「量子アニーリングが成功するか否かは、量子1次相転移が起きないかどうかにかかっている」というのは結構有名な説だと思う。僕は多分これで知った。量子相転移というのはハミルトニアンのパラメーター変化で基底状態の性質がガラッと変わる現象で、熱力学の相転移のある種のアナロジーである。ガラッと変わるということの定義は、第1励起状態とのギャップが閉じるかで言う(しかし今回の場合そう定義すると上のステートメントはほぼ自明になってしまう)こともあるけど、秩序変数の変化で捉えることが多い。秩序変数が不連続に変化したら量子1次相転移というわけだ。あとは秩序変数として何を取るかという問題もあるけど、横磁場を動かすならそれに共役な横磁化を見るのが自然だ。というわけで、量子1次相転移の基本中の基本だと思われるこの現象を、横磁化の量子1次相転移と呼ぶことにする。我々が示したことは、横磁化の量子1次相転移が起こるのだけど、量子アニーリングが失敗する、というような問題のクラスがあることだ。
[1] Mizuki Yamaguchi, Naoto Shiraishi, and Koji Hukushima
“Proof of avoidability of the quantum first-order transition in transverse magnetization in quantum annealing of finite-dimensional spin glasses”
J. Stat. Phys. 191, 12 (2024) / arXiv:2307.00791
ここではこの論文の感想戦のようなものをしたいと思う。まあ思い出話かな。
人生で受けた講義の中で、1番面白かったものといえばこれのこれだと思う。当時はコロナの流行り始めで全講義オンライン、しかもこの時期の僕の正規の時間割はスッカスカだったので、色んな授業に潜り込んでは分かんねーなーとかこれはちょっと分かるなーとかそういうことを思いながら暮らしていた。この講義はその中でもかなり分かんない部類のものだったのだけど、このコマのメッセージは身に沁みた:1次相転移領域でのカノニカル分布はマクロ状態を一意に指定できない。それは示量変数で表示した熱力学関数がフラットな(1次関数的な)区間を含むからである。ならば、それに直線を当てるような通常のルジャンドル変換をするのではなく、凸関数を当てるような変換、名付けてヨネンドル変換をすれば、マクロ状態を一意に指定でき、数値計算で生じる諸々の問題も解決できる。竹が畳を突き破るくらい面白かった。
これの量子1次相転移バージョン(つまり基底状態バージョン)をやってみよう、と思い立ったのは、それから2年弱経った頃だった。最初に書いた通り、量子1次相転移の有無は量子アニーリングにとって一大事なので、これはこれでやる価値があると思えたのだ。一方で、もし量子1次相転移で同じ議論ができたら、結果が強くなりすぎるぞ、とも感じた。というのも、米田さんの研究というのは、有限次元格子の短距離相互作用系なら通用する議論である(平均場模型などを相手にすると、熱力学関数の凹みに対抗できるほどの強い凸関数を当てる必要が出てきて、凸関数なら何でも良いという状況ではなくなる)。この条件のもとでは、量子1次相転移も似たような(ハミルトニアンに磁化の凸関数、例えば2乗を加える)手法で消せるだろう、と期待する。しかし、例えば3次元格子の最近接相互作用のスピングラス、これはまさしく上の条件を満たす系でありながら、その基底状態探索はNP困難であり、古典だろうと量子だろうと効率的に解けないと考えられている。解けないはずなのに転移がない。何かがおかしい。先行研究を調べて、量子アニーリングに磁化の2乗項(そこでは反強磁性揺らぎという名前が付けられていた)を加えると転移が回避されやすくなるというものを見つけたけど、それでNP困難が潰せるなんて当然書いていない。この不協和に戸惑いつつ、当時The Nature of Computationの講究を毎週していた福島さんと、まだ着任して日が浅かった白石さんに話して、量子1次相転移は量子アニーリングにとって真の敵ではないんだね、という結論に至った。基底状態がガラッと変わるといっても、乱雑な状態から乱雑な状態へ、横磁化のような単純なマクロ物理量は動かないけど、ミクロに見たら全然違う状態になる、そんな変化が起きる点が横磁場の数直線上に無数に発生する、それこそがスピングラスの生み出す困難さの正体なのではないかと。福島さんのブログ(の論文)を含め、数値計算などからちょいちょい言われていたシナリオではあるのだけど、理論の側からそれをサポートするかちっとした証明を行ったことがこの論文の価値だと思っている。
とはいえ、まだまだ分かっていないこともたくさんある(僕が知らないだけかもしれないけど)。例えば、量子アニーリングを(狭い意味での最適化手法ではなく)ヒューリスティックとして使ったときに、横磁化の2乗項をつければ解の精度が向上するだろうか。横磁化の量子1次相転移と無数のガラス的ボトルネックが立ちはだかっている(できれば有限次元)ランダム系を探してきて、2乗項あるなしの2つの手法で競わせてみて、ありが勝つと面白い。とはいえこの実験が簡単ではないことは素人の僕にも想像できる。2乗項のために長距離XX相互作用を実装しなくてはならないからだ。せめて近接サイトだけでもXX相互作用を(正の係数で)入れると、転移を回避しやすくはなるだろう(それで解の精度が向上するかは別問題というか検証すべき問題)。古典でのシミュレーションも容易ではなくて、なぜなら正係数の2乗項はnon-stoquasticだからである。(数値)実験が難しいなら、理論の方を頑張ってstoquasticなハミルトニアンで量子1次相転移は回避できないの、もしnon-stoquasticにできてstoquasticにできないんならそこが量子と古典の境目なんじゃないの、とか言われるとドキドキしてしまう。そんなシナリオが成り立っているなんて、安易に肯定はしたくないのだけど、もしそれが真実ならそれこそ竹が畳を突き破るような話だと思う。この辺に関していいアイデアはまだ思い浮かばない。浮かんだらまた何か書くと思う。