金子拓也 (経営学准教授 )
執筆年: 2017年 肩書および役職は執筆当時のもの
2016年、世界では多くの「変化」がみられた。中国の景気の低迷や原油価格の低下、また、英国のEU離脱やアメリカの大統領選挙などが挙げられる。こうした中、市場でも急激な価格の「変化」が訪れた。また、任期満了まで一年となったオバマ大統領のスローガンも「変化」であったことは、記憶に新しいだろう。2016年度にオックスフォード大学でEnglish as a Medium of Instruction (EMI)プログラムに参加して以来、私の授業の指導にも様々な「変化」が訪れた。ここでは、この「変化」を紹介したいと思う。
私は、国際開発金融機関での職務経験を経て、2013年からICUで働いている。現在は、コーポレートファイナンスや資本市場、リスクマネジメントに関する学問的内容に加え、私の人生経験を学生に伝授しながら、教員生活を楽しんでいる。2015年に、私は授業の指導言語を日本語から英語に切り替えることにした。私の分野では英語での指導には多くのメリットがある。金融の世界は広く、世界の金融状況をウォ-ルストリートジャーナルやファイナンシャルタイムズなどの新聞を読み、把握しておかねばならない。授業を英語で指導すれば、このような新聞の記事を翻訳せずそのまま授業で紹介することもできる。私は当初、アクティブラーニングの実践に苦労したが、オックスフォード大学でのEMIプログラムによって授業指導の技術を身につけることができた。
私は2016年度からEMIプログラムで学んだ指導技術を授業で実践しており、授業の質が向上したと実感している。EMIプログラムで私は、学生とのコミュニケーションの大切さ、また、それに必要な学習環境づくりの重要性を学んだ。それまではこういった点に注目して指導にあたったことはなかった。シラバスに記載された内容に沿って、そこから逸脱せずに授業を行なっていた。コーポレートファイナンスを取り上げた際には、学生の関心など視野に入れないまま例となる会社の事例を提示していた。また、必要以上にテストの形式をとることが多かった。しかしこのようなやり方では、教員と学生の間に不必要な緊張感が生まれ、信頼を育むことはできなかった。また、私は授業を円滑に進めることのみに執着していたために、学生の興味や関心を視野に入れることはなかった。こうした授業は、いかに内容が密であっても質の高い授業とは言えない。よってここでは、まず英語を指導言語とする理由を説明し、オックスフォードでのEMIプログラムの内容と自分の授業への影響を述べ、アクティブラーニングに有効なテクノロジーを紹介する。また、最後にアクティブラーニングを通して育成される集団的知性の重要性を述べる。
金融に関する授業を英語で指導する最大のメリットは、新聞記事を有効活用できることだろう。金融の世界は広く、常に世の中の動向を追っていかねばならない。それには、翻訳をしている時間はない。アメリカ市場での動向は、日本を含む世界中の国に影響する。例として、トランプ氏の大統領選勝利により日経平均株価が急落した。このように、世界の動向は瞬時に金融に反映する。こうしたニュースが日本のメディアに流れるのを待っていては、企業にとっては手遅れになることだってある。こうした理由で、私の授業では英字新聞を読むことが推奨されており、指導言語も英語とされている。
2016年に参加したEMIプログラムは、8月15日から26日までの約2週間開催された。三つのパートからなるこのプログラムでは、まず、脳や認知の視点から、基礎的な教育理論が取り上げられた。次に、オックスフォード大学での実践例のビデオなどを見ながら、多くの事例研究を行なった。最後は、指導者や参加者の前でプレゼンテーションを行った。また、意見交換などを通し、プレゼンテーションの改善を目指した。
ここでは、私が最初のパートで学んだ教育理論を、記憶を辿りながら紹介したいと思う。まず学生の理解については、脳が物事をどう記憶するか、ということを理解することが大切である。脳の記憶を司る部分は、短期記憶(STM)と長期記憶(LTM)の二つに分けられる。Atkinson and Shiffrin (1968)によるこの多段階貯蔵モデルによると、インプットされた情報は一時的にSTMに入れられた後、それが印象的な情報だった場合、自動的にLTMに移行される。この情報の移行が、授業効果を上げる鍵となる。
言ったことをもう一度繰り返す、といった方法は、こうした移行を促すためには非常に有効である。またこれに加え、数値、写真、映像などの視覚的情報、製品を実際に見たり触ったりする動的な学び、パラフレーズ、専門用語のわかりやすい説明などを導入することも授業効果の向上に繋がる。私は去年の秋学期からこうした手法を実践しており、授業に良い変化をもたらしたと実感している。
EMIプログラムでは多くを学んだ。そして今、私はそこで学んだことを全てのクラスで実践しようと試みている。結果、学生との関係性に変化がみられた。いまでは、学生の発言や間違いへの不安を取り除き、発言を促すようにしている。学生の発言が少ない場合は、少しずつヒントを与え、学生間の意見交換も促すようにしている。無論このためには、学生同士の関係性を考慮し、緊張を解きほぐすためのアクティビティーなどを行うことも重要である。こうして、学生が安心できるような環境づくりを意識することで、驚くほど学生の発言量が多くなった。
また、学生はしばしば授業内容の実用性を知りたがる。しかし金融という分野は、物理的に存在しない事柄を扱うものである。そこで私は、ブルームバーグやロイターを通し、金融市場の動向やヒストリカルデータを紹介している。実際の市場の動向を専門的なプラットフォームを使って紹介することで、授業に実用的な側面を取り入れている。また、学生がこうした高額なツールを使用することは難しいため、携帯電話などで使える無料なものを紹介したりもしている。
多くの学生は、ソーシャルメディアを媒介に様々な人と繋がっている。私はこうした中、携帯電話の使用を全面禁止にするのではなく、授業でいかに効率的に使用できるか、と考えた。そこで、授業によっては学生に携帯電話で様々な企業の財務状況を調べさせ、比較させるというようなアクティビティーを行っている。また、アクティビティー中は個人的なメールや連絡を禁止させるといった規則を提示することで、学習の効果の向上につながった。
現に私はこれまで財務状況の比較などを行う際、トヨタ自動車、HONDA、日産などの自動車産業や、パナソニックやシャープ、東芝などの電子産業を、日本の一流企業として挙げていた。しかし学生に調査を任せると、Netflix、 Google、Amazon、 Facebook、Airbnb、Uberなどが挙がり、学生が関心を持つ企業と、以前私が例として挙げていた企業にずれがあることがわかった。このように授業のスタイルを変えたことで、学生がより先進的な取り組みに関心がある、ということに気づかされた。また、学生が携帯電話で出席を伝えることができるKahoot!を利用し始め、学生同士の自己紹介などにも活用している。
アクティブラーニングは集団的知性の育成につながる。たくさんのトレーダーが影響し合う株価も集団的知性の一種と言えるだろう (Kaneko and Hisakado 2016)。私は現在これをテーマに論文を執筆している。例として、1986年1月28日のチャレンジャー号爆発事故が挙げられる。事故発生から6ヶ月経って行われた事故原因の公式発表を待たずとも、株式市場の動向を観察することである程度原因となった企業を特定することができた(Surowiecki 2005)。また、英国のEU離脱やアメリカの大統領選挙でも、市場の動向は、予想外の結果が起こる可能性を示唆していた。こうした結果は、マスメディアによる情報操作や、妥当性の低い調査結果に起因するかもしれない。しかし、大学の教室においてはいかなる意見や質問、コメントをも受け入れ、それを活用しながら授業を進めねばならない。これからは学生と良好な関係性を築き、時に携帯電話の使用を許可するような安心感のある学習環境づくりを目指すべきである。
Atkinson, R. C., and Shiffrin, R. M. 1968. Human memory: A proposed system and its control processes. In K. W. Spence & J. T. Spence (Eds.), The psychology of learning and motivation (Vol. 2, pp. 89-105). New York: Academic Press.
Kaneko, Takuya and Hisakado, Masato. 2016. Patent No.5953416 Japan.
Surowiecki, James. 2005. The wisdom of crowds. New York: Anchor Books.
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