これまで指導と審査などをした修士論文題目
[2021年度]
加瀬桃子
江戸川乱歩の〈大衆化〉への道程―連載長篇『孤島の鬼』から
鄭慧明
語ることによって自己回復を目指すこと
―『風の歌を聴け』から『ノルウェイの森』まで
[2020年度]
江潔
京極夏彦小説における妖怪の意味
[2019年度]
有田綸
吉田大八と三島由紀夫『美しい星』
金昊成(キムホソン)
『1973年のピンボール』の教訓的世界
――デタッチメントとコミットメントを超えて
曽田竜耀
「山月記」教材価値論
中曽根茜
坂口安吾作品における女性主人公像
[2018年度]
齋藤麻稀
国語教材論
―「こころ」と女性作家が女性間を描いた教材を比較して―
髙橋慧
教材としての『舞姫』―「文体」を視座として―
エン楊
『国境の南、太陽の西』論 ―音楽の視点からの考察―
[2017年度]
新田徹
推理小説の教材化
ザイナブ
二つの『カクテル・パーティー』をめぐって
―大城立裕の考え方の変化―
韓怡
木皿泉脚本に見る「共同体」
[2016年度]
苗鳳科
中国の一般読者における村上春樹作品受容の要因考察
―『ノルウェイの森』を中心に―
王文
夏目漱石『こころ』 ―「私」について―
窪田桃子
『三四郎』論 ―最終章の解釈を中心に―
藤野広朗
筒井康隆『虚構船団』論 ―語りに見る歴史認識―
[2015年度]
荒井美有
マンガ表現論 ―〈言葉〉の生み出す位相をめぐって―
蘇宛亭
村上春樹『1Q84』における「父像」について ―牛河を中心に―
[2014年度]
小田垣有輝
谷崎潤一郎『細雪』論
――異なった語りのレベルによる物語―
戴暁晨
村上春樹における「戦場離脱」から「戦場復帰」へ
―「ユキ」と「笠原メイ」の役割について―
文巴加
村上春樹文学における「死」と「恋愛」との関係
―『ノルウェイの森』を中心に―
[2013年度]
蔡雯雯
太宰治「惜別」論
卞惠美
安部公房『壁』論 ――考え方を捻じること――
[2012年度]
舩山修平
一九二〇年代における〈文学と映画〉論
――文学者/映画人の映画批評言説の分析を通して――
何川
『禁色』における性的イデオロギーへの姿勢
韓旭
賢治作品に見られる教育観 ――農学校時代の「学校背景」の作品を中心に――
菊地珠希
村上春樹初期作品論 ――数字と比喩による自己規定――
金田
『志賀直哉の作品における「妻像」』
嶌田薫
遠藤文学における「生活」と「人生」
――「満潮の時刻」「砂の城」「深い河」を中心に――
張萱萱
夏目漱石『行人』論 ――二郎の役割――
古山綾子
「父」に象徴される柳美里の「家族」 ――戯曲と小説の転換点をめぐって――
[2011年度]
車花子
芥川龍之介「南京の基督」の考察
塚原諒
衣服の村上春樹論的機能
小田島香
谷崎潤一郎「猫と庄造とふたりのをんな」論
太田剛
『吾輩は猫である』を読み直す
鈴木瑛美子
「走れメロス」の読まれ方
[2010年度]
鳥居紗也子
〈女中〉の物語としての「行人」
――明治末から大正初期の時代状況を背景に――
[2009年度]
秋保義規
明治十年代政治小説における女性表象の研究
――小説(ノベル)を視座として――
鈴木直史
阿部和重と一九九〇年代
――「J文学」というブームをめぐって――
[2008年度]
吉川東
『ねじまき鳥クロニクル』論 ――語るということをめぐって――
藤崎央嗣
田中康夫『なんとなくクリスタル』論
[2007年度]
李学義
森鴎外「舞姫」と蒋防「霍小玉伝」との関連
李銀実
芥川龍之介の「地獄変」と魯迅の「孔乙己」の孤独について
――語り手と小説構造をめぐって――
鶴田未来
『女子文壇』における広告と懸賞募集要項
山内翼
ケータイ小説と文学 ――今日を背景として――
[2006年度]
富塚昌輝
近代文学成立期における小説読書法の研究
――小説(ノベル)を視座として――
鄭惠珍
『浮雲』における語り
近藤允
露伴の反近代
陳ショウ
中国における村上春樹の受容
[2005年度]
高山錬
山本有三『波』の世界 ――その流れに沿って――
藤林英樹
主題・形式の分裂と自立、読者への作用としての統合
――大西巨人中期作品につい て――
梁喜辰
谷崎の初期作品における耽美主義の形成と欲求
[2003年度]
土屋寧子
小川未明論 ――口承文芸の観点から――
[2002年度]
高橋礼
『彼岸過迄』論 ――読者論的視座からの研究――
[2001年度]
浦山隆史
『草枕』論 ――その凝縮性と「写生」――
小木曽知子
翻訳から見えてくるもの ――花柳春話論――
中河内隆
奥泉光の笑い ――「自由」な小説への意志――
[2000年度]
佐藤旅人
パプリカとは何か? ――「女性、その未知なる差異」に関する一試論――
橋本由起子
遠藤周作論 ――微笑をめぐる考察――