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Under the sky of nowhere 2017 AYUMI GALLERY CAVE
私が生まれたのが1982年。80年代の前半の日本はというと高度経済成長が加速しバブル期に入ろうとしていた頃。日本の景気は最高長期を迎えようとしていました。大都市の再開発は活発化し、企業や富裕層のみならず、一般人にも大量消費ブームが起こりました。そんな中私は呉服屋の長男として生まれました。教職に就いていた母親はわたしが生まれると退職し呉服屋で父と共に働くようになりました。子供の目から見ても商売は順調のように映り呉服屋にはいつも賑わっていたように思います。店のお昼に出前を取る時はいつも豪勢なものがテーブルに並びました。この頃見ていたTV番組は大量のスポンサーが付いており様々な企画番組が派手に放送されていました。トレンディドラマには大都会で働く若いサラリーマンの恋愛ストーリーなどが多く描かれたり、良い大学に入り良い会社に勤めるといったサクセスストーリーをよく目にしたのを覚えています。子供ながらにバブル期のギラギラ輝いた夏の太陽のような時代の空気を感じていました。私は絵を描くことは大好きでお店で絵を描いているとお客さんが大変褒めてくれたので調子に乗っていました。絵を描いたり粘度で恐竜を作ったり物を作る事が大好きな子供でした。今思うと本当に幸せな時代に子供をやれたんだなと思います。80年代半ばより日本はバブル期の絶頂期に突入します。そんな中ブラウン管に映し出された記憶にチェルノブイリ原発事故があります。日本にも放射能の雨がふりそそぐなどと言われました。当時の煌びやかな社会の中において遠い異国の国の出来事ではあるにしても恐怖を強く感じました。それもあってか母はその後何回か私と妹を反原発デモや集会に連れて行きました。そして自給自足団体のコミュニティなどにも母親はわたし達兄弟を連れて行くようになりました。
食卓が有機野菜中心、化学調味料不使用のものが並ぶようになったのはこの頃だったのではないかなと思います。私達兄弟は自分達の意志のもとその様な場所に行ったわけではないですから最初は戸惑っていたと思います。煌びやかな社会の片隅に現実離れしたコミュニティが存在するのを子供ながらに不思議に感じていましたし、ある種の恐怖心もあったと思います。その頃の体験はその後の私の考え方に少なからず影響を与えるものであったと思います。自分の内側と外側を始めて意識したのもこの頃ではなかったかなと思います。社会の最小単位が家族で更には両親と自分、妹と自分は何処から境界が引かれ、何処で自分という枠が完結するのか不思議に思っていました。日本はとても豊かになり世界2位の経済大国になりました。バラエティ番組の中では有名なコメディアンが派手なパフォーマンスをしていました。そんな中である種特別な場所が自給自足団体や反原発デモをする人たちのコミュニティでお世辞にも居心地いいとは思いませんでした。そして昭和のおわり、ドイツでは冷戦の象徴であるベルリンの壁が崩壊し東ドイツは消滅しました。東西冷戦は終結を迎えました。そして1990年わたしが初めてブラウン管越しに見た戦争が湾岸戦争でした。スカッドミサイルのブルーの光が夜空に線を描きました。両親と共にこのニュースを見ていた光景はよく覚えています。アメリカの中東への介入が本格化しアメリカ中心の世界へと突入していきます。私の今ここにいる場所はものが溢れ豊かであるが海の向こうでは何やら悲しい事も起きている。私達は恵まれているんだとそんな風に思っていました。

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