ところさんの一日

氏名: 所 孝一 (ところ こういち)
愛称: こういっつぁ
年齢: 86 歳

本巣市根尾越卒 (おっそ) 地区にて大規模農業の傍ら、農業機械の修理を行う。その屋号は所機械 (ところきかい) 。近所だけでなく、30km 離れた山奥の地区からでも修理の依頼が舞い込む。かつては物資が不足し道具を修理して使うことは当たり前であったが、現代では「買い替える」という習慣に変容している。農具の修理を通じて、現代における意味合いや地域における役割の解読を試みる。

<幼少期〜見習い>

もともと機械が大好きで、小学の頃に竹の筒で懐中電灯を作ったりした。6年生の時は運転手になりたくて、机にハンドルとかを取り付けて、ひどく怒られた。中学の頃にはギターが流行っていて、針金で作ったりもした。中学を出たあとは、マンガン採取や木を割る仕事をしていた。木を割るのは徳山で、冬までの半年間。初めて親から離れて寂しかったし、ありがたさもわかった。周りはみんな岐阜に行ったが、自分は行くとは言わなかった。二十歳から5年間は鍛冶屋の見習いとして奉公していた。その親方が使っていた吹子(手動の送風機)は、まだここにある。当時、親方が作った道具は樺太でも使われていた。

そのあとは、岐阜大学近くの農業機械の販売店でセールスマンとして働き出した。農業機械が出現した頃のこと。当時は、まだ機械が珍しくて、使い方を教えたり簡単な不調を直したり。みんなが扱いに慣れていないから、1年間放置して掛からなくなる。最初は普及のための教育が多かった。教えてもらいながらやった。次男もそこで勤め出してから、自分は辞めた。

<今の作業場について>

この家は、もともと宿屋で明治30年頃の建物、築120年くらい。当時、入り口すぐには6畳ほどの厩(うまや)があって、農耕のために馬を飼っていた(牛を使うようになったのは、もう少し後の時代とか)。

玄関入ってすぐの柱には、馬が逃げて行かないように、横棒を通すための四角い穴がある(消火器の上下)。

作業場には手作りの囲炉裏。不要となった羽釜が活用されている。

ヤカンではお湯を沸かしている。沸かしたお湯で缶コーヒーを温めたり・・。

こちらは、ペール缶で手作りしたストーブ。

煙突の先には、不要になった農機具の部品が使われている(脱穀機の穀物を貯めるためのタンク部分)。

板が敷いてある場所は「芋穴(いもあな)」。地面に穴を掘った構造で、冬の寒さから芋を守る貯蔵庫。

後日、「根尾村史」で調べると記載があった。寒い地域ならではの知恵が、いまだに実践されている。

<農機具の修理>

修理は、小遣い稼ぎ程度。田んぼは4ha(40,000m2)で、3分の2は個人に販売、残りは農協に出荷。長男は、農業を一緒にやってくれているけど、修理を継ぐつもりはないらしい。

たくさんの工具。

なんでも置いてあるのは、「お客さんが何を必要としているかわからない」から。仕事でそう教わった。




おもちゃも大切な商売道具?


この時期は冬支度で薪を切るから、チェンソーの修理が増える。でも最近の機械は触りにくい。電装部品はわからん。ホームセンターのやつは直しにくい、大量生産のものは作りが違うから。販売店のものは高いが壊れにくく、直しやすい




「エンジンの掛かりが悪いな。これを外したいけど、外れんな〜。ぬかれずんば、ぬかしてみせよう・・!」

<突然の訪問者>

夕方に突然の訪問者。「家の改装をして余ったから、要らないか?」と、斜向かいのおじさん。サブロクの合板を2枚と畳5枚。おじさんは、元のたばこ屋。30cmくらいの長いタバコをよく買った。

合板は何にでも使えるし、畳は畑に敷いて草の抑えに使うとのことで引き受ける。なるほど、そういった役割もよく認知されているわけだ。

<修理の続き>

コイルと磁石の隙間を調整する。

スターターを引っ張って、本体ごと持ち上がるくらいでないといけない。こいつは、紐が出てきてしまうから「圧縮が足りない」ということ。以前にも、この部品(イグニッションコイル)を構って(取り替えて)いるから、直してやりたい。機械に対する愛着を感じる。

軸を抜くためにあらゆる方法を試す。ヤカンで沸かしたお湯をかける。熱で変形して緩むことを狙っているようだ。知恵を与えれば、ヤカンのお湯も立派な道具になる。

引き抜き器(ギヤプーラー)で試す。引っ掛かりがなく、てこずる。

ようやく引き抜けた。ひとまず掃除。

キャブレター周辺を確認。

エンジンは掛かるようにはなったが、まだ本調子ではない。

気がつけば、あたりはすっかり夕暮れ。



・・・今日はここまで

IAMAS Community Resilience Research, 2022