考える no.1「技術が“選択肢”を奪わないために」
考える no.1「技術が“選択肢”を奪わないために」
Illustration: ちあ(Lit.Link(XおよびInstagram): https://lit.link/omotenashi_wa)
考えてみましょう
私たちは、どんな状態を「参加できている」と考えているのだろうか?
その基準は、誰の立場から決められているのだろうか?
分身ロボットを導入すれば、外出が難しい人も学校や職場に参加できる。
そう聞くと、「じゃあ、もうそれで十分なのでは?」と感じるかもしれません。
遠隔で会話ができる
仕事や授業に参加できる
移動しなくてもつながれる
一見すると、物理的な段差や移動の問題は、技術で“解決した”ように見えます。
しかし、もし分身ロボットしか用意されていなかったら、どうなるでしょうか?
生身で行きたい(現地に直接行きたい)人
実際の空間を体験したい人
ロボットではなく、自分の身体で会いたい人
そうした希望が、「それは想定していません」と切り落とされてしまうかもしれません。
「バリアフリー」という言葉から、スロープやエレベーターを思い浮かべる人も多いでしょう。
でも、本質は「誰が、どんな状態でも、そこに行けるか」という問いです。
車いすで入れるか
長時間立たなくてよいか
音や光に過剰な負担がないか
これらはすべて、生身で来る可能性を残すための設計です。
分身ロボットは、その代わりになるものではありません。
むしろ、「生身でも、ロボットでも、行かないという選択も含めて、どれを選んでもいい状態」を支えるためにあります。
学校や自治体、組織では、分身ロボットの「利用率」が評価指標になることがあります。
使われている = 成功
使われていない = 無駄
そう判断したくなるのは自然です。
しかし、利用率が高いということは、「それを使わないと参加できない人が多い」という意味でもあります。
もしかしたら、環境を整えれば生身で来られた人もいたかもしれない。
数字だけでは、その可能性は見えません。
「利用率という数字が「事実」であると同時に、何を良いとみなすかという“価値判断”を含んでいます。
利用率が高いほど評価される仕組みでは、「使わなくてよい状態」や「使いたくない選択」を目標にしにくくなります。」
本当は、“必要なときに使える”こと、“使わなくて済む日がある”こと、その両方が整っている状態こそが、支援としての成熟かもしれません。
一方で、分身ロボットがあるからこそ生身で外出できた、という例もあります。
最初はロボットで教室に参加する
雰囲気に慣れる
少しずつ、生身で行けるようになる
この場合、分身ロボットは「ゴール」ではなく、「途中の選択肢」です。
支援は、固定された一つの形ではなく、行き来できるものである必要があります。
もし分身ロボットが「これがあるから、もう本人が対面では来なくていい」という理由に使われてしまったら。
それは、支援ではなく排除に近づきます。
技術は、使い方次第で選択肢を増やすことも、減らすこともあります。
「分身ロボットは、「来られない人」のためだけの道具ではなく、「どう来るかを選びたい人」のための道具であってほしいと思います。」
あなたの身の回りでは、どんな選択肢が用意されているでしょうか?
そして、その選択肢は、誰のために設計されているでしょうか?
改めて考えてみましょう
私たちは、どんな状態を「参加できている」と考えているのだろうか?
その基準は、誰の立場から決められているのだろうか?
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