(すぎやま やすゆき)
みなさんは「貿易」、「国際収支」、「外国為替」といった言葉を聞いたことがありますよね。そうです。これらは高校の「公共」や「政治経済」で学ぶ言葉です。大学の国際経済学では、こういった高校の国際経済をより具体的に掘り下げて考えていくことになります。
経済活動のグローバル化を考える上で、国際貿易については二回の転機があったと考えられています。一回目は19世紀に産業革命とそれに伴う輸送技術の発達によるモノの貿易の拡大です。これは生産地と消費地の分離をもたらしたとされます。二回目はICT革命とそれに伴う情報・通信技術の発達による国境を超えるサプライチェーンの形成です。これは生産工程の分離をもたらしたとされます。
まず、一回目の分離については、デヴィッド・リカード「経済学および課税の原理」(1817年)によるイギリスとポルトガルの間のラシャ(毛織物)とぶどう酒の貿易から考えることができます。ここではラシャを1単位生産するのに必要な労働量もぶどう酒を1単位生産するために必要な労働量もポルトガルの方が少なくなっていました(この比べ方が絶対優位の基準です)。このときイギリスはポルトガルに比べてどちらの生産も不得意なので、ラシャもぶどう酒もポルトガルに生産を任せるのでしょうか。リカードによるとそのような結論にはなりませんでした。もしイギリスがラシャの生産に、ポルトガルがぶどう酒の生産に特化すれば、生産されるラシャとぶどう酒は増えます。そして、イギリスからポルトガルにラシャを輸出し、ポルトガルからイギリスにぶどう酒を輸出すれば、両国ともにより多くのラシャとぶどう酒を入手できる可能性があります。その意味において、貿易はそれを行う双方の国にとって有益であるといえます。
次に、二回目の分離を考えてみましょう。ある製品の生産には、商品企画・設計から、研究開発、部品生産、組立加工、営業販売、アフターサービスまで、様々な工程があります。この工程を一つのつながりとしてみたものがサプライチェーンです。1990年代に入り情報・通信技術の発達により「コミュニケーション」のコストが低下していくと、企業は、例えば、より多くの労働量を必要とする工程を賃金の低い国・地域に移転させることができるようになりました。このような動きがサプライチェーンのグローバル化につながったと考えられています。国境を越えての生産工程のより効果的な配置が可能になったことで、多国籍に展開する企業の生産量はますます拡大していくことになりました。また、為替レートの円高や円安への対応力を高まったとされています。ただし、グローバル化したサプライチェーンについては、自然災害などによる分断のリスクも懸念されています。
以上、経済活動のグローバル化の二回の転機を確認してきましたが、現在もなお、人の移動による「対面対応」のコストは低下したとはいえません。デジタル・トランスフォーメーション(DX)や人工知能(AI)の進展が対面対応のコストにどのような影響を与えるのか、そしてこの影響がグローバル化の新たな転機につながるのかを、これからも注目していく必要があります。
みなさんはここまでの説明を聞いて、何か疑問に感じたことはあるでしょうか。ここでは以下の三つの点をあげておきたいと思います。一つは貿易によって国々の生産活動に特化が生じたことです。イギリスとポルトガルの貿易では、イギリスはぶどう酒、ポルトガルはラシャを自国での生産から輸入に切り替えました。つまり、貿易の拡大は各国の生産のパターンを変化させて、生産地と消費地の分離をもたらすことになります。このような生産パターンの変化に働く人々が十分に対応していけるのかという点を踏まえると、貿易は雇用の問題と関係しているといえます。
二つ目は一国の入手可能なラシャとぶどう酒が増えたとして、それは国民の誰の手に渡るのかという問題です。もしかすると、ある一人が増えた分をほとんど手に入れてしまうかもしれません。逆に、増えた分が国民に均等に行き渡るかもしれません。経済学ではこれを分配の問題と呼び、どのような分配が望ましいのかが議論となります。
三つ目に、生産の特化、世界全体での生産の拡大、輸送量の増加などは、公害や地球温暖化などの環境問題と結びつく可能性があります。貿易の拡大を通じて、環境規制の緩い国で汚染や温室効果ガスを出しやすいモノの生産が増えると、環境は悪化してしまうかもしれません。その意味では、グローバル化したサプライチェーンの脱炭素化(グリーン・サプライチェーン・マネジメント)に向けた取り組みが大切になります。また、環境規制の緩い国と厳しい国で企業がそれを順守するための費用は代わってきますので、そういった点が国際的な競争力に影響を及ぼさないように、温暖化対策の炭素税などの国境税調整についても議論が行われています。
最後になりますが、現在の国際経済は、サプライチェーンのグローバル化による貿易の流れの複雑化、地球温暖化のように国境を超える環境問題、貿易やサービスの国際取引額をはるかに超える投機的なお金の国際移動と価格変動、ますます影響力の強まる国際的なプラットフォーム企業へのデジタル課税など、多様な課題を抱えています。こういった点は一国のみでは対応が難しいため、国際的に公正(フェア)な枠組み作りや制度設計が大切になるといえるでしょう。
参考文献:池下譲治(2023年)『グローバルビジネスの流儀』晃洋書房.
※イギリスとポルトガルの貿易、サプライチェーンのグローバル化など、この記事に書かれていることについては、高校の「公共」や「政治経済」の教科書や資料もぜひ参考にして下さい。
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