国際真剣道連盟


小幡利城 (1985年)

小幡利城は1948年群馬県に生まれる。

18歳で上京し、塩田剛三の合気道養神館道場に内弟子として入門する。七年間合気道を学び、養神館本部、警視庁機動隊、大学、会社で指導する。同時代、柳生延春21世より柳生流を学び、師友会の座禅会で禅を学ぶ。

林邦史郎氏の主宰する若駒に入り、殺陣、時代考証を学ぶ。若駒では、弓術、馬術、トランポリン、ロープワーク等も学ぶ。

刀匠、小林康宏氏の試刀家となる。藁、畳表、日本竹、孟宗竹,六尺棒,生木,丸太等を試刀する。

井上元勝氏より棒、サイ、琉球古武道を学ぶ。

名和弓雄氏より、十手術、万力鎖、忍術を学ぶ。

田中茂穂氏より鹿島神流を学ぶ。

内田鉄心斎氏より庵剣抜刀術を学ぶ。庵

剣抜刀術の大会では個人優勝5回、早斬りでは記録を更新する。庵剣抜刀術の免許皆伝となる。

窃盗犯逮捕で警視庁より警視総監賞を授与される。

徳富太三郎氏と中村泰三郎氏より、軍刀操法、戸山流抜刀術を学ぶ。中村泰三郎氏より中村流抜刀術を学ぶ。同氏の主催する戸山流は後に抜刀道に変わる。全国抜刀道試し切り大会、一回目、二回目の個人戦で優勝する。(この当時の個人戦は階級別でなく、日本全国の腕自慢の剣士達の中で総当りの優勝だった。)

1980年5月10日、群馬県迦葉山弥勒寺に渡米と新武道(真剣道)の成功を祈願する。

2005年ー試し斬りの本を出版

安全で格調高い試し斬りをする為の、世界初のマニアル本である。

試し斬りの歴史

試し斬りの必要性

安全な試し斬りの為の法則

試し斬り (試斬、試刀、見世物)の違い

刀の選び方

その他

出版本

Tamesigiri-試し斬り     2005年(英語)

Shinkendo-真剣道      2001年(ハンガリー語)

Shinkendo-真剣道      1999年 (英語)

Heiho Okugisho-兵法奥義書   1994年(翻訳英語)

Samurai Aikijutsu   1987年(英語)

Crimson Steel      1987年(英語)

Kama            1987年(英語)

Ninja Training Manual 1986年(英語)

Naked Blade(抜刀術)  1985年(英語)

ビデオ、DVD制作

Bojutsu Tanrendo-棒術鍛練道       2005年(DVD英語)

Budo Ashisabaki-武道足捌         2005年(DVD英語)

Samurai Aikijutsu-侍合気術         2005年(DVD英語)

Self-Deffese Aikido             2005年(DVD英語)

Self-Defense Aikido          (VHS フランス語)    

Molten Fire                   1995年(VHS英語)

Shinkendo-真剣道                    (VHS英語)

Crimson Steel                 (VHS英語)

Samurai Aikijutsu-侍合気術     1988年(VHS英語)

1980年暮ーアメリカ渡米 移住

米国抜刀道連盟本部、戸山流居合道米国本部、中村流米国本部の本部長として渡米する。

米国ロサンゼルスで戸山流、抜刀道、合気道を教える。

LAで窃盗犯を逮捕しLAPD(ロサンゼルス市警)に引き渡す。

1984年より「ゴースト・ウオーリアー」(主演藤岡弘)に出演する傍ら、殺陣師も務める。俳優滝田栄氏も抜刀術を習いに数度LAを訪れ、特別指導をする。ハリウッド映画「ブラックレイン」、「ショウダウン、リトル東京」、「忍者タートル1&2」、「ハンテッド」など18本に出演する。リチャード ノートン、ドルフ ラングレンに抜刀術と試し斬りの指導をする。

戸山流、抜刀道、合気道の本を出版し普及に努める

1990年ー真剣道創始

柳生流、鹿島神流、合気道、琉球古武道、庵剣抜刀術、戸山流、抜刀道、他、今までに習得した武道の研究を続けた後、真の剣の道の悟りを得る。独立独歩の精神にもとずき、五輪五法五行の実技と九曜十二訓と八道の教義からなる真剣道を創始する。

1994年ー国際真剣道連盟創設

1994年に国際真剣道連盟を発足し支部が世界各国にできる。

1998年10月、小幡利城50歳を記念して、13人のアメリカ人、ドイツ人の真剣道指導者が日本視察と小幡の地を見学する為、日本を訪問する。群馬県小幡町、東京を見学する。

1999年、アメリカ、アラバマ州ジェファーソン市の名誉シェリフジュプティとなる。

抜刀道の命名

日本の抜刀道連盟創設をふりかえり(1970年代)

中村泰三郎氏はセミナーで戸山流抜刀術と試し切りを教えていた。試し切り大会を開くことなり、流派に関係なく誰でも参加できる連盟の名前が必要に なった。また戸山流は陸軍戸山学校で教えた歴史があり戦争を連想させるので戸山流という名前は不適当との意見もあった。居合術が居合道になったのだから、抜刀術を抜刀道としたらどうかと提案すると、私の提案が受け入れられ中村氏率いる戸山流は抜刀道と名前を改め、全日本抜刀道連盟が創設された。

本来、抜刀道という名前は、剣道、居合道、試し斬りの三つを一つにと言う希望を込めて命名した連盟の名前であった。しかし抜刀道の技は戸山流の技なので戸山流居合道という名前も平行して使われた。抜刀道連盟で試し斬り大会の回数を重ねていくうち、それが抜刀道連盟の特徴となり、抜刀道は斬る事と誤訳された。斬る事は古来より試し斬り、試斬と言う。

1980年以後ー抜刀道連盟の分裂と怪我の多発

私の渡米後、日本の抜刀道連盟は分裂し、~抜刀道、~抜刀術、戸山流、中村流、刀道、居合抜刀道などいろいろな団体に分かれた。試し切りを通じて、いろんな団体をまとめようとして作った抜刀道だが分裂後、反って多くの小団体を作る結果になった。

組織拡大の為に各団体が高段を簡単に出した結果、段級制度が事実上、崩壊状態をなり、世界各国でも段の乱発が起こる。その結果技術を伴わない高段所有の指導者が多く生まれ、事故が多発する。

米国においても、日本から来た抜刀道の団体が、試し切りの演武中に指を切り落とすという事故があった。そのほかにも日本の抜刀道の団体が空手の団体に米国に招待され、ホテルで酒を飲み雑談中に空手の先生と喧嘩になり、日本刀を抜いて斬りかかり、警察に逮捕され日本に強制送還された事件が起こる。

又他の団体でも納刀中に腿を刀で突き刺し、刀が腿に突き刺さったまま救急車で病院に運ばれる。納刀で腹を突き刺す。抜刀の時、左腕を切る等の事故が起こる。

りんご、きゅうり、スイカを弟子の頭上やお腹の上に置いて斬る大道芸も試し切りの演武と称し、刀を乱用する団体を雑誌などで見る。きゅうりを弟子の首の上に置いて刀を切り下ろし、弟子の首に傷をおわせた事件もある。自分で刀を投げ出しその上に転んで背中を38針縫ったという事件もある。

日本からの怪我の報告も聞く。真剣で納刀をするとき、映画などで使う派手な納刀をし、自分の右腕に刀が滑り落ち右腕を斬った。抜刀で手の平を切った。又日本でも外国でもあった事は、無刀取りと称し、真剣を両手で受け取り、手の平を斬った。これらの他にも怪我の報告は多くあるが、これらの怪我のほとんどは武道を教えている先生たちによって起こったものである。

怪我の理由

1ー教えている先生のレベルの低さ(高段を所有していても技が伴ってない)

2-技術の未熟な高段者の演武

3-刀法の理論に沿わない技、完成されてない技(技が不合理である)

4-練習不足

5-心構えの欠如

6-試し切りを理解してない為(試斬、試刀、大道芸の違い)

7-場所、状況の判断不足

試し切り の素材(藁より畳表に)

畳表を試し斬りの素材として使用する以前は、藁束を斬っていた。しかし東京では藁束が手に入りにくかった。近所の畳屋さんが畳変えをした後の古い畳表をもらって帰り、試したら藁よりも斬り応えがあった。昔、打ち役同心が畳床で試し切りの稽古をしたという記録もあり伝統からも外れてない。そのような理由で私は自分の試し切りの稽古に畳表を使った。公式の場で初めて使ったのは、若駒の武劇ショウである。藁と比べて斬った後ステージが汚れず、跡かたずけも簡単だった。

1977年第一回目の全国抜刀道大会が開かれる事になった。中村泰三郎氏もそれまでは藁束を使っていたが、私は畳表を大会で使用する事を提案した。理由は試し切り大会には 同じ太さ、硬さのターゲットが多くいるが、畳表を使えば簡単に作れるからである。早速私の提案が取り入れられ大会に使われた。簡単に用意が出来、斬りごたえがあり、後かたずけが簡単なので好評だった。それ以来、多くの団体が試し切りといえば畳表を使うようになった。この時、大会で竹の試し切りも提案したが、力量不足だと刀を傷めるという理由で残念ながら竹の試し切りは採用されなかった。

抜刀道、戸山流の大会は畳表を斬ることが主体になった結果、刀は大会用の身幅が薄く、幅広で、鎬の無い刀(竹を試すと一度で刃こぼれすると思われる)を特注して使う人もいるが、日本刀の基準から外れている。

試し切り素材 

試し切りは斬り手の腕前を試す試斬(しざん)と刀の切れ味や強さを試す試刀(しとう)に分かれる。試斬は畳表、竹を使用する。硬物斬りをする試刀は危険を伴うので一般には勧めない。試し切りをする人の中には、畳表を一週間も水に浸けたり、水の中に化成ソーダなどの化学薬品を加えて、藁を腐らせる要領で柔らかくして試し切りに使う人がいるという。試し斬りを派手に見せる為、自分の力量、技量を偽る恥ずべき行為は武道家として慎むべきである。

試し切りの素材には藁、畳表、日本竹を勧める。

孟宗竹は刀が力量負けすることがあるので危険である。試斬の素材としては不適当である。(日本にいた時、渡米して最初の10年は日本竹が手に入らず演武ではいつも孟宗竹を斬っていた。孟宗竹の元、あるいは太い竹の中間部分は特に注意が必要だった)

い草で編んだビーチマットは、硬さは畳表の三分の一程だが、畳表の代用として使用可である。古いビーチマットは砂を含んでいる可能性もあるので新品に限る。

*りんごやスイカなどの果物、キューリや大根などの野菜を斬る事は大道芸であり、武道家のすべき行為ではない。