(はやかわ たかし)
大学受験を考えている皆さんは「受験勉強は戦略的に…」などと、塾や予備校の先生方からすすめられたことがあるのではないでしょうか?スポーツをおやりになる方なら、ライバルとの「試合に勝つための戦略」を練ったことがあるかもしれません。ゲーム好きの方なら「戦略級シミュレーションゲーム」などというゲームのカテゴリを聞いたことが、多分あるでしょう。「戦略」というコトバは、すでに私たちの日常生活の中に比較的よく浸透しています。
では、「戦略」と「作戦」とはどう違うのでしょう?或いはまた「戦略」と「政策」とは?私たちが日常生活の中で「戦略」というコトバと使う時、何となくは意味を理解しているものの、実はちょっと曖昧な所があるのではないでしょうか?もちろん、日常使いの言葉なら、そもそも、そういう性質のものと割り切ってしまって大きな差し障りはありません。ただ、ここでは、トピックがトピックですので、少しだけ整理しておきましょう。
経営学で「戦略」という時、きわめて大雑把に言えば、それは「相互依存的な合理的意思決定」か「長期的な合理的意思決定」、あるいは「相互依存的でしかも長期的な合理的意思決定」のことです。ここでいう「相互依存的」とは、再びきわめて大雑把に言えば、「決意や行動に“駆け引き”の要素が含まれているような…」という程の意味です。「長期的」とは、「前とは状況が変わって以前の決意を変えなければならなくなる恐れのある時間の幅で…」という程の意味です。「合理的」とは「目的を達成できる見込みが大きな…」という程の意味です。意思決定は推測できると思いますが念の為、「決意すること」とかですね。
「作戦」や「政策(ただし単なる方針ではなく行動計画としての)」は何かといえば、戦略を具体的なタイミングやスケジュール入りで構想したものを、そう呼んでいることが多いでしょう。ただしこれは、経営学分野でそんな風な決まった傾向があるわけではなく、日常的な用語法に準じています。
企業の戦略的意思決定には、「景気」のように、どんな企業であれ共通して意識すべき「環境」と、同じく「ライバル企業」「顧客」のように共通した「エージェント」が(皆さんの日常的な言葉で言い換えると「ルール」と「プレイヤー」でしょうか)存在しますし、ある程度は合理的にパターン化された経営行動(皆さんの日常的な言葉で言い換えると「ゲームの定跡」「勝ちパターン/負けパターン」)が知られています。経営戦略論の授業ではその、どんな企業にでも共通して役に立つ知見を学んでゆきます。
「黒板経営学など役に立たない」「理屈より経験」という方もいるでしょうし、それは完全に間違った考えというわけでもありません。ルールと定跡だけ知っていればゲームに勝てるというものではありませんし、むしろそれだけでは負けることの方が多いでしょう。ですが、ルールと定跡を全く知らない人が、それを熟知している人に勝つのは、そう容易ではない…というより、多分、全く歯が立たないだろうということもまた、直観的感にはうなずけるのではないでしょうか?
経営戦略論を学ぶことを通じて、皆さんはひとまず、「ビジネス」というゲームに参加して競い合うことができる程度の力を身に着けることが出来るでしょう。黒板経営学を学んだら、その先は皆さん、経験とセンスで勝ちを重ねて行ってください。
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「品質不正」という言葉には馴染みが無いかも知れませんが、「自動車部品の性能検査データ改ざん」や「食品の産地偽装」なら如何でしょう?品質不正とは、製品やサービスの品質を実際より良く見せかける等して、意図的に、求められる品質や約束した品質を下回る製品やサービスを提供することです。
不正が起きる理由は一般に、そこに動機と機会がともにあるからで、品質不正の場合、機会とは結局、買手が品質を見抜けないことに尽きます。そしてこの機会に注目すると、そもそも品質を見抜きやすい製品とそうでない製品、すなわち、そもそも品質不正の起きやすい製品と起きにくい製品のあることが解ります。
例えばハンカチや傘は如何でしょう?ハンカチは店頭で手に取って広げた瞬間、サイズや色柄、手触り、縫製など、重要な品質は殆ど全て明らかになります。傘も同様、店頭で開いた瞬間、滑らかに開くか?穴は開いてないか?骨は丈夫か?…と、重要な品質が明らかになります。
では、パソコンやお薬は如何でしょう?ハンカチや傘の品質と違って買う前には判りにくく、買った後でさえ容易には評価できません。パソコンの性能やお薬の効能のように、購入前に評価できない品質は一般に「隠れた品質」と呼ばれ、昔から品質不正の温床と考えられて来ました。
「隠れた品質」を客観的に明らかにする社会的な仕組を一般に「品質シグナル」と呼びます。品質シグナルの代表的なものが、ホテル・旅館の「適マーク」や教員免許など、品質認証や資格・免許の制度です。そして、これらの仕組を用いて「隠れた品質」を伝えようとする努力を「品質シグナリング」と呼びます。
皆さんが日ごろ目にする広告やブランドも、実は重要な品質シグナルの1つです。もちろん、広告やブランドは売手・企業の販売促進の手段ですが、実は客観的・中立的な品質シグナルとしても機能しています。
考えてみてください。どんなに有名なブランドの商品であれ、広告で奨められた商品であれ、皆さん、一度買ってみて嫌な思いをしたら、もう買わないでしょう?一度で嫌になるような商品で評判の良いブランドは築けませんし、買ってもらえない商品の広告は費用が利益を上回るため続けられません。
有名な売手・企業が広告し続け、ブランドを守っていられるのは、繰り返し買ってくれる買手・消費者やブランドを支持する人の方が、一度きりで去る買手・消費者やブランドを拒否する人より多いからです。一方、そういう売手・企業が皆さんを裏切った時には、無銘で広告していない企業よりも大きな損失を被ります。未来の利益を失うだけでなく、それまでに広告やブランドに実際に費やした多くの費用と時間も無駄にすることになるからです。
分別のある企業なら、ブランドや広告でやっと得た買手・消費者からの支持や信用を、一時の利益のために永遠に失うような愚かな真似はしません。それゆえ、広告やブランドは、売手・企業の販売促進手段であるにもかかわらず、品質シグナルとして機能するのです。
(2024年6月4日更新)