俳句に親しむ

6月30日。コロナウイルスによって、学校の教育活動も「今までどおり」とはいかなくなっているところもあります。
朝礼もその一つ。これまでは全校生が一堂に会せる「ふれあいホール」や体育館で実施していましたが、今は放送室からGスイートや校内放送を使って行っています。

この日の朝礼は、わたし(校長)の講話でテーマは俳句。日本には世界でいちばん短い詩と言われている俳句という文学があるということ、俳句には「季語」を一つだけ盛り込むのが約束事になっているということ、五・七・五の17音で表現されるということなどを説明した後で、二つの俳句を紹介しました。

一つ目は、「猫の子に かかれているか かたつむり」(椎本才麿)。
猫の目には不思議な生き物に映ったであろう、かたつむり。そのかたつむりを猫が首をかしげながら、片手でちょんちょんと突く様が浮かんできます。

二つ目は「手の上に かなしく 消(きゆ)る ほたるかな」(向井去来)。
季節はちょうど今頃。掌にとまった蛍が空にすーっと消えていく、そんな情景が浮かんできます。

とまあ、こんな話を放送で流しました。

この日の午後、5年の担任から国語の時間に作った(正確には『吟ずる』といいます。短歌は『詠ずる』です。)俳句があると聞き、早速見せてもらいました。
その中でわたしの目に留まったのは次の二句。

左の句はどこかへ行った帰りでしょうか?心の中を含めて、想像を掻き立てられます。

右の句は「あじさい」「かたつむり」と季語が二つ入っているものの、この時期の情景をうまく切り取っています。

日本は四季折々の風景が感じられる素晴らしい国です。先人たちは季節の移ろいを敏感に感じ取り、それを俳句や短歌にしたためました。
「春すぎて夏来(き)にけらし白妙(しろたへ)の 衣ほすてふ 天の香具山」(持統天皇)
「秋来(き)ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる」(藤原敏行)

俳句や短歌を作ることは、それ自体が言葉の勉強、つまり国語の学習になりますし、季節を感じ取る感覚を身に付けることは情操教育にもつながります。

登録日: 2020年6月30日 / 更新日: 2020年6月30日