■連坊小路小学校の所在地
〒984-0052
仙台市若林区連坊一丁目7番27号
■学校長 五 十 嵐 昌 広
■TEL 022-256-6384
■FAX 022-792-8602
■E-mail renbow☆sendai-c.ed.jp(☆→@)
■連坊小路の由来
今から約1200年前の奈良時代,現在の木ノ下には金堂や講堂・七重塔などを配する陸奥国分寺と,それに付属する100を超える堂宇があり,その規模は,西は現在の五橋,南は南鍛冶町,北は仙台医療センター(宮城野原)の辺りまであったとされている。
しかし,文治5年(1189)に源頼朝が岩手県平泉に強い勢力を有していた藤原泰衡の軍勢と戦った際に焼かれてしまったと言われ,その後再建された僧房が連なり,江戸時代には陸奥国分寺に向かう通り道が作られたことから,「連坊小路」の名が生まれたと言われている。
■校章・校木・シンボル(昭和14年の火災により、記録が消失し、制定の由来は定かではない)
【校章】
【校木】・・・樫の木・・・
【シンボル】 いちょう
連坊小路小学校の長い歴史を物語るものの一つに,校庭のいちょうの木がある。大正元年頃,今の光寿院の境内にある大いちょうの幼木と近所の方のいちょうの木を譲り受け,植樹したものである。(開校百周年記念誌から)
■校風
本校は,教育先覚者 木村文明氏の熱意により明治19年10月15日,新寺小路「大林寺」の境内に誕生した。明治36年4月1日に市立尋常小学校となるまで,16年6か月の長期にわたり 私立または市立代用学校として地域の子弟教育にあたった。その間の経営の苦労が記録に残されている。
沿革史明治25年の欄には,「維持費の欠乏を来たし,廃校の姿となる。この時にあたり当時の職員,町内有志の存続希望熱列を極めついに存続と決し,経費を寄付等に仰ぎ継続す。」と記されている。この事からも経営の苦労の一端を推察することができる。この苦難を乗り越えた設立者,職員,地域の方々が寄せる子どもへの愛情が,今日の本校の基盤になっている。
教育尊重の伝統を受け継ぐ学区民,PTAはもちろん,同窓会,町内会,体育振興会等挙げて児童の教育に深い関心と理解がある。「おらが学校」の思いもそのままに,私立学校当時の精神を今に伝え,子どもの将来に夢を託し,学校教育,PTA活動の運営に物心両面の協力を惜しまない。
子どもたちの学校生活は明朗・活発で,地域,保護者等が醸成する伝統・気風を受け継いでいる。
■ 学区の様子
1 位置
連坊小路小学校は仙台市の中心部に位置し,学区の面積およそ1.5km2である。学区の大部分 は広瀬川により形成された第三段丘上に属し,北は榴岡丘陵,西に大年寺山を望み,東側は宮城野原,南側は荒町商店街から南小泉に至り,住宅地域となっている。
学校の位置は東経140度53分32秒,北緯38度14分58秒で,海抜34.4mとなっている。
2 歴史的背景
学区の中央部を横切る五橋から東へ通じる道路には,江戸時代に薬師堂付近に24の宿坊に連なっていた。この事から当地が連坊小路と呼ばれるようになったと伝えられている。20有余の寺院を集めた新寺小路もそのころの発祥と言われ,連坊小路小学校の学区は今なお門前町の名残を留めている。藩政時代の足軽町を偲ばせる三百人町の名称もそのまま残っている。
3 社会的環境
学区内には仙台第一高等学校や仙台二華中学校・高等学校をはじめとする文教施設があり,教育への関心が高い地域である。地下鉄東西線連坊駅が開通し,幹線道路の整備が進むなど,歴史ある寺町が変貌を遂げている。
■ 令和7年度 児童数・学級数(最新の人数は4月8日以降に更新予定)
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