2005年頃から旧満洲(いわゆる「満洲国」)と関わりのあるロシア系エミグラント(いわゆる亡命ロシア人)について調査しています。
当初は事実の確認に重点を置いて資料を収集していましたが、その過程でエミグラントを描いた日本語文学作品にも関心を持つようになりました。
2015~2018年度まで、科学研究費補助金基盤研究「旧満洲亡命ロシア人の文学的表象に関する比較研究:日本語文学を中心に」(JSPS, 15K02263)を進める中で、多くの文学作品を収集してきました。現在ではあまり知られていない作品も多いため、作品の紹介も志してきたのですが、その数の多さ、ジャンルやレベルの多様さの前で、まだまだ整理が不十分であると感じています。
まずは、これまでに分析してきたテーマと関係する作品を中心に、できるところから少しずつ紹介していきます。
注意点など
紹介する文学作品は、旧満洲時代に執筆された日本語文学作品を中心としつつ、その隣接分野も含みます(たとえば、戦前に日本語に翻訳されたロシア語や中国語の作品、現代ロシアが舞台となる日本人作家の作品や、文学色の強い報告書など)。
データは随時更新していく予定です。閲覧された時期によって、記述量が不十分なものもあります。
読みやすさを考え、旧字体の多くを新字体で表記しています。
複数の版がある作品の場合、必ずしも初出時の情報を記載できているわけではありません。各作品の詳細については、ご自身でご確認ください。
誤認・その他ありましたら、ご連絡いただけるとありがたいです。
古儀式派とはロシア正教の一派です。17世紀の典礼改革を拒絶したことで、ロシア帝国や主流派正教会から異端として迫害を受けることになりました。日本ではロシア文学の影響もあって、帝政時代に当局が用いた「分離派(教徒)(ラスコーリニキ)」という呼び名のほうが知られています。
日本ではあまりなじみのない古儀式派ですが、旧満洲にあった古儀式派教徒の村
「ロマノフカ」が1930年代末頃から満蒙開拓のモデルと見なされはじめ、一躍知れ渡るようになりました。その歴史と実態については下記の書籍、論文等でも紹介しました。
阪本秀昭、伊賀上菜穂『旧「満州」ロシア人村の人々:ロマノフカ村の古儀式派教徒』ユーラシアブックレットNo. 103、東洋書店、2007年。
阪本秀昭編著『満洲におけるロシア人の社会と生活:日本人との接触と交流』ミネルヴァ書房、2013年 。
伊賀上菜穂「ロシア正教古儀式派教会における本国と亡命者社会の連関:ソ連・旧『満洲』往復書簡より」生田美智子編『満洲の中のロシア:境界の流動性と人的ネットワーク』成文社、2012年。
ノンフィクション、報告書、写真、絵画等を含む文献・視覚資料については、これらも合わせてご覧ください。
ここでは古儀式派が登場する日本語文学作品(一部エッセーも含む)を、時代と地域を超えて集めました。年代順にリストアップしています。
大瀧重直『光と土』満洲開拓叢書10、東京:満洲移住協会、1942年。
ソ連領から満洲国領域へ逃亡してきたロシア人農民たちが、日本人の協力を得ながら自分たちの新しい村「ペトロフカ」村を築く。主人公たちは古儀式派教徒としては描かれていないが、明らかにロマノフカ村を参考にしている。
湯浅克衛「ロマノフカなど」『日本語』第3巻、第8号、東京:日本語教育振興会、1943年8月、pp. 94-98。
湯浅自身がロマノフカ村を訪問したときの体験を綴ったエッセー。文中に、去年ロマノフカに行った、とあるので、訪問年は昭和17年(1942年)か。下記の「白系露人村」はこれをもとに書かれたものと思われる。 湯浅克衞『白系露人村』東京:金星堂、1944年。 作品集の冒頭に、本の題名になっている「白系露人村」が置かれている。主人公の「町田」が、北満接収のことを調べるために横道河子へ行こうと列車に乗ると、満鉄に勤める知人に会い、ロマノフカ村へと誘われる。上記「ロマノフカなど」と類似点が多いが、主人公が湯浅自身ではないこと、最後に西洋文明と東洋文明の近接性に関する説教的会話が付加されている点が、大きく異なる。
楜沢龍吉「ロマノフカ村」『ハルピンの女諜者:短篇集』佐久:私家版、1984年、pp. 106-130(初出は1948年)。
作者の楜沢氏による「あとがき」によると、「ロマノフカ村」は昭和24(1948)年7月に『宝石』誌に発表されたものである。楜沢が昭和18年(1943年)に牡丹江から日帰りでロマノフカ村を訪問したときの話として語られる。日本語の上手な年配のロシア人女性に話を聞くと、かつては日本領樺太(サハリン南部)で養狐業を営んでいたが、日本側の勧めもあって同宗者が住むロマノフカ村に移住してきたことがわかる。同じ宗派ながら、極東ロシアから移住してロマノフカ村を築いた人々と、樺太・日本経由で移住してきた新参者とでは、経済的な格差や体験の違いもあり、女性は大きな不満を抱えていた。この女性の親戚の娘の一人は横浜にいる。筆者は頼まれて、この娘がカタカナで書いて送ってきた東北弁の手紙を読んでやる。
どこまでが作り話なのだろうかと思っていたら、このとき楜沢氏と同行した小山龍太郎氏が刊行した応召時の記録『応召日記』(東京:私家版、1985年)に同様の記述があり、驚かされた。
山田一郎「ロマノフカ村の少女」『夕映え草紙:遥かなる「滿州」へ』高知:高知新聞社、1998年、pp. 33-70。
1996~1997年に高知新聞に掲載された同名の記事を編集したもの。著者は元共同通信記者で評論家。
「ロマノフカ村の少女」は著者の山田氏が満洲国通信社の記者として牡丹江支局に赴任した1941~1942年に、横道河子および同村を訪ねた話である。著者は画家菅創吉(彼末巳之助)やカメラマンの正木氏とともに、取材でロマノフカ村を再訪し、日本語が話せるエレーナとナターシャに出会う。青森育ちのエレーナは同村に来る日本人の世話を担当していたので、多くの文献に登場する。彼女の姪のナターシャは函館生まれの函館育ちの少女。知人の横道河子の駅員が、彼女たちへの恋心を著者たちに打ち明ける。
冬木 舜『叛逆のセレモニー』東京:文芸社、2002。
古儀式派を研究していた大学教授の謎の転落死から明らかになる真実。古儀式派研究に従事している当方としては、複雑な気持ち。
なかにし礼『赤い月』東京:新潮社、2001(新潮文庫あり) 。
映像化もされた著名な作品。作者が幼年時代をすごした牡丹江と母親に対する思い出が重要な役割を果たしているが、完全なドキュメンタリーではない。
小説では、ロマノフカ村出身のロシア人女性が主人公の家で家庭教師として働き、そこに出入りする保安局員と恋仲になる。しかしソ連軍の進攻の直前、彼女がソ連のスパイであることが知れ、保安局員は彼女を自ら手にかける。 ロマノフカ村にモスクワの知識階層出身者がいる可能性は、史実として絶対にないとは言い切れないが、私達が旧住民の方々に対して行ったインタビューからは、その存在が確認できていない。
船戸与一『緋色の時代 上・下』東京:小学館、2002年(小学館文庫は2004年)。
ソ連崩壊後のエカチェリンブルグで元アフガニスタン帰還兵のマフィアたちが抗争を繰り広げる。
コサックやアルメニア人など、個性的な出自の者が登場する中で、帰還兵の一人が分離派(古儀式派)という設定。彼の祖父はウラジオストクの地下教会の主催者だった。アフガニスタンで従軍時に、彼らは上司を殺害する前に、「古儀式派の儀礼」に従って血の交換の儀式をする。現実には古儀式派の間でこうした儀礼は行われていないはず。「古風な儀式」からのイメージだろうか。
篠田真由美『黒影(かげ)の館:建築探偵桜井京介の事件簿』講談社ノベルス、2009年(講談社文庫、2015年)。
同『燔祭の丘:建築探偵桜井京介の事件簿』講談社ノベルス、2011年。
400年ほど前に日本に来たロシア人と、北海道の隠れキリシタンの出会いが生んだ一族の物語。
古儀式派教徒が日本を彼らの理想郷「白水境」と重ねて来日した史実や、満洲ロマノフカ村や函館に住んでいた古儀式派教徒についても言及がある。ただ、歴史に詳しい作者は、渡来したというロシア人の宗派は明確にせず、古儀式派以外のロシアの諸派(ラスプーチンとも関係する鞭身派や去勢派など、いわゆる「異端」「セクト」と呼ばれた宗派)のイメージも利用している。
この他、主人公にはパリの白系ロシア人貴族の血筋も受け継がせている。
ただいま準備中です。
上記で紹介した作品を、作家別(五十音順)に並べました。作品情報の最後の丸かっこ内は、紹介した項目を表しています。
大瀧(滝)重直(おおたき しげなお)(古儀式派)
大瀧重直『光と土』満洲開拓叢書10、東京:満洲移住協会、1942年。(古儀式派)
楜沢龍吉(くるみさわ りゅうきち)
楜沢龍吉「ロマノフカ村」『ハルピンの女諜者:短篇集』佐久:私家版、1984年、pp. 106-130(初出は1948年)。(古儀式派)
篠田真由美
篠田真由美『黒影(かげ)の館:建築探偵桜井京介の事件簿』講談社ノベルス、2009年(講談社文庫、2015年)。(古儀式派)
篠田真由美『燔祭の丘:建築探偵桜井京介の事件簿』講談社ノベルス、2011年。(古儀式派)
なかにし礼
なかにし礼『赤い月』東京:新潮社、2001(新潮文庫あり) 。(古儀式派)
船戸与一
船戸与一『緋色の時代 上・下』東京:小学館、2002年(小学館文庫は2004年)。(古儀式派)
冬木 舜
冬木 舜『叛逆のセレモニー』東京:文芸社、2002。
山田一郎
山田一郎「ロマノフカ村の少女」『夕映え草紙:遥かなる「滿州」へ』高知:高知新聞社、1998年、pp. 33-70。(古儀式派)
湯浅克衛
湯浅克衛「ロマノフカなど」『日本語』第3巻、第8号、東京:日本語教育振興会、1943年8月、pp. 94-98。(古儀式派)