別府の歴史年表 (福岡市別府公民館・記念誌)

別府郷土史研究 [1]   (1980年)       別府公民館
創立30周年記念誌  [3] (1994年)               高齢者教室の文集
創立40周年記念誌  [4] (2004年)
創立50周年記念誌  [5] (2014年)

 索引 あ行 愛宕神社 伊勢講
                             五穀神 庚申様 耕地整理
    な行 中村学園大学
                              別府橋 別府大橋 別府・田島地区の町名改称
    ま行 蒙古襲来絵詞
    ら行 龍王神社 煉瓦工場


  西暦(和暦) 別府(と近隣)の歴史  関連事項・その他  関連事項・その他
草ケ江、網出ケ鼻、鰯山など 草香江(草ケ江)の入り江 [3-1][5-1][3-2][5-2][5-3][5-4]
鳥飼の地名 [1] 筑前国続風土記附録

・57年、奴国王が中国(後漢)から金印を授かる。 
200-700  鳥飼八幡宮のおこり  [1][3][5] 若(鳥飼)八幡宮縁記、筑前国続風土記 ・239年、邪馬台国の卑弥呼が魏に使いを送る。
・350年頃、大和朝廷が国内を統一。
・527年、
磐井の乱
・663年、白村江の戦い
鴻臚館筑紫館[5] を設置
・7世紀後半、筑前国に大宰府を設置
700 頃 別府の由来 [1][3][5]
・710年、平城京へ遷都奈良時代
・794年、平安京へ遷都平安時代 
927  延喜式(律令の施行細則) ・901年、菅原道真が大宰府へ流される。
・902年、荘園の大整理を行う。
1185 薩摩塔(将軍地蔵尊)[5] 博多に中国商人たちのチャイナタウンができる。 ・1185年、鎌倉時代
1274  別府のつか原、鳥飼の汐干など 蒙古襲来絵詞 、竹崎季長絵詞 [1][3][5] 元寇 [5] 
・1274年、文永の役
・1281年、弘安の役 
1333
菊地武時博多の戦いに破れ、六本松に首塚(菊池霊社)、七隈に胴体(菊池神社)を埋めたと伝えられている。 
・1333年、鎌倉幕府が滅び、建武の新政が始まる。
1587 大閣道(たいこうみち) [1][3][4][5-1][5-2] 朝鮮出兵の豊臣秀吉が、肥前の名護屋へ通ったといわれている。 ・1592年、文禄の役
・1597年、慶長の役
・1600年、関が原の戦い
・1615年、豊臣家滅亡
1700 樋(井)の郷、田島の地名 [1]
江戸時代の早良郡下触の庄屋 [1]
貝原益軒(筑前国続風土記) ・1702年、赤穂浪士の討ち入り
1800 早良郡別府村は鳥飼の枝郷 [1] 伊藤常足太宰管内誌
・1787年、寛政の改革(松平定信)
1803 別府薬師如来、建立 [3-1] [3-2][5]  (祖)原の薬師様と共に昔から有名で信者も多かった。  
1850 - 近年(?)
伊勢講 [1]   ・1841年、天保の改革(水野忠邦)
1859 別府薬師如来、再建の大改修 安政六年正月薬師如来再立 ・1853年、黒船来航(ペリー)
・1859年、安政の大獄
・1867年、大政奉還 → 1868年、明治へ
1869(明2)
  ・1869年(明 2)、版籍奉還
・1871年
(明 4)、廃藩置県 [5] 
・1877年
(明10)、西南戦争 
1879(明12)
 
別府天満宮を鳥飼神社の摂末社として届出(?)。創立年度、不詳。 [1][3][5]  植安神と菅原道真公(天神様)を祭神とし、鳥飼神社の分霊社と云う。
1881(明14) 明治期に人口減少 愛宕神社御神納米切立帳 [3]
1882(明15)  鳥飼神社の古文書(鳥飼神社・摂末社、建物明細帳の記録)あり。 [1-1][1-2]    
1887(明20)     第5回九州沖縄八県連合共進会を東中洲で開催。 [5]
1889(明22) 鳥飼村と谷村の合併 [1] 市制および町村制の実施により、早良郡鳥飼村が発足。 [5] ・大日本帝国憲法の公布
・福岡市の誕生。
 [5]
 (明治の中期頃) 別府薬師如来の増改築 [3-1]
[3-2][5] 
住民が各戸に寄付を募った。  ・1894年、日清戦争 
1899(明32) 別府原に草ケ江高等小学校を開校 [3][5-1][5-2]    
1909(明42)
福岡県代用感化院福岡学園の設置 [1][3][5] ・感化院に隣接して煉瓦工場があった。 [3] 
・佐賀堀(肥前堀)の埋め立て [1][3][5]
・1904年、日露戦争
1910(明43)     第13回九州沖縄八県連合共進会を天神地区で開催。 [5]
1919 (大8) 福岡市と鳥飼村の合併 [1] 草ケ江高等小学校を廃校 [1][3][5]
1920 (大9) 東蓮寺道の竣工を記念して「四通八達の碑」の建立 [1][3][5] ・碑文は、福岡学園の戸田園長の草稿による。
・後にその道路沿いに別府商店街ができた。

1923(大12) 別府天満宮に五穀神を合祀  [1][3][5] 福岡市西南部の耕地整理を開始。 [1][3][5-1][5-2] ・1923年、関東大震災
1925(大14)
鳥飼駅の完成  [1]
筑肥線開通(北九州鉄道株式会社) [1][5]

1930?(昭和初期)

有志により、別府公会堂を設立 [3][4]  
1927 (昭2)
城南電車(渡辺通1丁目-西新町間)開通  [1][5] 東亜勧業博覧会を大堀埋立地で開催。 [5]
1928 (昭3) 福岡県立福岡学園 [1][3][5] 福岡県代用感化院福岡学園を県に移管
1930 (昭5) 天神森の祠の前に、「天満宮」と記した石の鳥居を立てた。 [3-1][3-2] 別府の有志20人で建立。  ・1931年、満州事変
1935(昭10) 別府橋をコンクリート橋に架替え [1][3][5]  
1937(昭12) 筑肥線を国鉄へ移管   [1]  
    ・丸山養魚場という金魚屋があった。   
1945(昭20) 福岡大空襲 [4][5] ・空襲のときは屋敷の前に掘っていた防空壕にも入れず樋井川へ逃げて首までつかっていた。
・焼夷弾がひらひら落ちてくる。
・おばあちゃんが背負っていた女の子に火の粉が落ちたのを見て、10歳だった私は「おばあちゃん、早く水に飛び込んで」と叫んだ。
・1939年、第二次世界大戦が始まる。
・1941年、太平洋戦争へ。
 
・1945年、終戦。 
1947(昭22)   鳥飼駅前の広場に紙芝居が来ていた。  ・1946年、日本国憲法の公布。
1948(昭23)   城西中学校の放課後、鳥飼駅から今宿・周船寺方面へさつま芋の買出しへでかていた。   
1949(昭24) 三戸鉱業福豊炭坑、操業開始[1][5]  ・炭住(炭鉱従事者の社宅)や棟割り長屋があった 
・炭鉱で石炭を受けて配るアルバイトをしていた。 
・1950年、朝鮮戦争勃発。
1951(昭26)
西鉄ライオンズ誕生 
・木炭バスが走っていた。
 
1952(昭27) ( 西新-荒江四ツ角-国体道路-博多駅)間で西鉄バスが運行を開始  ・1時間に1便運行。
・バスで護国神社の幼稚園に通っていた。 

1953(昭28)
・市が世話人制度を実施
・西日本大水害
  
 
1954(昭29)   ・石炭(ボタ)を拾って風呂の燃料にしていた。
・石炭の粉で「たどん」を作って遊んでいた。
・ボタ山はなく、ボタで沼地を埋め立てていた。
 
    とんこつラーメンが1杯70円(大盛90円)だった。   
1956(昭31) 瓦斯会社と交渉のため、別府地区瓦斯使用者組合発足 [1] 樋井川の先は工事費がかかり、瓦斯会社はなかなか着手しなかった。 
    ・田んぼに引き込む堰があった。 
・福岡学園の運動場で町内の運動会をしていた。
・バスの車掌さんが踏切で降りてバスを誘導していた。
・車掌さんが切符切りにきていた。
・別府小学校ができる前の土地は松本さんの庭で、松本公園と呼ばれていた。
 
1959(昭34) 三戸鉱業福豊炭坑、操業停止
[1][5]  


  草ケ江本町会館完成 [5]     

別府団地建設 [5-1][5-2]
別府小学校開校
・団地族、集合住宅の走り 
・バス大人10円、子供5円。
・タクシ初乗り80円
 
1961(昭36) 別府地区瓦斯使用者組合解散 
城南中学校開校
別府団地に西鉄ライオンズの稲尾投手が住んでいた。  
1963(昭38) >福岡大水害により、別府団地の1階階段付近まで浸水。駐車場の車は水没。 [4][5] ・別府団地の近所にスーパー「ヤマエ」があった。 
・福岡大水害発生、被害総額11億円以上。 
1964(昭39) 別府公会堂が「市立別府公民館」として新発足  [4] ・公民館そばの水路によく落ちていた。
・昭和40年代公民館の周りや別府団地の入口の菅谷ビルの所ははあぜ道で、よく田んぼに落ち込んでいた。
・東京オリンピック開催
1966(昭41)
福岡県立福岡学園を筑紫郡那珂川町へ移転、跡地に中村大学を建設・開校 [1][5]
・中村大学は最初制服だった。
・大学の門前に、中村ハル校長が車椅子姿でおられた。

  別府天満宮境内が、公認の児童広場となった。  ・子ども会の人数、1町内・45名
・下水道は完備していなかった。
・2丁目にも商店街があった。
・養鶏
場、卵売りの「瀬戸口養鶏場」があった。
・城西橋に電車の車庫があった。
・天神⇔別府(草ケ江)タクシー代、350円
・西鉄バスで、城西橋から西新町経由で、天神まで通勤していた。
・別府小の屋上から大濠の花火を見ていた。
・公民館から区役所手前一間程の小川があり泳いでいた。
・別府橋が出来る頃、城西団地の中を天神行きバスが通っていた。
 
1969(昭44) 別府橋の架替え
 樋井川方面からの車の混雑は変わらず。

1970(昭45) 別府大橋の完成 [1][5]  筑肥線との立体交差で、踏切での渋滞がなくなった。
・踏切の手前に廃品回収業者があり、高架になり立ち退き、現在油山の三原商会に。
・完成渡り初めに許斐先生が出席。
・橋の上から、荒江方面全景がよく見えていた。

  弓の馬場の将軍地蔵尊竣工(社屋を建立) [1][5-1][5-2] 弓の馬場茶山会館(将軍地蔵尊)を建てるため、氏子が土地を寄付。
1971(昭46) 塚地蔵尊の建立  [1][5]  
道路拡張時に「草ケ江本町会館」を現在地に移転  「 六ケ町会館」へと名称変更
別府・田島地区の町名改称 [1][3][5]
1972(昭47) 水洗便所の普及開始  別府3丁目から水洗トイレにかわっていった。  ・日中共同声明。
・福岡市、政令指定都市に。  
1974(昭49) 別府西公園発足と納骨堂の設置 プロパンガスが多かった。  
1975(昭50) 城南線(市電)の廃止  [1][5] 市内電車をよく利用していた。
 
    母親が鉄道チッキで鳥飼駅から布団・行李を送ってくれた。   
1976(昭51) 別府公民館施設改築  東京の大学から帰省するのに、空港から別府まで1時間以上かかっていた。   
1978(昭53)   別府公民館の敷地内に別府会館を設置  [3]    

福岡市大渇水  [4][5] ・給水車からの水をバケツで5階まで運んだ。
・水圧がないので水洗便所が流れず、バケツの水で流した。

 7階建てのビルが「江戸銀」前に建つ。
 
1979(昭54)
  ・福岡市内電車、全線廃止。  [1][5]

二〇二号バイパスの愛称が「別府橋通り」 に決まる。 買い物は弓の馬場商店街・別府橋市場でしていた。

 
1980(昭55) 別府郷土史研究の発行  
1981(昭56) 龍王神社の石祠を神殿に建て替える。  [3][5]  龍王神社の祭神は龍神で、「水神」又は「海神」ともいわれ、雲を呼び雨を降らせる魔力を持つ。  
1982(昭57)

西区が3区に分割され、城南区発足。  
交通事情・その他の問題のため、
四通八達の碑を天神森へ移転。  
 
  別府薬師如来の屋根瓦を、銅版葺に改修。  [3][5] お大師様・お地蔵様・お阿弥陀仏様等も合祀されてる。   
1983(昭58) 筑肥線(姪浜-博多間)廃線により、鳥飼駅廃駅となる。  地下鉄空港線(姪浜 - 博多間)が開通し、国鉄筑肥線と相互直通運転開始。
筑肥線(姪浜-博多間)廃線 
    ・鳥飼駅の跡地はしばらく空き地だった。
・5丁目 花火大会が見えていた。 
 
1984(昭59) 創立20周年記念誌の発行     
1986(昭61)  別府の南側にあった庚申様を、福岡市歴史資料博物館へ寄贈。  [3][5]    
1988(昭63) 筑肥新道ができる。(笹丘~別府6丁目)  別府橋通りを含む別府の202号線が国際マラソンのコースになる。 [5]   
1989 (平1)

アジア太平洋博覧会開催  
1990 (平2) 別府団地の建て替え工事が始まる。     
1991 (平3) 六ケ町会館完成 [5]   
1994 (平6) 別府の歴史見聞録(創立30周年記念誌)の発行     
1995 (平7) 別府校区からも、ユニバーシアード福岡大会PR親善団に参加した人がいた。 (城南区はベルギーの応援区だった) ユニバーシアード福岡大会に先立ち、親善訪問団として市長・応援校区の人達・一般公募者など50名でボルドー・パリ・ブリュッセルを訪問した。 ・阪神・淡路大震災
・ユニバーシアード福岡大会開催
1998(平10) 別府校区女性の会発足
弓の馬場茶山会館建て替え。 

 
1999(平11) 水害発生     
2000(平12) 別府公民館改築完成   校区一体型(合同)運動会がはじまる。  
2003(平15) 水害発生      
子育て広場開設     
2004(平16) 別府校区自治協議会発足 町世話人廃止し、自治協議会制度導入へ   
  別府のあゆみ(創立40周年記念誌)の発行      
2005(平17) 地下鉄七隈線開業 [4] 菊地参道の愛称が「城南学園通り」と決まる。  
福岡西方沖地震     
2009(平21) 別府団地3区で浸水発生 [5]
九州北部豪雨による水害発生。