新年度を迎えて
新年度になりましたね。
書く、書いてる、伝える、って4月3日(新年度ランチ会・新オフィス見学日)に言った、約束した、駄文がこちらです。
ただでさえ長いし、リンクURLもあるので、辛いと思うんですけど、諦めて笑
過不足なくって言葉があるけど、不足するくらいならこの辺に関しては過剰でいいやと思う派ですんで、Chat GPTには頼らずせっせと書きました。
4月3日の新オフィス見学、楽しめましたかね?
テンション上がりました?
僕は楽しかったし、相変わらず幸せでしたよ。
毎度言いますが、一番のご褒美タイムなんでね、ああいう風にみんなで会える時間が。
それぞれのオフィスに毎日じゃなくて、毎週日替わりで行ってるのも、
なんとなくこの「みんなに会いてえな」とか「元気にやっててくれて嬉しいな」って感情が、
毎日の当たり前のものになって、薄れていくのが嫌なのかもしれません。
だから、新オフィスでは毎日のことになりそうなので、社長室作ろうと思ってるんですよ。
寂しいけど、寂しいくらいがちょうどいいんじゃねえかなって思って。
人は全ての物事に、そのうち慣れます。
あそこに毎日出勤するようになったら、つい先日の感情、感動は忘れるんです、慣れるんです。
だから環境整備って大事だなと思うし、僕の仕事だと思ってるんです。
あそこが良い意味で当たり前になるようにみんなで成長し、
いい意味で当たり前にならずに、ありがたい環境だと思える関係でお互いいたいし、いようと思っています。
人は慣れてしまう証拠に、半年以上前のSUMMER MEETINGで移転を発表して、
「1年後に向けて、準備しとこうな」から、
はや半年以上、その「準備」の半分以上が終わってるはずの、
50%以上に進捗していたいところが今です。
だから1年後に100%のところに居たいとして、
1週間で2%、1日0.4~0.5%進捗してるのか、普段から考える癖をつけましょう。
かつて周の武王は「100里を行くものは90をもって半ばとせよ」と言いましたが、何事も後半の詰めが大事って話ですね。
ここから考えると、あと数ヶ月で10%詰めればいいくらいに今なってなきゃいけないんで、
90%くらいにいなきゃいけない。こりゃあ急がないとですね。
日々の仕事がある中で、新体制に向けて、面倒な事や切り替えが発生していますが、
いわゆる「緊急じゃないけど重要なこと」に対しての投資を続けていかないと、
「緊急で大事なこと」が減っていかないので、ご協力お願いします。
そんな中、INSTYLE、X-mobileチームの面談が2月に終わって(本来1月のはずが、社員旅行のせいで2月になりました、ごめんね)
3月にメビウスチームの面談が終わりました。
そういったところで、よく話すことは一緒に公開しておいた方がいいと思うので、
いくつか今回の面談でよくした話をここでしておくのと、求人要綱を共有します。
知らない人もいるだろうし、これはどういうことだろう?
これは、この通りになってないんじゃないか?って話があったら教えてください、修正か説明します。
まあ、そもそも、あんまり求人をしたいタイプじゃないから、紹介だけでほぼやってきちゃったんですが、
僕の目指すところはこの求人を胸張って出せることであって、
「まだこうなってないとこも整備してるとこもあるんですがー」みたいな言い訳がしたいわけじゃないんで、
いつもの「理想を先に語って一生懸命現実を追いつかせよう、整えようとしてる」んであって、
「理想と現実の折り合いをつけようとしてるわけじゃない」ことが伝われば幸いです。
てわけで、
1.未来が自分を作る
2.漫画家とアシスタント(その未来に今が本当に直結しているかの話)
3.質と量は最初に量(そして、その最初の一歩の話)
4.求人共有(に上記が含まれてます)
5.働き方について、タスク労働の復興
6.モチベーション手当、部活について
7.チャットGPTの出現とリストラについて
8.大切にしているもの そのいくつ目か。距離感と呼び方について
9.人は死ぬ、企業も死ぬ、死を意識しないとダメなら・・・?
10.5人組について
11.おわりに
です
では1つめ
・未来が自分を作る話
けんすうさんのメルマガから引用し、編集しつつ書きますね。
*
まず、僕がよく言う「未来が自分を作る」について説明します。
これは別にオカルティックな話でも、ポジティブな自己啓発的な話でもなくて、単に論理の話なのですが・・・。
みんな「過去からの積み重ねの上に今の自分がいて、過去の延長である」と考えがちなんですが、意外とそうではないんですね。
それよりは「未来にどうなりたいのか、どうありたいのか」ということが今の自分に影響します。
たとえば、昨日まで野球をずっとやってたとしても、「10年後にはプロサッカー選手になりたい!」と思ったら、
たぶん今日は野球の練習じゃなくてサッカーを練習するじゃないですか。野球をやる意味があんまりないので。
このように「将来こうなっていたいな」というのがはっきりとあると、今の行動に影響を与えます。
逆に「昨日までずっと野球やってた」というのは、実は今の行動には影響をそこまで与えません。
なので、「昨日までダラダラと過ごしてたけど、今日からしゃきっと勉強してがんばる」という自分にもなれるわけです。
将来がはっきりとしていれば。。。
で、このあたりを妨げるのはどちらかというと習慣なんですね。
習慣の力によって、昨日までやったことを今日やってしまっているだけ、ともいえます。
なので、過去の自分によって、今日の行動が決まってしまう、ではなくて、
あくまで「習慣による惰性で今日の行動をしてしまっている」というのが問題なわけです。
なので、ここは「習慣を変える」が正解です。
だから、人生を変える基本として、
「環境を変える、時間配分を変える、付き合う人を変える」の3つで、
最も意味がないのは「意識を新たにする」ことだとかって話があるのも、
そういうことで、逆に習慣化して環境変えてってしまえばなんとかなるんですよね。
習慣の力を借りずに、気合とか、やる気とかモチベーションとかで今の行動を変えるのは困難です。
「今日からこれをやるぞ!」とか決意を新たにする、とかもっとも無駄な行為とすら思うのですが、やりがちですね。
このあたりは習慣法の本とかがいろいろありまくるので、何冊か読めばだいたい理解できると思います。
というわけで「未来にどうなりたいか?のほうが自分の今の行動に影響するよね」という話がここまで。
*
てことです。
僕がいつも未来を語るのはそのせいです。
理想から入るのはこのせいです。
将来居たいところから逆算して行動したいんです。
それが今の行動を決めるので。
みんなに伝えたい(一部の人に面談で伝えた)のはそういうことです。
新オフィスに引っ越した時にはもう理想状態のチームになっていたいんですよ。
そこから逆算して、今を決めているんです。
次に2〜4つ目、
その未来と現在が、近いもの、似たものだと、繋がっていると思いがちだけど、
直結してるとは限らないから注意が必要
って話をします。
connecting dotsじゃないけど、別に効率的に考えた通りに人生歩んでもうまく行かなかったり、
逆に遠回りになったと思っても、どこかで何かがつながる
とかの話ではなく、もう少し単純な人生の過ごし方、仕事の仕方の話です。
例えば、
・漫画家とアシスタントの話
・皿洗いからシェフを目指す(1年前の4月に新卒に向けて話した)
・質と量は最初に量
あたりを含めて、
最新の求人を共有します。(4つ目くらいまで含まれるかな)
僕の進捗管理とマネジメントがポンコツなせいで3月中に公開されてるはずが色々ガタガタだけど、
近いうちに修正、掲載完了するはずです。
こんな人を求めてるんだな、って改めてわかったら、こうなる必要があるな、とか、
こういう人を助けていこう、て思えるかなと思って共有します。
もちろん福利厚生とかに関しての意見も求めてるけど、主眼はそちらではなくて、
必要としていることや人を明確にして、どう思っているか、どう考えているかを、
全員に理解しておいて欲しいし、こういう思いでこういう人を採用して、こういう会社にしていこうと思います、
ってことを共有して理解を深めるのは良いことだと思うし、採用と解雇で企業文化が作られる、って言葉の本意だと思うので。
次、5つ目ですかね。
・タスク労働と人事評価やルールや手当(モチベーション手当)やあれこれについて
まず、タスク労働って何ってなると思うんで、下記を読んで欲しいです。
わかりやすいので。
佐々木俊尚さんのメルマガから抜粋しました。
**
特集
時間労働を終わらせタスク労働の復興がわたしたちの人生を変える
〜〜〜産業革命以前の世界にかいま見える「たのしい労働」
中世から近世にいたるまで、労働は時間労働ではなく、タスク労働が中心でした。
タスクとは「課された業務」というような意味で、たとえば稲作に携わる農民なら「田植えから稲刈りまで、半年をかけて稲を育てて収穫を得る」というのがタスクです。職人だったら「家を一軒建てる」「木製の柄をもった鍬をこしらえる」などがタスクに当たります。
このようなタスク労働では、現代の企業のように働く時間を強制されることはありません。稲作農民は農繁期は忙しいけれど、農閑期になると暇になります。その期間を、わら細工など別の得意な仕事に宛ててもいいだろうし、余裕があるのなら遊んでいても許されるでしょう。一日のなかの時間の配分も同様で、夏の草むしりのその日の分が終わってしまえば、早めに切り上げることもできます。逆に忙しくなれば、長時間労働を強いられることもあります。
タスク的な労働では、労働とそれ以外の時間は渾然一体となっています。農作業のあいまに食事をつくったり、子育てをしたり、雑談をしたりということが当たり前にできる。秋にちゃんと一定量の米が収穫できるのであれば、時間をどう使いどう配分するかは、農民の裁量に任されていました。
たとえばフリードリッヒ・エンゲルスが20代のころに執筆した『イギリスにおける労働者階級の状態』(1845年、邦訳は岩波文庫刊)には、イギリスでは産業革命以前、織布工の仕事がきわめてゆったりとしたものだったと描写されています。
「労働者はまったく快適な生活を楽しみながら、のんびりと暮らし、きわめて信心深くかつまじめに、正直で静かな生涯を送った。彼らの物質的な地位は、その後継者の地位よりはるかによかった。彼らは過度に働く必要はなかった。彼らはしたいとおもった以上のことはしなかったが、それでも必要なだけは手に入れていた」
近代以前の農民というと、ひどく貧しく悲惨な生活を送っていたというイメージがありますが、必ずしもそうではなかったということです。近代に入るころには農業技術が進歩し、これによって農民の余暇の時間がかなり増えたということは指摘されています。彼らは時間給ではなかったので、十分な食事や余暇が得られ、納税もできるだけの食糧生産ができれば、それ以上は働く必要がなかったとうことなのでしょう。
これは江戸期の日本でも同じでした。イギリスの農業技術が家畜や大型農機具の導入によって進んだのに対し、労働集約によって農業の生産量を増やしたというのは有名な話です。人口学者の速水融氏が「勤勉革命」という有名な概念を提唱しています。
昨年末に惜しくも亡くなられた歴史家渡辺京二氏に『逝きし世の面影』という素晴らしい著作があります。幕末から明治期に日本を訪れた欧米人たちに、日本と日本人はどう映っていたのかを詳細に調べた内容で、本当に素晴らしい本なので多くの人に読んでほしいものです。
さまざまな驚くべき証言が出てくるのですが、たとえばイギリスの植物学者ロバート・フォーチュンが日本の田畑を「農園というより庭園に似ている」と感じたという話があります。フォーチュンはこう書いているそうです。
「農民は大土地所有者の農奴にすぎず、重税を課され、まったく劣悪な状態に置かれていると私たちは教えられている。私はこのような言明を否定できる立場にあるわけではないが、この国の多くの地方での個人的観察からして、農民とその家族は快適な外見の、よい家に住んでいるし、いい着物を着、十分な食事をとり、幸せで満ち足りた顔つきをしていると断言することができる」
もちろんすべての農民がこのように豊かだったわけではなく、同書にはイザベラ・バードが東北を旅した際に、山あいの寒村が非常に貧しく、みな不潔な身なりをしていたと書いていることも紹介されています。それにしても、ステレオタイプな「江戸時代の抑圧された農民」という歴史観に反して、なぜ豊かな一般農民たちが江戸期に存在していたのか。
同書には、アメリカの歴史学者トマス・C・スミスが書いた『徳川時代の年貢』(1965年、邦訳は東京大学出版会)という書籍の分析が紹介されています。
ドラマや映画の時代劇で貧しく抑圧された農民の姿をさんざん見せられたわたしたちは、「年貢」ということばの響きから「重税」「苛烈な取り立て」といったイメージをふくらませてしまいます。しかし実際には、年貢は重税ではなかったとスミスは言います。
なぜか。年貢の率を決める根拠となる農地の検地は、実は1700年以降はほとんど行われなかったから。江戸幕府が始まったのが1600年ごろで江戸時代は1868年まで続いたわけですが、後半の170年間は検地はあってなきがごときだったというのです。しかしこの170年の間に、農業生産性は向上し、スミスの資料によれば50年で112パーセント増加という高率だったとか。つまり税率は上がらないまま生産量は増えていったので、その余剰分が農民を豊かにしていったということなのです。
ここから先は有料部分です
ではなぜ、1700年以降は検地が行われなかったのか? それは農民たちの一揆を為政者たちが恐れたからだというのです。「抑圧され過酷な年貢に苦しめられた農民」とはずいぶん異なるイメージではないでしょうか?
そして『逝きし世の面影』には、当時の日本人がきわめて陽気で愉快な人たちだったという証言も再三にわたって紹介されています。
「この民族は笑い上戸で心の底まで陽気である」「日本人ほど愉快になりやすい人種はほとんどあるまい。良いにせよ悪いにせよ、どんな冗談でも笑いこける。そして子どものように、笑いはじめたとなると、理由もなく笑い続けるのである」
「上機嫌な様子がゆきわたっているのだ。群衆のあいだでこれほど目につくことはない。彼らは明らかに世の中の苦労をあまり気にしていないのだ。彼らは生活の厳しい現実に対して、ヨーロッパ人ほど敏感ではないらしい。西洋の都会の群衆によく見かける心労にひしがれた顔つきなどまったく見られない。頭をまるめた老婆からきゃっきゃっと笑っている赤児にいたるまで、彼ら群衆はにこやかに満ち足りている。彼ら老若男女を見ていると、世の中に悲哀など存在しないかに思われてくる」
現代の東京で、朝のラッシュ時に東京メトロに乗ると、人々はみな「都会の群衆によく見かける心労にひしがれた顔つき」です。この200年の日本人の心情の変化を思うと、なんとも言えないものがあります。
いっぽうで同書には、日本の職人は朝から酒ばかり飲んでいて、働いてくれないという愚痴もたくさん紹介されています。しかし江戸時代は今でいう伝統工芸が花開いた時代で、素晴らしい建物や工芸品がたくさん遺されています。なのに「朝から酒ばかり飲んでいる」というのは、当時の職人には自分の時間をどう使うのかという裁量の権限があったと考えるのが自然ではないでしょうか。
同書はこう書いています。
「日本人の労働における勤勉と忍耐は何よりも農業に現れており、そのみごとな成果は一様に外国人たちの感嘆の的となっていた。にもかかわらず、当時の日本人が『考えもつかないほど不精者』であり、『一般に生活とか労働をたいへんのんきに考え』ていたのも、また一面の真実だった」
「実はこのように近代的な観察眼からすれば理解困難な矛盾のうちにこそ、工業化以前の労働の特質が鮮明に浮き出ていたのだ」
つまり江戸期の労働者たちは、時間労働ではなくタスク労働だったということなのです。それが許されたのは、職人たちは伝承と経験によって裏打ちされたさまざまなノウハウやスキルを豊富に持っていたからです。取り替えがきかない人たちだったからです。
しかし産業革命によって、労働のありようは変わりました。
最大の変化は、労働の内容と時間が管理されるようになったことです。タスクの内容を分類してマニュアル化し、どの労働者でも交替できるようにし、労働時間を細かく分けて計算するようになりました。20世紀初頭には「科学的管理法」と呼ばれるマネジメント手法がアメリカで確立し、時間労働がシステムとして完成していったのです。
科学的管理法と時間労働は工場の生産性は上げ、先進国の経済成長に大きく寄与したのは間違いありません。いっぽうで人々の仕事への裁量は減り、労働は時間に縛られて厳しくなり、無理矢理長時間働かせるようなブラック労働まで生みだしたのです。
わたし自身がフリーランスで物書きの仕事をしているときに実感するのは、自分の仕事ぶりがかつての農民や職人のようなタスク労働にきわめて近いということです。とはいえフリーランスでも下請的な仕事が増えれば時間労働に引きずられてしまうことになるので、フリーになれば幸せに必ずなれるというわけではありません。しかしタスク的な働き方がフリーランスのみならず社会全体に広がっていくことが可能なら、社会の幸せは間違いなく高まるでしょう。
問題は、それを経済成長を失速させないままでどう実現していくのかということではないかと思います。これをどう考えていくのかが、今後数十年間にわたる「労働」の大きなテーマになって行くのではないかとわたしは捉えています。
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以上が「タスク労働」についてなんですが、
ずっと僕の中にあった世間の、そして一部での、働き方への違和感がこれで、
要するに「時間労働、切り売り」に興味はなくてですね、
「ちゃんとしたクオリティで仕事終わらせてくれたら、1時間でも1日でもなんだっていいんだよ」
って思ってるんです。
だから、僕自身は残業嫌いだけど、求められてる、果たさなきゃいけない仕事が終わってないのに、
「残業ダメでしょ?」みたいな表面的な、よくわかんないこと言いながら帰ることにも違和感があったのも、全部説明つくというかね。
僕は極論だけど、全ての人が「タスク労働」であるべきと思ってるんだと思うんですよ。
だから数字を共有するし、
実績、経営数字が上がることがプロとしても会社としても大事にしていて、
その為にはいきなり仕事の質を高められないからまず量をこなさなきゃいけないから、
成長の為の大量行動はお金を投資してでも(残業代とかを多く支払う必要があっても)
それぞれ成長したらいいと思って投資してるんですよ。
その上で、
「ちゃんとしたクオリティで仕事終わらせてくれたら、1時間でも1日でもなんだっていいんだよ。
在宅だろうが、出社しようが、なんだろうが」って思ってます。
アウトプットで、実績で、仕事で、どうタスクをこなしたか(目的となる立派で安全な家が建ったか)で評価されるべきだと思うから。
それを自己判断できるレベルまでアウトプットが洗練されるまでは結構かかると思いますけど。
最初からできてれば、その人は多分プロとして僕にそれなりに評価されてると思うので。
これらを理解した上で、数字・実績(ちゃんとした家が早く建ったか)で評価されるんだ、と思っていて欲しいんです。
長時間労働すりゃいいってもんじゃないけど、最初は大量行動が必要だろうからって、前に話した働き方を用意したのもあるので。
(求人にも書いた、好きなだけ働こうと思ったら働けるよ、のくだりです。つまり、業務委託スキームがそれにあたります)
こういった「タスク労働」をきちんとしながら、結果を出せているチームが、
より充実した福利厚生で幸せに働いていて欲しいと思っているんですが、
たとえば、6つ目?
・「モチベーション手当」について=周りに対して払う手当
この辺がネタ元です。
教員が「アイドルのコンサートに行くので授業を休みます」はありか…現役小学校教員の痛快な答え
例えば子供やペットの病気、怪我の時はもちろん、
推しのライブやイベントに突然当たった、
など、
その人なりに「やむを得ない理由で休む、遅刻、早退」は
その人にとって大事だから起こる「やむを得ない」ことなわけで、
つまりその人の仕事をする理由、モチベーションの源泉である事が多いものです。
どうしても体調が悪いとか生理が重いとかは、
ある意味一番大事な自分自身の事だからもちろんモチベーションの源泉とも言えると思うので、もちろんのことながら。
僕は常々、
子供が熱出したんで、ごめんなさい、今日は休みます
とか
生理重くて休みますって時のごめんなさいが嫌いで、謝らなくてもいいのになとずっと思ってて、
でも謝ってる方の気持ちもわかるから、
それ以外どう言えってんだよとも思うし、健全に社会生活を営んでる社会人の普通の処世術というかマナーの範囲なのはすごくわかるんだけど、嫌でしてね。
この手当てがあるといろいろいいんじゃないかと思ってこれをつくるのはどうだろうと思って聞いてみました。
使い方は簡単で、
「モチベーション休暇取得します」
って言って、範囲を指定して、
話せる範囲で共有したい相手に共有してくれたらok。
周りの、自分の業務に影響する範囲の人(その人が開示する、したい範囲が支給範囲)に迷惑かけてごめんねと、助けてくれてありがとう、をお互い様の精神でばら撒ける仕組みです。
これがあれば、悪くないことで謝らなくていいし、
「モチベーション休暇もらいます、ご理解ありがとう!」で済むし、
(そいつが知っておいて欲しい、知ってくれてて構わない)周りも
「楽しんできて!」「お大事に!」「こちらこそ、この間はありがとう!」
で済むんじゃないかなと思って。
お互いの大切なものへの理解も深まるしね。
こうやって色々な手当やら働き方のマナーやルールを整備してるのも、
あと数ヶ月後の六本木で一つところで働く時のことに先手を打ってるつもりなんです。
きちんと六本木チームで共通認識とって、1つにまとまりたいなと思ってます。
同じように、求人にもあったかな? 新オフィスで、部活用意しようと思ってまして笑
フットサル部とか飲み部とか今もちょっとずつなんか出来てきてるんですけど、
5人以上で部を申請して作って、
そこに対して部費を支給しようかなと思ってたりします。
こういった環境整備とセットで結果が付いてくる組織になるといいなと思ってます。
みんながこのポストでいう「フリーランス」の立場にならないように、
全員で成長して行けたら良いなと思ってます。
どうしても投資先行の過大評価と、投資縮小の過小評価なら、前者を選びがちなので。
(完全な適正評価って世界にないと思ってるタイプなので)
そんなわけで「タスク労働」を正しく理解してくれたら、
Chat-GPTを全員触って、しっかり使えて、人間としての価値を出していかないとやばいって思いと、
すげえ楽になるから、人ってそんなにいらないから、今の忙しさとかは早晩解決すんなって思いの両方が出てくるはずで、
7つ目?
・チャットGPTの出現とリストラについて
お話したいと思います。
この辺読んでからここからを読んで欲しいんですが、
結局、ずっと言ってる、
効率化は効率化の為にするんじゃなくて、
効率化して、非効率なことに使うために効率化するんだって話で、
タスク労働の観点から、本当に必要な仕事を出来るようになる時代が来たってことで、
ちょっとけんすうさんのメルマガも引用しますけど、
***
ChatGPTで人間がやると膨大すぎて出来なかったことをできるようになったよね
2023/03/28
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こんにちは!
一昔前だとブロックチェーン、今だとChatGPTなどの生成系AIやらが流行ったりして、なんか世界が激変しているなーと感じている人も多いんじゃないでしょうか。
このあたりは、思ったより時間をかけて変化していくものだと思っています。YouTubeはリリース時から大きな話題になり、Googleが買収したときには、これはえらいことになるぞ・・・と業界みんなが思ったものですが、ヒカキンさんが出るのはその数年後だし、芸能人とかが本格的に参加するのは日本だと2018年~2020年くらいだったりします。
変化は急にやってきて、ゆるやかに浸透して、急にマスに浸透する、みたいな感覚があります。
さて、そんな最新技術ですが、ChatGPTの破壊的なポイントは何か・・・という一つの見方を今日は書きたいなと思います。
何が破壊的なのか?
いろいろな破壊的なところがあると思うのですが、個人的に最近感じているのは「人が運用してたから限界があったところを突破してしまうところ」だと思っています。
たとえば「毎日、あなたを違う言葉で励まします」みたいなアプリを作ろうと思ったら、少なくても1年分、365個作る必要があります。
そして、それを10年やるとしたら 3650個になります。まあ、やってやれないことはなさそうですが、結構手間ですよね。
これをさらに、1000人のユーザーに全員別の言葉を出したい、となると、3,650,000個必要になります。このあたりから「人には無理かもしれない」となってきます。バイトを雇ったりしても、その管理コストなどを考えると、少なくても「コストと見合わなそう」になるので、普通ならアプリ制作自体を諦めるか、企画を変えたり、運用方法を変えます。
しかし、このあたりChatGPTに頼めばおそらくやれちゃいます。まあ日本語のパターンがそこまであるのか?というのはちょっとわからないですが、すなくても人よりかは作れます。
こういう「人では出来ない規模の運用ボリュームだから諦めてたところ」というのが、ことごとく突破できるので、おそらく多くのサービスやアプリ、運用で活躍することは目に見えています。
たとえば・・・
たとえば、広告のバナーづくりなどです。経験上、100個くらいバナーを作ると2つくらいは数字が良いものが出るので、それを使う、というのをしたいんですが、人の手でいうと、100個作るのはちょっとだるいです。
クラウドソーシングで作るのもいいんですが、それなりに管理がダルいというのもあるし、1つ500円で作ったとしても5万円かかります。そこに、オリジナルの画像を使ったり、コピーライトを考えるとなると、もっとコストはあがっていきます。
これもシンプルに生成系AIなどを使えば簡単に量産ができそうです。すでに、たくさんのバナーで使われている形跡はありますが、非常に相性がいいですね。
あとは、「人が訪れるごとに、全く違うイラストが表示され、全く違う音楽が再生される。そのイラストや音楽は二度と使われない」みたいなことも容易です。人が創っていたら不可能なんですけど、生成系AIを使えばできる。
ちょっと考えただけで無限にアイデアが出てきそうですね!
僕らにある思考の制限
僕らは、どうしてもトレードオフで物事を考えてしまいます。これをやったらおもしろそうだよね、というのがあったとしても「膨大に人がいるから、絶対に無理じゃん」みたいなのは、思考にすらあがらなくなってしまってたりします。
2023年にはいって、突如として思考の枷がはずれたので、戸惑ったりもしますが、考えれば考えるほど「あれ、これできるじゃん」というのがでてきそうなのですよね。
インターネットができたとき、スマートフォンができたとき以来くらいの新しい実験場なので、何も持っていない人ほどチャンスなので、めちゃくちゃチャンスが広がってそうです。
というわけで
ちょっといろいろ思いつくところがあるので、このあたりほってみたいなと思います!
おそらくweb3技術とChatGPTなどの生成系AI、そしてVRはすべて混ざって、まったく新しい体験を作り上げていくと思うので、本当にやべー時代になってきたなと思っているこの頃です。
アル開発室でも、そのあたり、実際にやった結果などを大量に発信していきますー!では!
***
ってことなんですよ。
僕含めていろんな人が「指示待ち、時間切り売り人間」はいらなくなるっしょ
って言ってるのは。
電卓あるのに、そろばんにこだわるのはほぼ意味ないけど、
ワープロ、PCとプリンターがあっても手書きの手紙にこだわるのは
前者とは少し意味が違うと思う。
それってどういうことなんだろう?って考えてみたら、
心に残るのは心なんだなってことだと思うんですよ。
完璧に整ったコンテンツが心に残るなら、ボカロのピッチ完璧な歌が一番心に残るはずなんで。
だから僕たちはこれから「人がやる価値のある仕事」をしていくにあたって、
クリエイティビティを発揮して、共感をうむものを作っていかなきゃいけないし、
しっかりとしたコミュニケーションをとっていかなきゃいけないと思っていて。
昔、インターネットが本格化した20年前くらいに、
友人に、
「今まではハードディスクタイプの人が頭がいいって言われた。単純に記憶量、記憶力。
これからはネットワーク型(ググりゃ答えはでるから)の頭が良いに俺は切り替える」
って言ったことがあるんですけど、
ここからさらに頭がいい、仕事ができる、が変わっていくと思うんです。
本当の意味で共感や心や思いやりやらを大切に生きれる時代になったと思ってて。
だって大体の「(単純)作業 」はAIがやってくれるから、
「機械にできないこと」にフォーカスしてりゃいいんですよ。
だから、僕は今までも「コミュニケーション」を大事にしてきたつもりだけど、
これからもっと重要になると思うんです。
INSTYLE GROUPのみんなが、しっかりとしたコミュニケーションをベースに、
人間にしか、欲を言えば自分にしかできない、仕事をできるようになったらいいなと思ってるんです。
そういうチームでありたい。
結局レバレッジをかけようと思ったら、
投資先は人とITくらいしかないわけで、
だいぶ、人海戦術的な部分での人でのレバレッジはこれからもっと無くなりそうだから、
大体ITでレバレッジかけられるようになりそうだから、
じゃあ、人をわざわざ雇う、一緒にやる理由って本当に少なくなると思うから、
その中でどう価値を出していくか?
僕自身の価値も含めて考えて生きてるんですよ。
その「コミュニケーション」において、
ちゃんと言っておきたいことがあって、
もう一つ、
8つ目ですかね。
・チームの働き方、呼び方、距離感の話
です。
僕ね、異母姉妹が二人いてね。
ずっとその二人に対して、公平性を担保しながらも個々を大事に生きてきていて。
僕は別にお兄ちゃんって呼ばれても嫌じゃなかった人だけど、
立場や役割で呼ばれる事を嫌う人もいるし、
名前を間違われると、呼んでるほうが思ってる以上に気にする人がいるってのは、
妹二人から学んだんですよ。
しょっちゅう間違えてたから、両親は笑。
だから僕は、社長、とは呼ばないし、
みんなを家族・ファミリーと呼んで親父として偉そうにしてる限りは、
それぞれとの距離感と友情と愛情を大事にしたくて名前で呼び捨てしてきてるんです。
それも、ある一定の規模になった時からで、だから初期メンバーにはあだ名が残ってる人が多いんです。
元々は初対面で呼び捨てするような距離感勘違い無礼者じゃないんですよ、僕は。
だからこの記事とかすごく理解できるし、わかるんですよ。
仲良しは本来呼び捨てするし、多少遠かったら年下でも基本俺は外コミュニティの人にはさん付けするし、
敬語で話しますよ。
お前って呼ぶのも本来は嫌いなんです。
本田圭佑の「さん」付け好評に映る「敬語」の大変化 現代の敬語の使い分けは上下関係よりも「距離感」
けど、いきなりだと辛い時も苦しい時もあるし、今だって時に嫌だなと思う時もあるけど、
僕は今歯を食いしばって君達に向かって、
名前で呼び捨てし、お前って言う必要があるフェーズに来ているからそうしているんです。
一つは前述のように、公平性を担保したいがために、歳下はという括りをつけてはいるけど(ほぼ全員が歳下になるくらいにはジジイになったし)全員を名前で呼び捨てていて、
そしてさんやくん、ちゃんをつけないで、呼び捨ててる理由、お前、
って言う理由は、
社長陣には共有したことあるけど、
「社長陣がまだ優しいじゃなくて、甘いから、俺が父性・強さを発揮しなきゃならない」
からこうしてるんですよ。
このグループが、僕がこの強さや父性を発揮せずとも、
まとまり、秩序ある自由が謳歌できる日が来るのを僕は日々待っているけど、
まだまだ「名ばかり社長」がいい顔したいだけで優しいと甘いを履き違えていることも多い今日この頃、
今日も僕は歯を食いしばって君達を名前で呼び捨てし、お前という時は言い、
それでもファミリーとして心から尊敬して尊重して、愛してることが、
君たちに曲がりなく伝わればいいなと思っています。
また数年したら、僕のみんなへの接し方、話し方が変わっていくかもしれないですが、その時は、その時必要なことだと思って、僕はそうしていると思って、したくて無礼をしてるわけじゃないことは理解してほしいけど(これ以上無礼にはならないけど)、今の、例えば「ほぼ初対面でいきなり呼び捨て」は僕だったら嫌だしな、って思うのと、覚悟も考えもなく、僕の表面的な真似だけして呼び捨てする社長が増えたから(同僚で呼び捨てやらは良いと思ってるんです、お互いの関係値で決まってるんだろうし、それこそ初対面の関係値がまだない時に呼び捨てするような奴いないと思うのでね)、ここで僕がその原因を作ってしまったことを謝っておかなきゃいけないなと思ってね。
ごめんなさい。
意図としては前述のような意図と気持ちでやってることなんですが、一部で意に沿わない事も起こっていて、申し訳ないです。
どこまで行っても僕は、全てのコミュニケーションには(I love you)と(Fuck you)のどちらかが付いてると思ってる人間なもんで、
呼び捨てでも(I love you)だと思ってやってるし、さん付け敬語でも(Fuck you)なら問題外なんだけど、
これだけ形式基準じゃなくて実態基準で思考停止せずに考えろって言い続けてきてるのに、形だけ真似してる奴が出るのにも困ったもんだなと思って日々修正かけてます。
呼び捨てやお前が悪いんじゃなくて(ある意味悪いんだけど、、、)関係値とバックグラウンドのお互いの考え無しが嫌なんですよ。
極論セクハラ・パワハラのくだりもそうで、
一番楽なのは全部セクハラ・パワハラしないことで、呼び方も全員苗字にさん付けで問題は起こらないですよ。
その代わり、きっとイノベーションも起こらないし、僕がなんの為に人と働くのかわからなくなると思うから、結局そうはしないけど。(セクハラ・パワハラしたいわけじゃないですよ、念の為。各自との距離感、関係値の強度に敏感な僕でいたいだけ)。
結局そうなると、じゃあ僕も敬語と苗字にさん付けで話すようにしたら問題は起こりづらくなるけど、
この間のメビウスチームでの飲み会の時に、
苗字呼びするだけで笑いが起きるようになったことをとても感慨深く思いながら、
「だいぶウチっぽいチームになってきたな、普通の会社では普通なこと(同僚を苗字で呼ぶ)をして、笑いが起きるって笑」
て話してたんですけど、
そういうものが失われてしまうのが嫌なのかなと思うんですよね。
大人になって友達と毎日遊ぶのはキツいけど、
友達と毎日遊ぶように仕事が出来たらいいなって理想を生きてるんですよ、僕は。
だから会いたい人と、一緒にいたい人とだけ仕事してるんです。
お金や何か他のモノのために我慢して一緒にいたくない人と、
遜ってお願い申しあげて働いてもらう気もないし、
居丈高に働かせてやってると思いたくもないし。
だからどこまでいっても、投資先行だし、すぐ肩書きや環境を先に与えて期待してしまうのは社長に対しても社員に対しても同じだけど、前述のように、過大評価・過大投資と、過小評価・過小投資なら、
会社や僕が損してでも前者でいたいんですよね。
そこを「社長」などの肩書きが素直なフィードバックや関係構築を邪魔をすることは、僕の本意ではないので、改善すべきところは改善しながらみんな幸せに働いていけたらと思っています。
だから、僕に対してでも、難しいかもしれないけど、外のしょうもない人に言われる前に、注意してもらえるとありがたいです。
そんなわけで、注意について。
9つ目、
・人は死ぬ、企業も死ぬ、死を意識しないとダメなら・・・?
ホワイトすぎて辞めたいって話がありまして、最近の新卒とかに。
さっきの「フリーランス」のXもそうですけど、
要するに、成長できないとやばいって話で、ウチはぬるま湯に浸かろうと思ったらしっかり浸かれるので、
ある時、全然力ついてないじゃん、ってならないように、って話で。
逆に、強くなろう、成長しようと思ったら、
めっちゃできるグループでもあると思ってるんで、
「学校じゃない、強制しない」って長短両面の短所の部分の話かなと思ってるんですね。
で、結局、世の中には人は死を意識しないから、普段生きてる実感って特に湧かないって話が多いわけですよ。
だから、いつでもメメント・モリ、死を想え、とは言わないけど、
それでダラダラと時を過ごして、気がついたら竜宮城から帰ってきた浦島太郎みたいになるくらいなら、
死を意識させた方がいいのか?ってなってしまって、
それって企業だと倒産、個人だとクビなんだけど、
そんな脅迫みたいな経営嫌なわけですよ、僕は。
このままだと潰れるぞー
とか
このままだとクビだぞー
とかね。
だから、
みんなに幸せでいて欲しいと思うけど、
ずーっと言ってる、
(時によって言葉数や表現はまちまちだけど)
「素直な思考停止しない、いい奴が、主体性・積極性・自主性を発揮して、
行動、アウトプットを増やし、フィードバックを正しく受け入れ、
良質なコミュニケーションの元、成長・達成・獲得のサイクルを回していく会社。
経営者マインドや当事者意識を持って、一生懸命働いて、結果を出す組織。
なのにホワイトで休みが多くて給与・待遇がいい。
みんなが楽しそうに、仲良く助け合いながら働いて、結果出してる会社。」
に向けて、どう生きていくかをいつも考えてるんです。
忘年会お断りAIが幅を利かせてきたこのご時世に
「忘年会お断り文章生成AI」登場 約200文字の欠席理由を自動生成
「チームで」を強調して経営してる理由は、みんなに幸せでいて欲しいし、
僕の幸せは上記の理想の組織を体現することなんですよ、きっと。みんなと一緒にね。
だから考え続けるし、努力し続けているつもりなんです。
死を意識しないと生を感じないなら、
倒産や解散、解雇を意識してゴーイングコンサーンすることになるけど、
そんなくだらない組織にしたくないから、今日もぬるま湯と思える組織環境を作りながら、
そこに甘んじない奇跡の人材と成長したいと思って生きてるんです。
毎度無茶言って申し訳ないけどね。
新オフィスに向けて話した、5人組も同じで、
成長、達成、獲得のサイクルを回して欲しい、
行動して、アウトプット増やして、違う視点からもフィードバックを増やして欲しいからです。
てわけで10個目、
・5人組について
これは、前にも言った通り、
平均年収1千万を目指して、キャリアパスを主体に、
各リーダーが、最大4人の面倒を見る、スモールユニットです。
ユニットを基準にキャリアパスを考え、
協力していこうと思っています。
詳細はやりながら整えていきましょう。
最後、11個目。
・終わりに。
途中で7個くらい書いた辺りからもう開き直って11個にしたよね、無理やり。
以前、INSTYLE GROUPで配信していたPodcast番組の社長工場とかで、
「なんか値付けとかで困った時とか、こじつけ的な数字があると、何かと説明要らないから楽なんだ」
みたいな説明したことがある気がするんですけど、結果として苦しめられることもあるんだなって思いましたよ笑
参照:https://ceo-factory.com/podcast/031/
冒頭で伝えた通り、
新年度が開始しました。
そして、はや1週間経ちました。
もう引っ越しまで、半年もありません。
着工が伸びに伸びてるけど、8月末に引っ越すとしたって、多分これから5ヶ月くらいが最大猶予期間でしょう。
毎度同じようなこと言うけど、
あと5ヶ月で、ひとつのところに集まって、
全員で最大の効果を発揮できるようになるためには、どうしたらいいか、
今から明日そうなったら何に困るのか、何ができてないのか?
それが引っ越しまでのタスクリストです。
素直な思考停止しない、いい奴が、主体性・積極性・自主性を発揮して、
行動、アウトプットを増やし、フィードバックを正しく受け入れ、
良質なコミュニケーションの元、成長・達成・獲得のサイクルを回していく会社。
全員が経営者マインドや当事者意識を持って、一生懸命働いて、結果を出す組織。
なのにホワイトで休みが多くて給与・待遇がいい。
みんなが楽しそうに、仲良く助け合いながら働いて、結果出してる会社。
(前述のように、ちょっと改定したけど)
に向けて、それをひとつところで実現するのに何が足りないか、
僕に何が足りないか、会社に何が足りないか、みんなに何が足りないか、
どうしたらもっと良くなるか、
どうしたら昨日より今日、今日より明日、
0.4~0.5%の改善をしながら週2%、目的地に向かって進んでいけるか、
考えながら、たくさん行動しながら、話し合いながら、引っ越しを迎えましょう。文字通り、大きく変わるので、大変な事も多いと思うけど、頑張りましょう。
あの場所でみんなと働ける日を楽しみにしています。
いつもありがとう。
INSTYLE GROUP 代表
西村豪庸