デジタル・シティズンシップについて研修

9月1日。おそらく、デジタル・シティズンシップと聞いて、「ああ、あのことね。」と頷かれる方はほとんどいないと思います。わたし(校長)も、つい最近までそうでした。それもそのはず。調べてみると、この語(概念)は去年の4月27日に開かれた国の第125回・初等中等教育分科会で、委員の一人が使われたことで知られるようになったと分かりました。と、出所が分かっても、中身の分かりにくさが払拭できたことにはなりません。

近ごろ日本の世の中の傾向として、外来語の多用が挙げられます。あくまで個人的な考えですが、わたしはこの傾向に異を唱えています。だれが聞いても、あるいは目にしても分かりやすい(意味が推察されやすい)言葉を使うのが表現者の努めだし、そのことが万人に優しい社会の実現につながると考えている(※校長通信№311にも書いたことがある)からです。

「デジタル・シティズンシップ」では分かりづらい(…それに、「シチズン」ではなく「シティズン」はどうも発音しづらい…)ということで、まずはこの語を私流に「デジタル時代に求められる自己判断力」と訳してみました。これで少しは分かりやすくなると思います。次に、この語(概念)が登場した背景を考えてみます。端的に言うと、スマホなどの普及によって「ネットいじめ」が登場したり、虚偽情報に惑わされる事態が増えたりしてきたことが挙げられます。これを改善するためには、約束やルール、行動規範を教えて徹底するのではなく、行動や現象の善悪・適否を自分で判断できる力を身に付けさせることを大切にしなければならない……という考え方から「デジタル・シティズンシップ=デジタル時代に求められる自己判断力」が登場したというわけです。

以上が長~い前置き。わたしたちもこの概念を理解する必要があるので、前もって奈良市の研修(これもオンライン研修でした)を受けた本校の生徒指導係(本校の組織はこちらをクリック)の教員が講師となって、この日の研修を進めました。

ネット依存になった子どもの脳の断層写真も提示。これも奈良市の研修で示されたものです。

また、研修ではふだんの授業でもよく使われている「ロイロノート」で教職員の考えを共有。

全体協議では、従来からある『情報モラル教育』との違いから、「浸透させるためには『道徳性』と切り離すことはできない。」「相手を大事にする・自分の言動に責任をもつといったところを抜きにして進めてはならない。」などの意見が出ました。

時間にして1時間足らずの研修でしたが、中身の濃い研修となりました。

登録日: 2021年9月1日 /  更新日: 2021年9月1日