学問としての性と生殖の生態学と女性や若者の健康と幸福に関する課題解決に寄与する
学術変革領域 (B) 2025–2027年度
世界中で多産多死から多産少死をへて少産少死に至る過程(人口転換)が観察されていますが、経済学の観点からは、子どもにかかる費用が上昇したことや、世代間で相対的に所得が下がったこと等が少子化をもたらしたと説明されています。社会学においては、価値観の変化にその原因を見出し、男女差別の撤廃や性をめぐる社会規範の変容を含むフェミニズムに関わる思想的な変化もあると指摘されてきました。しかし、こうした社会文化的要因が、実際にどのように出生数の減少に結びつくのか、つまり性交渉が減るのか、避妊や中絶が増えるのか、生殖補助医療はどのような役割を果たすのか、といったことについては十分に検討されてきていません。特に日本では諸外国と比較して性交頻度が極めて低いことが知られていますが、同じ年齢であっても性交頻度の高いカップルほど早く妊娠しやすく、逆に性交頻度の低いカップルほど妊娠まで時間がかかることが知られています。日本におけるセックスレスの多さ、そして少子化対策と連動した不妊に対する不安の強さが、他国よりも圧倒的に多い生殖補助医療の利用をもたらしている可能性もあります。私たちは、少子化の全体像について解明し、理解するには、性生活(性と生殖をめぐる人々の考え方や行動の実態)について正面から向き合い、研究の対象とすることが不可欠だと考えました。
本研究領域では、少子化へつながるたった一つの機序であるにもかかわらず、従来の研究において ほとんど言及されてこなかった「性生活」を分析の中心に据えて、その実態を明らかにします。規範・健康・医療との関連をミクロ(個人)からマクロ(社会)のさまざまなスケールを含むシステムとして理解することを目指します。そして、リプロダクティブヘルス・ライツと、その先にあるすべての人々の健康と幸せを実現するための、まったく新しい研究領域を創成します。
性と生殖の生態学:マクロ(社会/集団)からミクロ(個人)のあらゆるレベルにおいて、社会/文化的・生物/医学的要因が関係しあうシステムの概念図
研究代表者 杉田菜穂
大阪公立大学大学院・経済学研究科
社会規範と性生活の相互依存関係の解明
1.57ショックにはじまって、育児の社会化(育児の社会的支援)、結婚・妊娠の社会化(結婚・妊娠の社会的支援)、ヘルスリテラシーの獲得につながる性教育の見直しなどと輪郭を広げてきた日本の少子化対策の規範としての役割、家庭内の規範の再生産の実態、極めて私的なものと扱われる性生活(人々の性と生殖をめぐる考え方や行動の実態)の関係性のなかに少子化を理解し、個人が規範を習得していく過程の把握のもとに性と生殖をめぐる多様な価値観を包摂する社会を探究する。
具体的には、性と生殖の規範を作り上げるものとしての政策・教育の役割、さらには家庭内での規範の再生産の実態を明らかにする。日本における不妊治療の保険適用をはじめとする妊娠の社会化は、どのような議論や考え方に基づいて実施されるに至り、不妊治療が保険適用されることによって不妊や子どもをもつ・もたないことに関する人々の考え方はどのように変わった/変わるのかといったことを追究するなかに、少子化する社会、人口減少社会との向き合い方を探る。
研究代表者 小西祥子
東京大学大学院・医学系研究科
「不妊」はいかにして増えるのか:性生活に影響を及ぼす生物学的・社会文化的要因
日本では中国に次いで世界で2番目に多くの不妊治療が行われている。2021年に日本で生まれた赤ちゃんは81万人、同年に全国の医療機関で実施された生殖補助医療の件数は49万件に上った。また夫婦のうちの4割ほどは不妊について心配したことがあるなど、近年の日本では不妊に対する不安が増大している。
医学的な定義によれば、避妊なしの性交渉がありながら妊娠に至らないものを不妊というが、性交渉がないために妊娠しないものも「不妊」患者として医療機関を受診している。これまでの調査研究を踏まえると、日本においてセックスレスが多いことと不妊に対する不安が強いことが、「不妊」を増加させていると推測される。
本計画研究では性生活と関連する生物学的(リプロダクティブヘルス、ホルモン)ならびに社会文化的要因(性教育、規範、幸福感)について、量的・質的の両方から分析することによって、「不妊」が増えるシステムを解明する。得られる成果を社会に発信することによって、人々の幸福と健康の向上に貢献することを目指す。
研究代表者 前田恵理
北海道大学大学院・医学研究院
「自然妊娠を促す不妊予防・治療システムの構築に向けた研究
日本の不妊症の背景には、晩産化に加えてセックスレスがある。従来の国の不妊症対策では生殖補助医療へのアクセスを増やすことが中心となってきたが、自然妊娠を促す予防の仕組を構築し、自然妊娠に近い治療を推進する仕組み作りにも注力していく必要がある。
本研究では、セックスレスを無視して構築されてきた不妊症対策の中で医師・患者の治療法選択の現状把握(医師・患者アンケート調査)を行い、上積まれた生殖補助医療件数の推定を行う。さらに、公に語られることが忌避されるセックスレスを含めた不妊予防のための保健教育介入を行い、群間でリテラシー、規範、性機能、心理的ストレス、性交渉頻度の変化と妊娠待ち時間を比較する。本研究は治療・予防の両面から新たな不妊症対策の在り方を提案する。