一人心地する。
10年前、
後々に「これからはInstagramが来るってわかっていた」
と証拠として振りかざす為だけに作ったアカウントから投稿した、
やはり僕が内装デザインした、当時のクライアント企業の高層階からの眺めを思い出す。
あの時も僕は、
天使の梯子と呼ばれる、雲からもれる日差しを見ながら、
苦しかった日々が、少しだけ報われたことに対して、込み上げてくる沢山の感情と共に、
それでも自戒と自粛の念を込め、宮沢賢治の告別という詩を口にしていた。
おまへのバスの三連音が
どんなぐあひに鳴ってゐたかを
おそらくおまへはわかってゐまい
その純朴さ希みに充ちたたのしさは
ほとんどおれを草葉のやうに顫はせた
もしもおまへがそれらの音の特性や
立派な無数の順列を
はっきり知って自由にいつでも使へるならば
おまへは辛くて
そしてかゞやく天の仕事もするだらう
泰西著名の楽人たちが 幼齢弦や鍵器をとって
すでに一家をなしたがやうに
おまへはそのころ
この国にある皮革の鼓器と
竹でつくった管とをとった
けれどもいまごろ
ちゃうどおまへの年ごろで
おまへの素質と力をもってゐるものは
町と村との一万人のなかになら
おそらく五人はあるだらう
それらのひとのどの人も
またどのひとも
五年のあひだにそれを大抵無くすのだ
生活のためにけづられたり
自分でそれをなくすのだ
すべての才や力や材といふものは
ひとにとゞまるものでない
ひとさへひとにとゞまらぬ
云はなかったが、
おれは四月はもう学校に居ないのだ
恐らく暗くけはしいみちをあるくだらう
そのあとで
おまへのいまのちからがにぶり
きれいな音の正しい調子と
その明るさを失って
ふたたび回復できないならば
おれはおまへをもう見ない
なぜならおれは
すこしぐらゐの仕事ができて
そいつに腰をかけてるやうな
そんな多数をいちばんいやにおもふのだ
もしもおまへが
よくきいてくれ
ひとりのやさしい娘をおもふやうになるそのとき
おまへに無数の影と光の像があらはれる
おまへはそれを音にするのだ
みんなが町で暮したり
一日あそんでゐるときに
おまへはひとりで
あの石原の草を刈る
そのさびしさで
おまへは音をつくるのだ
多くの侮辱や窮乏の
それらを噛んで歌ふのだ
もしも楽器がなかったら
いゝか
おまへはおれの弟子なのだ
ちからのかぎり
そらいっぱいの
光でできたパイプオルガンを弾くがいゝ
11.
イヴォン・シュイナードは「社員をサーフィンにいかせよう」でこう語る。
_起業家精神についてお気に入りの言葉がある
「それがなんたるかを理解したければ、非行少年に学べ」だ。
彼らは「こんなのはバカげている。俺は俺の好きにする」と行動で語る。
なりたくもなかった稼業につくのだから、なにか、なるべき理由が必要だろう。
真剣に取り組むようになっても変えたくないことがひとつあった。
毎日、楽しく仕事をする、という点だ。
階段を1段飛ばしで駆け上がってしまうほど
わくわくしながら出社できるようでなければならないし、
思い思いの服を着た仲間に囲まれて仕事をしたい。
はだしのやつがいてもいい。仕事時間は柔軟でなければならない。
いい波が来たらサーフィンに行きたいし、パウダースノーが降ればスキーに行きたいし、
子どもが体調を崩したら家で看病してあげたいからだ。
仕事と遊びと家族の境目はあいまいにしておきたい。
_大きく成長しても、さまざまな面でパタゴニアのカルチャーは保つことができた。
みな、わくわくしながら出社していたし、思い思いの服を着た仲間に囲まれて仕事をしていた。
昼休みには、ジョギングをしたりサーフィンをしたり、
あるいは、会社裏手の砂場でバレーボールをしたりした。
会社主催のスキー旅行や山行もあったし、気のあう仲間で金曜夜にシエラネバダ山脈へ行き、
月曜朝、へとへとだけどリフレッシュして仕事に戻ってくるなんてことも日常茶飯事だった。
_最優先とはしないが、企業活動においては利益を追求する。
ただし、成長および拡大は当社の本質的価値に含まれない。
_理念を教えた結果、カミ博士の問いに対する回答も得た。
商売を始めて35年、ようやく、なぜこんなことをしているのかがわかった。
環境活動に寄付をしたいという気持ちにうそはない。
だがそれ以上に、私は、パタゴニアでモデルを確立したかった。
我々のピトンやアイスアックスが他メーカーのお手本となったように、
環境経営や持続可能性について考えようとする企業がお手本にできるモデルを確立したかった。
理念の講義をした結果、私は、自分が事業家になった原点を思いだすことができた。
自分が使っているウェアや道具の改良案を
たくさん抱えて山から戻ってきていた日々を思いだしたのだ。
パタゴニアという企業が高い品質とオーソドックスなデザインの追求を中心として
歩んできたことにも改めて気づいた。
シャツでもジャケットでもパンツでも、我々が作る製品の機能は、
なくてはならないものばかりなのだ。
全くもって同意見だ。
時間に縛られず、大切なものを大切にしながら働いて欲しいし、
大きく成長してもカルチャーを失わずにいたい。
利益を追求するが、最優先せず、INSTYLE GROUPというモデル、スタイルを確立したい。
イヴォンは今84歳、僕は42歳、彼のちょうど半分の年齢まできた。
言い換えれば、僕に今までの人生と同じだけの時間が経ったら、僕もイヴォンと同じ歳になる。
あと42年後に、もちろん、みんなと分かち合ったあとに、84歳のジジイになった僕が、
イヴォンにとっての地球環境のようなものを見つけていて、
(結局は地球環境かもしれないが)4000億円やらの多額の寄付をすることでスッキリしていたら、
ハッピーエンドだなと思えるんじゃないかな、と思う。
今すぐに終わらない理由、働いている理由は、一番は楽しいから、やりたいからだが、
次に来る理由は「子供達が一人前になるまでは」
と言って働いている親父みたいなテンションと責任感だから、
全員を一人前の幸せな経済的自由人というオプションのついた大人にする手伝いが終わったら、
引退してもいいかもしれないな、と思う。
それでも結局、好き好んで働いていそうだけど。
それは一度ゲームクリアしてからのやり込み要素のようなものだ。
僕だけの状況を考えたら、少し、今の状態に近い。
やりたきゃ、やればいい。やりたくなければ、やめればいいのだ。
逆に、今すぐに終わったら、なんだか色々と尻切れトンボというか、無責任に感じる。
好き勝手、やりたい放題やって、なんだかよくわからない感じに主要登場人物達を残して、
連載が終わる感じというか、端的に言って「オチがつかないな」と思う。
多くの物語は、ラストに金銀財宝を手にして、めでたしめでたし、
のハッピーエンドで最終的に苦労や努力が報われて、締め括られるのだ。
何度もいうが、僕は、良い奴には報われて欲しいのだ。
みんな幸せでいて欲しいな、と願う。
それは、
いつでもどこでも、甘い、ぬるい、いい目にあっていて欲しいということではなく、
艱難辛苦を乗り越えてでも、達成して獲得したいものを獲得できるまで、その達成に至るまで、
待てたり、成長を促せたりする自分でありたい、そういう類の話だ。
不必要に理不尽な辛い目に遭う必要はないと思っているが、
辛い目に遭う必要はないと思っているわけではない。
その甲斐があってほしいだけだ。
非効率なトレーニングを推奨してスキルの習得を遅らせたいわけじゃないが、
効率的な修行をさせたいわけでもないのだ。
そもそも、効率的な修行なんてものは本来ないのだ。
効率的に滝に打たれる方法を教える奴がいたら、そいつこそバカだ。
本当に効率的な行いをしようと思ったら、滝に打たれない、が正解だ。
ただ、只管打坐とまでは言わないが、自分が今持っていないセンスを獲得したかったら、
ある程度の理不尽には耐えなければならない。
その時の自分に理解できないから理不尽だと思うこともあるのだ。
だが、人は大抵の場合、Connecting the dots じゃないが、
自分にとって何が「自分の人生に必要な不幸」で、何が「不必要な苦しみ」なのか、
その渦中にいる時にはわからないものだ。
僕だってそうだった。
それでも、
「筋を通して真っ当にやってりゃ、最終的には良いことあるぜ」とか、
「あの時折れなかったから、今がある」とか、
「途中はそりゃあ色々あったけど、結果的にハッピーエンドだった」と、
笑顔で終わりを迎えられるような、爽やかな読後感を得られるような、
そんな「ストーリーの山場」のように艱難辛苦を語れるかは、
その艱難辛苦の渦中で折れないこと、終わらないこと、
最終的に何をどう得て、どう報われたか、ハッピーエンドだったか、に起因すると思うのだ。
だから、この会社のストーリーも、エンディングから逆算した。
僕は通常の創作でも、ハッピーエンドが好きなのだ。
出オチで申し訳ないが、このストーリーの結末は決めている。
僕は、みんなに向けて、
世界一の金持ち会社(売上や利益が最大の会社)、つまり、
世界一「役に立つ」会社は作れない。
頑張ったとして、あと数千億、人生をかけて積み上げられるかどうかだ。
そんなもの、それこそ意味はない。所詮金だ。金なんて銀行に行けばいくらでもある。
でも、
世界一頭のおかしい、クールにブッ飛んだ、クレイジーな、イケてる会社、つまり、
世界一「意味のある」会社なら作れるかもしれない。
それが、こんなに頭のおかしい人間についてきてくれた、
みんなに返せる、唯一のものじゃないかと思うのだ。
終わりよければ全てよし、ではないが、
「このためにみんなで頑張ってきたんだよな」と言えるようにはしてやりたい。
これからまた、苦しい事があるかもしれない。
起き上がれない朝、立ち上がれない昼、眠れない夜。
それら全てに寄り添って助けたい、そうは思わない。
失敗も成功も、喜びも悲しみも、血も汗も涙も全て、それぞれだけの物語だ。
それでも、それぞれの物語の、
最後のページをめくる時、
エンドロールが流れる時、
ああ、いい物語だったな、
ハッピーエンドだったな、
苦労の甲斐があったな、
それぞれに、そういって笑っていて欲しいのだ。
それが、
僕がこの会社をはじめる理由であり、この会社を終わらせる理由なのだ。
INSTYLE GROUP
西村豪庸