キーワード:沖縄戦 食糧不足 芋 昆虫食
ひめゆり学徒隊の生徒たちは、
一日におにぎり一つしか食べることができなかった!
⇒ 沖縄の一般住民の食事はどのようなものだったのか?
戦時中の沖縄の住民にとって重要だった食物とは何か
・戦時中の沖縄の住民の栄養状態が具体的に明らかにされていないため、国頭(くんじゃん)村での一例をもとにまとめる。
・当時の住民にとって重要だった食物を探ることで、これから起こるかもしれない食糧危機に備え、教訓とする。
・食事内容には地域差があるため、データとして多く取り上げられている国頭村に着目して調査する
・本やインターネットで沖縄の戦時中の食事、またその栄養についての情報を収集する
国頭村では、米1合(150g)、豆5勺(75g)、塩は3人で杯1杯、白糖は2人で杯1杯、魚缶詰は16人1缶という量が配給されていました。(ここで示されている杯の容量は不明だが、ここでは大さじ1杯とする。)
この当時の人々の身体活動は活発であったため、15〜17歳の男性では、
穀類550g、豆120g (4つの食品群の年齢別・性別・身体活動レベル別食品構成より)が必要になります。
そのため、この2品目だけでも必要な量を満たせていないうえに、ビタミンなどはほとんど摂取できていないため、人々は深刻な栄養失調であったことがわかります。
もちろん配給だけでは十分でなく、植えた芋や米も収穫は数ヶ月先というころ、人々は掘り残しから芽吹いた細い芋、バッタやカエル、ミミズを食べて飢えをしのいでいました。
山中での避難生活は特に困難を極めたようで、周りには食べ物が何もなく、他人の畑から取った芋もなくなると、桑や芋の葉、ヘゴやパパイヤの芯、カタツムリ、カエル、ドングリなどを食べて飢えをしのいだという人もいれば、村の農作物はすべて取り尽くされ野草、ソテツ、椎の実、ヘゴ、川魚、青大将、やもり、ミミズを食べて飢えをしのいだという人もいたようです。
ここから、配給は主に米であったが、人々の食事をすべて賄えるような量はなく、人々の主食は芋になっていて、さらに不足分を昆虫や植物を食べて補っていたのだと考えられる。
調べられる範囲で、当時の人々が食べていた食品の栄養価を表にまとめてみた!
この表を見て分かる通り、米やさつまいもは、炭水化物を摂取するうえで必須であり、大豆もエネルギー・タンパク質・脂質の摂取には最適といえます。
しかし、イナゴを主とする昆虫の栄養素も非常に優秀!
これは100gあたりの栄養価であるため、そもそも昆虫を100gも捕れるのかという問題もあります。沖縄ではタイワンツチイナゴという非常に大きい種が一年中見られるため、私は1日に10匹ほど捕ればいいと思えばそこまで難しくないのではないかと思ってしまったのですが、実際に餓死してしまう人はたくさんいたため、そんな簡単にはいかないのでしょう。
そこで、一日に米150g、大豆75g、細いさつまいも1本(100g)、イナゴ(10g)が2匹、かえる(30g)が1匹捕れたと仮定して標準の栄養状態(15〜17歳、身体活動量Ⅱ)と比較してみたところ、次のグラフのようになりました。
以上より、戦時中の住民にとって重要だった食物は、栄養豊富で比較的手軽に手に入る、イナゴなどの昆虫だったのではないかと考えます。現在も昆虫食は注目されていますが、実際に食糧不足の非常に困難な状況の中で活躍していたとわかると、これから私達の身に食糧危機が降り掛かったときにも、とても頼れる味方になりそうですよね。
https://neverforget1945.hatenablog.com/entry/1945/07/24/000000
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jpsa1964/15/6/15_6_308/_pdf/-char/ja
https://fooddb.mext.go.jp/details/details.pl?ITEM_NO=11_11242_7
https://semitama.jp/column/3167/
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jpsa1964/15/6/15_6_308/_pdf/-char/ja