たかがノート、されどノート

6月11日。この日、1年は1時間目に算数科でたし算の文章題を学習していました。
くるまが 2だい あります。1だい ふえました。ぜんぶで なんだいに なりましたか。
これがこの日の問題です。たし算の学習ですが、この問題文を国語科で習った平仮名の学習も生かしながらノートに正しく書くというのもこの日のポイントです。のぞき込むと…。

うんうん。ちゃんと書けています。
小学校を卒業するまでに身に付けるべきノート作りのステップが100段あるとすれば、この日の学習はステップのまさに1段目にあたります。この後、学年が上がるにしたがって黒板をきちんと書き写す技能を身に付けたり、教師の指示がなくても自分の考えを書いたり、資料を見ながらまとめたりする技能を身に付けていきます。

わたし(校長)は若い頃、長らく筑波大学附属小学校で教鞭を執られていた故 有田 和正という方から、「ノートは思考の作戦基地」という考え方を教えていただいたことがあります。有田先生はよく子どもたちに、「黒板を書き写すんじゃない!」と戒め、「黒板は先生にとっての『ノート』。だからみんなも、ただ先生のノートを写すんじゃなく、自分なりのノートをつくりなさい。」と言われていました。たしかに「ノートをつくる」ということは文章や話を要約する力とも深く結びついていて、中村 敦雄という方も、「黒板の丸写しをしがちな学習者に、どうやって要約の学習としてのノート指導をおこなうか、教師としての工夫のしどころであろう。こうした実際の場面での必要性を学習として生かすことが鍵になろう。」(教育科学 国語教育2001年7月号)と述べています。
たかがノート、されどノート。1年生もステップを1段ずつ上りながら、きっと様々な力を蓄えていくことでしょう。そんな期待を感じさせる一コマでした。

登録日: 2021年6月11日 / 更新日: 2021年6月11日