南材小の3.11
このサイトは2011年3月11日に発生した「東日本大震災」に関して、当時の南材木町小学校の様子を記録に残すためのものです
このサイトは2011年3月11日に発生した「東日本大震災」に関して、当時の南材木町小学校の様子を記録に残すためのものです
【震災発生時の校長・関東正春氏の記録から】
3月11日(金)午後2時46分 東日本大震災発生
マグニチュード9.0 震源地は三陸沖
最大震度7(栗原市) 震度6弱(若林区)
午後2時52分に仙台市に大津波警報発令
・南材小は全校児童が下校前で在校していた。
・校庭は改修工事のために使えず、校舎内の各教室にとどまる。
・地展直後には雪が降り出して寒くなる。
・地震直後から、保護者が次々に来校して児童を引き取る。
・児童の引き渡しが終了したのは、午後8時半であった。
・午後3時 初期避難者来校
・午後3時半 南材地区防災対策本部設置、避難所開設宣言
・午後5時 避難者数、約400名
・午後6時,避難者数、約800名 その後増加し、約1000~最大1200名が避難してきた。
・体育館と校舎内の多目的室6教室分を開放。
・電気、水道、ガスは使用不可能。
・教職員の一部は、数日間にわたって学校に泊まり込んで避難所運営に当たることとなる。
・校舎に甚大な被害はないものの、コンクリートの一部崩落、壁の亀裂は多数
・図書準備室の大きな本棚の崩落、理科室や家庭科室の備品の損傷などが見られた。
・避難所となった体育館の損傷は、全くなかった。
【震災発生時の南材小校長・関東正春氏の記録から】
・避難所運営委員会が設けた役割
委員長、副委員長、施設管理責任者(校長)
総務班、名簿班、連格広報班、食糧・物贅班、教護班、衛生班、警備班、医療班、庶務班、ペット班
・その他ボランティアは避難した人から募り、高校生や学生、青年など20~30名が集まった。
・福島第一原子力発電所で 事故発生
11日(三時半ころ津波到達)
12日(一号機原子炉建屋で水素爆発)
14日(三号機水素爆発)
朝の災対本部1
朝の災対本部2
災対本部長 朝のあいさつ
朝方の避難所
朝食の準備
避難所運営委員会
朝食の配布1
朝食の配布2
トイレの前に水を用意
ボランティアの募集開始
ボランティアの受付
すぐに残り少なくなった備蓄倉庫
豆腐店からの差し入れ
仮設トイレの組み立て・設置
仮設トイレの表示
夕方の避難所
臨時休校のお知らせ
校舎内の避難所
避難所前の清掃
昼頃の避難所
13日の新聞報道1
13日の新聞報道2
13日の新聞報道3
13日の災対本部
【震災発生時の南材小校長・関東正春氏の記録から】
・学校臨時休業 3月14日~3月23日
・児童の安否確認、休業中の所在地の把握、通学路の安全確認のために家庭訪問を実施する。3月15日~18日
教職員打ち合わせ1
教職員打ち合わせ2
昼の避難所
15日 朝食の配布
15日 夜の避難所
16日 昼の避難所
【震災発生時の南材小校長・関東正春氏の記録から】
3月20日(日) 避難所を閉鎖する
保護者有志と地域住民、教職員とで体育館の清掃作業を行う。
3月24日(木) 修了式、集団下校
3月25日(金) 卒業式(余震の心配があるために規模を縮小して実施する)
3月26日(土)~4月10日(日) 学年末始休業日
新年度の始業式は、学校の被害状況に応じて実施することとなる
4月11日(月) 始業式(午前)・入学式(午後)
4月12日(火)~15日(金) 給食が提供出来ないために三校時限とする。
余震対策として、教職員による登校指導と集団下校を実施する。
4月中に地食・津波、原発事故により県内外から二桁の転入児童あり。
4月18日(月)「簡易給食(パンと牛乳)」の開始。通常の授業を行う。
5月 6日 主食給食(パンかごはん、牛乳、黒ーズやふりかけなどの簡単なおかず)に家庭からおかずを持参する。
6月 1日 完全給食が再開する。
3月25日 卒業式
4月11日 入学式
パンと牛乳のみの簡易給食
6月1日 完全給食再開