というわけで皆さんどうもこんにちは、周南市民botの中の人NO.2、瀬戸内しなとでございます。
今回は回天について、初めての人でも分かりやすいように解説していきたいと思います。
回天とは
魚雷に大量の爆弾を搭載し、人間が直接操縦して敵艦に体当たりをする特攻兵器です。太平洋戦争の末期”天を回らし、戦局を逆転させる”という願いを込めて誕生しました。
「回天」の基地が置かれた山口県周南市にある大津島には、全国から20歳前後の若者が集まり、毎日訓練を受けていました。そして、祖国を守るために出撃していきました。
「回天」には1.55トンの炸薬が装備されており、これは「回天」の元となった九三式酸素魚雷の約2倍であり、大型戦艦でも一発で沈めることができました。
「回天」は一度潜水艦から出撃すると、体当たりに失敗しても回収されず、脱出装置もないため乗り込んだ搭乗員は二度と帰ってくることはありません。
大津島には、「回天」搭乗員の遺書・遺品関連などの資料を展示してある回天記念館もあります。
昭和43年に開館し、展示スペースの拡張、周辺整備を行い平成10年にリニューアルしました。
回天記念館
回天一型レプリカ
平和記念の鐘
その他大津島には数多くの遺構が残っています。
回天運搬用トンネル
回天を整備工場から訓練基地に運搬するために使われていました。
中には回天が常時2,台ほど置かれていました
「回天」に関する当時の写真も展示されています。
回天訓練基地跡
この基地は、大分県から船舶で曳航してきた8個の大型のケーソンと、大津島の現地で制作された5個の小型のケーソンを組み合わせて建設されました。
昭和19年9月以降から訓練基地として使用が開始されました。
この施設は全国で唯一残っている「回天」の訓練基地です。
2階に司令官手作りの演習機が置かれていました。
基地プラットフォーム
回天昇降クレーン基礎
回天運搬の海岸ルート
トンネルが完成するまでは、訓練基地までこのルートが使われていました。侵食がかなり激しいですが、一部場所ではコンクリートの残骸を見ることができます。
壁
秘密保持の為、島民が通る道と工場の間は壁で仕切られていました。
今はアスファルトの舗装などで道がかさ増しされてあるため、海が見えていますが、当時は全く見えない状況でした。
魚雷見張所
鬣山山頂の手前に、酸素魚雷の性能を確認するためにあります
魚雷見張所の内部
最後に
「回天」は鉄の棺桶です。一度潜水艦から出撃すると二度と帰って来ることはありません。戦死した搭乗員はまだ20歳前後というあまりにも若い年齢でこの世を去っていきました。戦死した搭乗員の遺書には「家族を守りたい」「祖国を守りたい」という純粋な願いが書かれていました。皆さんはこのようなことが書かれた遺書を見てどう感じるでしょうか。実際に大津島に足を運んで、ゆっくりと「回天」について考えていただきたいです。
戦争は今も世界各地で起きています。ウクライナ、パレスチナ、イラン。これ以上若く、尊い命がなくならないことを祈っています。
配信日:2026年9月01日