長沼城(ながぬまじょう)  


   最寄地 福島県須賀川市長沼殿町85 2014.4.11

 駐車場
 説明板(拡大可)
 腰曲輪跡
 本丸跡・日高見稲荷
 本丸跡・土塁
 二の丸跡・石塁
 二の丸跡・石塁

長沼城本丸跡(地図

【遺構★★★☆☆ 比高30m】

【案内・感想】 「須賀川市立長沼小学校」(表記番地)の北に長沼城跡入口があり、途中腰曲輪があり、比高約30mの日高見山頂上に長沼城跡がある。

本丸には日高見稲荷が祀られ、土塁が残っている。

北西に二の丸があり、石塁や散乱した石が残っている。折しも桜が開花目前であり、南に長沼の町並が望める。

 

【歴史】 文応元年(1260年)長沼隆時が築城したといわれているが、詳細は不明である。

永禄九年(1566年)、二階堂盛義が蘆名盛氏に敗れたことにより、長沼城は蘆名氏の支配下に置かれ、新国貞道が城主となった。

蘆名氏が天正十七年(1589年)に滅亡した後、新国氏は伊達氏に仕えた。天正十八年(1590年)には豊臣秀吉の命により奥州に国替となった蒲生氏郷の支配下に移り、蒲生郷安が城主となった。

慶長三年(1598年)に上杉景勝の領地となり、信濃国の長沼城より島津忠直が移った。慶長五年(1600年)の関ヶ原の戦いでは長沼城が関東への上杉氏の前線基地となった。

慶長六年(1601年)には蒲生秀行の領地となり、蒲生郷治、玉井数馬介が城主となったが、慶長二十年(1615年)の一国一城令により廃城とされた。