![]() 自己紹介はこちら。 全記事一覧 | 最近の記事
Showing posts 1 - 5 of 21.
View more »
|
思考の糧(横澤 誠)
![]() 自己紹介はこちら。 |
周波数オークション(続き3)海外での方向修正から意味を探る
少し視点を変えて、諸外国での議論を見てみましょう。OECDで、通信政策を議論する作業部会にCISP(The Working Party on Communication, Infrastructures and Services Policy)というのがありますが、ここで2010年11月に公開された以下の資料を中心に見てみましょう。 (先行する欧米でのトラッフィック急増と周波数オークション) 欧米ではスマートフォンの普及が先行していましたので、Table 5 に示されるように、既に何年も前からトラフィックの爆発が起きていました。特にAT&Tの3年間で5000%(50倍)というのが目を引きます。 (先進国では常識と言われた周波数オークションだが・・・) こうした状況下で、たしかにオークションは多くの国で次世代モバイル通信用の周波数利用事業者を決定する際に用いられている事が下のTable.7から分かります。ただ、今も競争政策との整合性で当初計画の遅れが報道されている英国、様々な応札条件が課せられ低調に終わった2010年のドイツ、そしてオープンアクセス義務や(実現はしなかったものの)卸売り義務などで揺れた2008年米国の700MHz帯以外は、この表では全て1.7GHz以上の帯域です。ここは日本でも2014年を目途にオークションの準備が進められているところですので、「日本だけがオークションを拒否している」と言い切るのは、どうなのでしょう? 総じて、オークションの手法自体が、2000年前後の第三世代の導入期とはかなり変わって来ており、米独英のケース全てに共通しているのは、金額の多寡だけで決定される単純な市場原理ではなく、実情に応じて様々な制約、条件、複雑なルールを加味していることです。入念に制度設計をした上でないと、オークションそのものが有効に成立しない時代になって来ているようです。これは良く引き合いに出されるお近くの台湾においても同様で、価格高騰を避けるための目安となる周波数帯価値の算出結果が提示された上で、募集がかけられました。 さて、そこで問題なのですが、そうした複雑なルール、様々な条件が組合わさったオークションは、果たして当初期待された理想的な透明性を維持していると言えるのでしょうか?ルールや条件が複雑になればなるほど、特定の事業者にとっての有利不利が表面に出てくる事もあり、事実米国の700MHzのオークションにおいては、応札者のひとつグーグルのオープンアクセス義務発動に関する思惑が落札結果とは関係なしに、駆け引きの対象となりました。落札上限下限額の設定や目安額の提示は、恣意的に行われれば特定の事業者に大して有利になる可能性があり、また資金力の差による有利不利を必要以上に際立たせる事にもなりかねません。 これが、この稿のタイトル「オークションは最先端?」という疑問文の意味です。落札価格の高騰を抑制するのは、制度設計を入念に行えば良いのですが、時間がかかる事の他に、それでは価格が高騰しない、つまり国庫にとって収益性の低いオークションに財源としての意味があるのでしょうか?残るは、オークション方式に期待されるプロセスの透明性ですが、それも上記のようなルールの複雑化、入札条件の設定が恣意的な操作をもたらす事も懸念されます。米国の700MHzでは、多くの人が予想した予定調和的結果に終わったという事も言われています。 (国庫補完論のジレンマを「オークション単価」から見る) もう一つ活発に議論された事に、オークションにより高騰した価格にし笑われる資金の問題があります。この点に関しては、「サンクコスト(埋没費用)」と考える事で、実際には携帯電話利用者へ転嫁されないようにする事も「可能」であると言われています。ただしいくら可能であっても、明確に国庫が潤うほどの高騰があれば、どうしてもユーザーに転嫁せずに通信会社が収益性を保つのは不可能ですし、サービスの品質やユニバーサル性の確保にも影響するでしょう。逆に転嫁をしないで済むような落札額なのであれば、国庫収入としての意味もそれだけ少なくなるはずです。 人口も異なり、売りに出される帯域幅もまちまちなオークション落札額の比較をするのに良く用いられるのが、落札額を帯域幅と人口で正規化した[US$/MHz/Population]のメトリクスです。勝手にこれを「オークション単価」と呼んでしまう事にしましょう。、最近のGHz以下の次世代携帯電話用周波数ーオークションを見ると、「オークション単価」米国が1.18、ドイツが0.92に対して、今年3月の香港では1.78とやや上昇しましたが、これは都市型国家であるが故に、資金回収が容易だからという点もあるでしょう。下の図はURL参照で示していますので、もしかするとリンク切れで表示されない事もあるかもしれませんが、「オークション単価」で最近のオークションの動向を測ったものです。様々な要因で依然として大変大きなばらつきがある事が示されています。(図は豪ドル単位ですが今年に入ってからはほぼUSDと同じレートです。気になる方は、 AUDUSD=Xチャートで補完してください。) 「オークション単価」(人口一人当たり、1MHz当たりの落札額) Source: http://www.itnews.com.au/News/279747,is-the-digital-dividend-a-billion-dollar-windfall.aspx今回の日本の900MHz帯については、収益金ではなく移行費用として上限額2100億円というのが示されているので、仮にこの金額の支払いが行われた場合は、「オークション単価」はおおよそ0.75です。(ここ数日少し円安で1豪ドル78円程度)携帯事業者から支払われる金額全てが、既存利用者の周波数移行費用に使われ、余剰金が全く残らないという設定でも、上の図の値と比べると、0.75というのは決して小さな値ではない。すなわち、このオークションから得られる収益は、近年の諸外国でのオークション相場から考えると、それほど大きい金額にはならず、もし仮に現実に落札した費用に移行費用が含まれるのだとすると赤字になる可能性すらあります。 (周波数マネジメント・・・比較審査、オークションの2択ではない) さて、ここで注目したいのは、本来周波数マネジメントのとりうる手段はもっと多様であるということです。Table.6にアプローチとしてあげられている3つの政策手段ですが、上二つは、今回の熱のこもった議論でおなじみとなった、比較審査モデルと市場原理モデルです。それぞれメリット、デメリットが挙げられています。 一番下に書かれているコモンズモデル(周波数帯共有モデル)は、そもそも周波数の占有、保有と言う概念をいったん見直し、時間空間的に動的に空いている周波数帯を適宜使い分ける事により、全体としての周波数利用効率を上げられるのではないかというモデルです。2006年OECD発行の先行するレポート、THE SPECTRUM DIVIDEND: SPECTRUM MANAGEMENT ISSUES(DSTI/ICCP/TISP(2006)2/FINAL)においても、このCommons Approachが取り上げられています。ただし、同時に、「コモンズの悲劇」(Tragedy of Commons)と呼ばれる、利用過剰による障害も引き起こす可能性も指摘されており、ホワイトスペース利用でFCCが採用している地役権アプローチ(Easement Approach、テレビ局不在の周波数帯の二次的利用許可を免許不要局に与える処置)も紹介されています。 実はコモンズモデルもそれほど難しい話ではなくて、もう身近でいっぱい経験されている例があります。それはいわゆる無線LAN、WiFiで、一定の範囲内に定められたチャネルの空白を探し、地理的時間的に動的に周波数帯を共用するモデルです。ただし、これがこのまま携帯電話の周波数配分に適用できるかというと、出力の違いによる干渉範囲の差やハンドオーバーの有無、安定性などいくつか議論すべき点はあるでしょう。しかし長いレンジ、広い範囲で考えるならば、そもそも携帯電話によるデータ通信網だけが独立した世界を今後も維持する訳ではないでしょう。 では、周波数共用の考え方は、今議論している第3世代〜第4世代の携帯電話においては、全く意味を持たないのでしょうか?私は2つの理由で、そうは思いません。 一つは息の長い話ですが、現在も実現を目指して技術開発が進められているコグニティブ無線技術への期待です。今回の周波数割当措置も大きなくくりで見ると、完全に新しいプランに移行するのは2010年代後半であり、その時には既に4Gからその先の「無線クラウド」概念や新世代ネットワークなどが現実のものとしてスコープに入って来ている中で、そういう利用形態に適した競争政策を考える時代になっているはずです。つまり、限定された周波数帯の占有ライセンスの性質が事業者の競争力と強くリンクしている事が、そもそも望ましい事なのかどうかについて、深く考える事が必要なのです。4Gが展開し、その先の5Gがどんなものになるのか、そもそも第N世代という言葉さえ消失してしまうのか、想像もまだできませんが、その頃には、そうした周波数資源を部分的に占有しないとサービスが出来ないという事情がだいぶ変わるのではないかと期待します。 次に挙げられる理由はもっと現実的なものです。そもそも、無線携帯電話による通信事業者にとって市場競争力はどうあるべきなのでしょうか?周波数帯を細分化して、一つの通信事業者に一つだけの帯域幅の占有ライセンスを与える考え方は、既に古い概念なのでは無いでしょうか?といってもそんなに先の話をしている訳ではなく、一番良い例がMVNOやローミングといった、現実に行われている通信事業者間のオペレーションとサービスマネジメントの分離や委託/受託関係で、言ってみれば周波数帯の価値を再販切り売りして共有しながら利用しているとも言える訳です。 「クラウドコンピューティング」によって、以前は自社保有する事が当たり前であったデータセンターが、仮想サーバーのサービスへ移行する事により、効率的に管理ができ、利用を中心とした発想に切り替わりつつあります。非競争領域において、所有(占有)の概念を排除する事は、財務的にもCAPEXからOPEXへ切り替える事となり、一般的には身軽な経営とする事が出来ます。通信会社にとって周波数帯の保有(占有)は競争力の源泉となるものではありますが、たいていは深い経緯と歴史があり、今回もオークションをする事自体が、後発二社にとって不利な競争条件となりかねないといったように、ガバナンスの対象としてはややこしいものです。オークションよりは、周波数帯占有の概念を少しずつ変えて行く方が、よりスマートに透明で公正な競争環境を作る事になる可能性があります。 (大きく変わった海外での周波数オークション) 光ファイバーの展開の時にも、第0次事業者の議論がありましたし、LTEの特性として20MHz以上の帯域幅を連続して使えることが、最大周波数利用効率となるので、細ぎれに事業者に割り振るよりは、オペレーションとサービスを分離して、一地域では一つの事業者にオペレーションを任せて融通し合う方が、技術的には利用者にとって有利となります。こうなると、頭のてっぺんからつま先までの競争関係を前提にしたオークションの意味合いについて、再考する余地が出てきます。 今回総務省指針に盛り込まれた内容の一つで、あまり目立っていないのですが、「卸電気通信役務の提供・電気通信設備の接続(MVNO)」は、重要だと考えます。私は意見の中で、もう少し重く扱っても良いと書きましたが、周波数帯のライセンスを獲得した事業者がそれを閉鎖的に占有するのではなく、積極的に他の事業者にMVNOやローミングで、その周波数帯の利用を共に行う体制についても審査し評価すべきです。本質的に望ましい通信事業者の競争とは、不公平の生じやすい保有する周波数帯ライセンスの性質や量によらず、サービスの安定性や付加価値などで差別化を図る時代になるのではないでしょうか?実はMVNO要件をオークションにおいて加味することは、米国の700MHzオークションの際にも検討され、更にはフランスの3G追加割当(2010年)、LTE割当(2012年)においても重要な判断要素とされています。 モバイルブロードバンドを中心とした電波利用による新産業は、2020年で50兆円、波及市場まで含めると120兆円のGDP押上効果があるとされています。(総務省「電波新産業創出戦略」)既存周波数利用者の移転費用の事や、モバイルブロードバンドユーザーへの価格転嫁を防ぐように時間をかけて入念にオークションを設計しても、得られる収益金ははたしてどの程度のものか、今回は大変疑問です。それよりは、将来の巨大市場を支える基幹産業をいち早く立ち上げられる素地を作るほうが、増税策に頼らない税収の自然増、新ビジネスと雇用の創造、迅速なユーザー利益の提供のどの点をとっても妥当なのではないでしょうか? |
周波数オークション(続き1)事実関係
いろいろとこみ入っていますので、整理しながら書きたいと思っています。昨日(12月13日)京大の講義でも、大学院生に聞いてみましたが、やはり問題点がいまひとつ分かりづらいようです。限られた時間内の授業ではなかなか活発な論戦とはなりませんでした。 一方でWebや政治の場、総務省の会議などでも実に多くの方が様々な立場から、時には過熱気味に論陣を張り、応酬を交わしていました。一つには今後の日本の情報通信ネットワークの発展を左右する、大きな転回点だったからでは無いでしょうか? なぜ、今、こういう議論をしているかについて、以下の私のまとめで不十分な点は、前掲の総務省ページや、様々な一次報道ページをご覧ください。 |
周波数オークションは最先端?〜900MHz帯の戦い〜
珍しくいろいろな方が、純粋に立場の違いを明確にして論戦を交わした課題です。どちらにもそれなりに言い分があり、絶対正しいという結論は無い、そういう問題でした。 先日(12月9日)電波監理審議会で、一般的に言われているオークション方式に完全に準拠するものではないものの、これまでの純粋比較審査方式とも異なり、一部オークションにも似た市場原理を導入した新しい指針で、新たな事業者を募る事が適当であるという答申が出されましたが、ここに至るまでに、国会版事業仕分けや、それに対する総務大臣の方針表明など様々な話題が交錯しました。ようやくあらかたの決着がついたようなので、しばらく温存していた思いを書こうと思います。 深い話になりそうなので、まず総務省で先日公開されたパブコメに、私が応募した際の意見を以下に掲載します。 パブコメの中にはあまり多くを書きませんでしたが、一番言いたかったのは、「旧来の方式を改める必要はあるが、オークションが唯一の候補なのだろうか?」ということでした。もちろんこれには、一般会計化、財源化という事も関係するのですが、両立が難しい2つの事を無理に同時にもくろんで、どちらも中途半端になるのではないかという懸念もありました。 ぜひ、元のリンクで他の方々の意見も参照してください。 3.9世代移動通信システムの普及等に向けた制度整備案に係る意見募集の結果及び電波監理審議会からの答申 |
青色倫敦
ロンドンはパリからの帰り道、航空運賃節約で鉄道で2時間半かけてロンドン便を利用する事が多く、比較的多く立ち寄る都市の一つです。かつて1ヶ月半ほど滞在した事もありますし、自動車も左側通行ですので運転にはストレスが生じない数少ない場所です。とは言え出張ではむやみに運転する事は出来ませんので、左の写真のような、Oysterカード(ロンドンのSuica)を購入していつも使っています。 この自動販売機は場所を覚えておくと便利で、あまり利用する人が居ないので行列に並ばずすぐカードを入手できます。(この写真はユーロスターを降りてKing's Cross駅の地下自動販売機と有人窓口の間にひっそりと設置されているのを撮影したものです。お釣りは出ません。5ポンドきっかり硬貨で用意する必要があります。) そして右の写真は、何回もしつこく取り上げていますが、都市型レンタサイクル。Vélib'の稿で書きました。パリほど多くの利用が無 いのは、まだ自転車専用レーンが多く整備されていない為でしょうか。市内の公園内限定で利用しているケースも多いようです。 ![]() | さて、ここからは緑になります。面白いものを見つけました。似たような試みとして「生体壁」とでも言うのか、存在自体は知っていたのですが、宿泊したグリーンパーク、日本大使館のすぐそばのビルです。苔のような植物、背の低い草がビルの壁に張り付いています。 詳しくはここに説明があるようです。 今年(2011年)の夏は今から考えるのも憂鬱になるほど、乗り切れるかどうか厳しい年になりそうです。仮に電力不足に打ち勝ったとしても、いままで原子力エネルギーに頼っていた環境負荷軽減の努力は一旦お休みになる事は間違いなく、こうした生体壁が少しでも過ごしやすい環境を作ってくれるのであれば、すぐにでも導入したいところです。 参考まで、隣の日本大使館には、下のような震災に際してのメッセージが掲示されていました。 ![]() |
産学連携と「となりの芝生」――知財・人材をめぐる乱気流
(日経デジタルコアのコラム寄稿を元にした改変版です。) 日本の産学連携の現状
2003年11月に発表されたOECD統計によると、日本の官民研究開発投資の対GDP比率は3%で、G7の中でトップである(EUは2%、米国は2.7%)。しかしその中身に目を転じると、投資のほとんどは民間に依存していて、政府による研究開発投資比率はOECD加盟国中最下位である。 さらには産官学間の研究開発資金の移動が官→学(2001年度1兆2600億円)が、官→産(同3000億円)、産→学(同865億円)を著しく凌駕していて、偏った連携の一端を感じさせる。米国では逆に、官→学(2002年202億ドル)より官→産(同298億ドル)の方が多く、産→学(同23億ドル)の額も、経済規模比を超えて大きい。官の金額には国防省予算も含むが、これを除いても活発なセクター間の連携が行われていることは、間違いない。 企業の立場としては、もっと政府による研究開発投資が積極的であってほしいし、その用途については、産業界の価値観を経由した形で産学連携の場に生かすような流れが定着することが望ましい。また、資金という資源だけでなく、人材、知財の交流がもっと積極化されることが重要だろう。 ヒューレットパッカード――産学連携の成功例
これは単に国の政策を問題視するだけで片付く問題でもない。隆盛期のシリコンバレーにおける産学連携を語るとき、ヒューレットパッカード社の例が良く参照される。大学発起業の大成功例であり、そのことを歴代の社長も社員も誇りにして、激動のIT分野で勝ち組に残り続けている企業である。 起業時のフレデリック・ターマン教授の強力なバックアップのみならず、その後も人材面で従業員の大学の場での研究を奨励し、知財面では常に大学との関係を重視した技術開発戦略を続けている。成長過程における同社の特徴として、初期の計測器からプリンター、ソフトウエアまで定期的に販売の主力となる製品分野が交代し、常にイノベーションが起こっていることが挙げられる。人材と知財の両面での産学連携への真摯な姿が、これを支える重要な要素の一つである。 日本の産学連携に目を転じると、産学連携の成功例が非常に少ないことが問題視されている。特にソフトウエア分野において、技術移転が大規模に成功した例を探すのに非常に苦労する。社会で広く用いられる独創的なソフトウエアが、日本でなかなか育たないのも、こうしたところに理由があるのかもしれない。 情報工学から情報学へ
学問としての情報技術を情報学という。各大学における情報学に関係する学科、研究科は、おおむね昭和30年代半ばに計数工学、数理工学などの名称で工学部の中に開設された学科を出発点にしている。情報工学科の名称が使われだしたのは、さらに10年ほどあとの昭和40年代半ばで、このあたりから社会における情報技術の利用も加速している。2004年の今、第1期の卒業生の方たちが50歳代に入り、社会の要所において活躍されている。また、最近10年は「情報学」という新しい学問領域の名で学科、研究科の創設や改称が盛んである。 一方で、政府の主要な委員会メンバーや政策、施策の担当者の経歴を拝見していると、情報工学科を出身とされている方がほとんど見当たらない。このコラムの執筆者の方々も、情報関係を専門に専攻する学科のご出身はごく少数である。かく言う私自身も大学ではコンピューターばかり使っていたとはいえ、情報工学科の卒業ではない。 とはいえ、これは決して悪いことではない。情報技術が社会全般に浸透するにつれて、「作る側」との認識が強い情報工学科出身者よりはむしろ、「使う側」の視点を優先することの方が望ましいからだ。さまざまな立場から議論する方が面白いし、政策や施策の立案遂行は、学問としての情報工学とはまた別なスキルであるということも理解できることだ。 しかし、あまりにも少なすぎないだろうか? 見ていると時々、公的委員会での審議が、技術的な内容に立ち入った途端に平坦な議論になったり、誤解に基づいた発言で混乱がなかなか収束しなかったりする。情報の専門知識をベースとしながらも、決して偏った技術論ではない鋭い視点で、情報社会における数多くの課題に一石を投じる人があと1ダース以上いても不思議ではない。 旧来の情報工学と情報学の違いは、この点で大きな意味のあるものだ。「作る側」のスキルである情報工学のみならず、広く社会とのかかわりを論じる情報学の教育研究により、今後ますます多彩な人材が輩出されることが期待される。ただそういう人々の活躍が軌道に乗り、リーダーシップを発揮するには、まだ10年単位での時間がかかりそうだ。 企業では情報学人材の活用が進まない
大学では、ビジネスと情報学との接点について講義をしているが、大学院に入りたてで、まだ社会経験の乏しい学生たちを前にして、最初にビジネスを語るときに、時々意識のギャップを感じることがある。それは、「ビジネス=金儲け」という本質的な図式に対する無意識の抵抗感で、研究と実業の二つが彼らの頭の中でまだ未分化なことから来るものだと理解している。そういう場合、「売り上げ」、「利益」という言葉の代わりに、「価値(バリュー)」という表現で説明すると、ある程度抵抗感を中和することができる。 こうした抵抗感は通常、新人研修やOJTの期間にだいたい不感症にされるものなのだが、逆にこうした感覚が、結果として大きなビジネスに結びつくこともないとは言えず、企業としては悩ましいところだと思う。その一方で、中にはこうした抵抗感をはじめから持たず、いきなり学生ベンチャーなどを立ち上げて、ビジネスの世界に旅立って行くものも多い。 日本の産業を支えている情報システムを作り、運営する情報サービス分野では、エンジニアの基礎的な能力とスキルのマネジメントが大きな問題となっている。情報システムはあらゆる企業の経営戦略に大きくかかわり、その技術的な優位性が業績に直接影響を与えることは言うまでもない。その情報システムにかかわる企業や部署は、もっと独自技術開発や先端技術の取り込みを中核に、競合他社との差別化を図るべきである。 と、ここまではいろいろな場で議論されていることなのであるが、こうした文脈の中で大学の人材、特に新卒業生について語られることは、ほとんどない。企業側では情報学の学生がどのようなテーマで研究をして、どのような成果を挙げたかということは、あまり注目していないのである。 情報学の成果をいかに“財産”として評価できるようにするか
このことは実は人材に限った話ではない。情報関係の研究は、国、民間を問わず相当多くのリソースを投入して進められているのは疑いようもない。しかし産学連携はなかなか進まず、特に情報学研究の中心となるソフトウエア分野においては独特の難しさがあると思う。 創薬や材料、デバイスなど、特許化しやすく知財パッケージとして企業側が評価しやすい性質の研究分野では、知財流通やマッチングで課題があるものの、おおむね産学双方にとって実りある連携を実現しやすい。薬の新成分や、新材料、新デバイスなどは、研究の成果がビジネスモデルの中の一部品としてそのまま使えるからである。ところが、ソフトウエアについては大学の中で進められている研究成果をそのままビジネスの現場に適用できるケースは稀で、技術の思想や基礎的なアイデアを再度すくい取って実装しなおすということが必要な場合が多い。 いわば情報学知財は、パッケージ化が本質的に困難な分野であり、特許の形での知財流通も、限定的な場面に限られる。従って研究成果が形成される初期段階から産学共同研究のフォーメーションを組むなど、いろいろな工夫をする必要があると思う。 一方人材資源については、技術者教育認定制度(professional
accreditation)の運用が始まっている。これは各教育機関ごとに、教育の質を第三者機関が認定して、卒業生の人材としての能力を保証するものであり、国内での整備が望まれていた制度である。言い方は悪いが、大学単位で人材の能力をパッケージ化してわかりやすい基準で判定できるようにするしくみと言えよう。ただし、前項で述べた企業の技術戦略に直接関係するほどの専門性、独自性を判定するのは、個別の評価が必要となるだろう。 企業と情報学の「となりの芝生」現象
後発だからという理由もあるだろうが、情報学の分野においては、大学と企業の間には、まだまだ大きな距離があるといわざるを得ない。理由の一端は上記のようにまだまだ情報学の出身者が社会全般に浸透していないからであり、もう一つは双方が同じ感覚で評価を行うことができる「パッケージ化」が難しいからである。 距離があるだけに、お互いに相手の立場を羨望する「となりの芝生」現象が蔓延していると思う。企業側は、明日のわが社の稼ぎ頭となり、まだ誰も目をつけていない独創的な技術の種を大学に求める。一方で大学では、ビジネスの現場にこそ新しい研究の着想の種が転がっているはずだと認識している。理想としてはそうあるべきではあるが、現実とのかい離を克服するには、まだこれから多くの失敗と再挑戦の経験を積み重ねてゆく必要があるのかもしれない。
◇ ◇ ◇ 参考)この稿の一部は、京都大学情報学研究科の上林先生と2002年1月にディスカッションさせていただいた内容に想を得ている。この時の先生のお話をまとめて、野村総合研究所の刊行物「ITソリューションフロンティア」にも掲載させていただいた。(http://www.nri.co.jp/opinion/it_solution/2002/pdf/IT20020403.pdf) |
砲弾型から風船型へ ~IT社会を導く為のパラダイム変化~
日経デジタルコアのコラム投稿を元にした復刻版です。(当時のものを元に改変しています。) あまりマスコミでは取り上げられていないようだが、年度替りに前後して今後の日本社会の情報化を左右しそうな、政府の動きがいくつかあった。総務省や経済産業省から、デジタルIDや情報家電など、いくつかの重要なテーマに関する委員会が報告書をとりまとめたり、新たに活動を開始した。更にe-Japan戦略政策の評価を行う「評価専門調査会」が、中間報告書をまとめ、新たなベンチマークの為の考え方を提言している。今回は、これらの動きについて少し考えてみたい。 ■実績のある砲弾型政策 これまでの日本の政策立案は、事前に時間をかけて議論を重ねて間違いが少ないように万全の準備をするタイプであったと思う。実際には必ずしも理想的には行かないケースも多く、時間切れ見切り発車となる事もしばしばであったが、入念に計算を行って後のふらつきが無いようにするスタイルは、いわば砲弾型の政策展開といえる。 社会全体の変化が今と比べてまだ小さく、価値観もそれほど多様でなかった時代には、こうした入念な政策立案が有効だったのだろう。専門外なので詳細に調べたわけではないが、おそらく時代が大きく動くとき以外は、砲弾型のスタイルの方が分かりやすくもあり、運用の為のコストも少なく済む方法だったのだろう。反面で、一度始めたら後戻りできない事の弊害も、前世紀末あたりから目立ってきた。有明湾の埋め立てや、各地のダム建設の見直しなども、そうした認識を反映したものだといえよう。 ■情報化社会にふさわしい政策立案スタイルとは? 情報化社会に向けての変化のスピードは早く、入念な砲弾の軌道設計しているうちに戦況が刻々と変化してしまうような状況である。また、価値観もますます多様化して、絶対唯一の正解というものがそもそも存在しにくい。 一方で、明確な政策や判断基準が存在しない事による弊害も、刻々と深刻になってゆく。個人情報や知的財産の保護については、次第に整備が進められようとしているが、匿名掲示板の利用や、電子商取引の暗黙ルールなどをめぐっては、様々な見解が錯綜しており、その利用自体が憚られてしまう事も少なく無いだろうと思う。 実は、e-Japan政策については、このコラムでも取り上げられる事が多いが、砲弾型政策立案からの脱却という観点で隠れた意義があると思う。3000万世帯の高速インターネット接続、1000万世帯の超高速インターネット接続を2005年までに実現するとした、野心的な政策であったが、同時に進行に際して評価と見直しを行う事が、あらかじめ明確に盛り込まれていた。 砲弾型の政策立案スタイルに対して、随時風向きと目的地の妥当性について判断しながらナビゲーションを進めてゆく、風船型のスタイルという事ができる。 ■風船型スタイルの成立する条件 風船というからには、最低限備えていなくてはならない条件がある。まず、最初に風船を打ち上げるときに、どこへ向かおうとしているのか、経由地はどこか、そのための最初の舵取りの方位はどっちなのかなどを、分かりやすく説明しておく必要がある。また、運行中は周囲の状況と風船自体の状態について、誰からでも分かるようになっていなくてはならない。 ![]() 続いて、船頭多くして混乱しないように、明確な情報に基づいた、地図と測位手法、データが必要である。政策のベンチマークとして、諸外国でも様々な手法が考案されているが、情報化の時代に即した手法を開発する必要があるだろう。 最後に、航路の修正が間違いなく行われるように、システムを作っておく事が必要だ。実行の段階にまで来ている政策は、ややもすると中断や修正に対して多くのエネルギーを必要とすることがあるが、バランス感のある身軽さがこれからは求められるだろう。 中でも最も重要なのが、「オープンで適時性のある情報」である。ベンチマークを行うための基礎データが無いことには評価もままならないし、社会全体の納得感も得られない。情報化社会においてリーダシップをとり、円滑にナビゲートするために一番重要なのが、やはり「情報」なのだと思う。 ■政策のベンチマーク手法を早急に確立する事が必要 3月末に出された内閣府の「評価専門調査会」中間報告書においては、2005年をゴールとする日本政府のIT戦略政策の進捗について、詳細な評価が行われている。残り2年をきった2004年の段階で、率直に評価できる点と、更なる努力が必要な部分について、施策担当者と外部有識者の共同作業によるチェックが行われた。詳しくは内閣府ホームページから入手できる報告書を参照していただきたいが、こうした「政策ナビゲーション」には、政策評価の手法が重要である。 変化の激しい時代だからこそ、その変化を読む為の努力が、国家レベルでも、個人のレベルでもますます求められるようになっていく事だろう。 |
ものくるゝ友は善き友~心的価値を運ぶ21世紀型IT~
2002年に日経新聞社デジタルコアのコラムに寄稿した文を元に改版したものです。 徒然草第百十七段に、「善き友三つあり。一にはものくるゝ友、二には醫師(くすし)、三には智惠ある友」とある。さすがに兼好法師、遥か21世紀の情報化を見越しての名言には驚かされる。「もの」や価値の交換こそが、人と人とのつながりを高め、コミュニティを緊密にする手段だからである。コミュニティにおける心的価値の交換を促進する、新たなITとして「コミュニティ・マネー」が注目され始めている。 ■コミュニティ発生のきっかけはメッセージ交換から 先ずはITを離れて、身近なところから日ごろの人との付き合いを想定してみよう。全く初対面の人が数人、列車の客室などで隣り合わせになったところを思い浮かべてみよう。最初は隣り合った人同士簡単な会話から始まり、親しさを増すにつれて、交わされるメッセージの量も増えてゆく。ある時点で1対1での会話から、グループでの会話へと展開してゆくだろう。原始的なコミュニティの発生である。 このように、「情報」の交換が、コミュニティを支える大きな要素であることは、社会学者の論を待つまでも無く明白である。日常の世界でもインターネット登場以前から、季節の便り、時候の挨拶など、メッセージの交換が人間関係を維持していたのである。現代風に考えれば、ケータイでのメール交換もそうした役割を担っている。インターネットの利用も、電子メールの利用が先行したのは、メッセージ交換がネット上にコミュニティを作る、あるいはネットを利用して現存するコミュニティを活性化させるのに最も必要だったからだろう。 ■より人間関係を緊密にする「価値の交換」 さて、情報交換が一段落したコミュニティでは、次に何が起こるであろうか?人数が大きければ自己組織化など様々な変化があると思われるが、ネットワーク社会の観点で面白いのは「価値の交換」だと思う。日常の世界で言うならば、年賀状のやり取りを行っていた関係と「盆暮れのつけとどけ」を行う関係の差とでも言おうか、ともかく何らかの価値(多くは物品、金銭)を交換し、より緊密な関係を保持しようとするようになる。「真の心」が伴っていない場合、多くは拝金主義的な傾向を帯び、汚職や不正という形で新聞紙面を賑わすことになるわけだが、心のこもった価値の交換は、コミュニティの緊密度を情報交換やメッセージだけのときに比べてまた違った次元のものに高める効果がある。 インターネットの世界でも同じで、利用動向全体を見ても、メール交換の次に起こったのがWWWを利用した物や金銭の交換であった。歴史上インターネット・ショッピングの中で、もっとも早期に一応の成功を収めたものの一つが、1-800-FLOWERSという花束ギフトを中心としたギフトサイトだったことは有名である。TARGETやMACY'Sに置かれた店頭ギフト端末も、電子商取引の嚆矢となる。 ■心的価値の交換を担う「コミュニティ・マネー」 こうした動きの次の段階として、「コミュニティ・マネー」の試みが、最近注目を浴びている。狭くは「地域通貨」とよばれる、流通を局所的に限定した金銭単位のことを指す。これは「円」などの国家通貨と基本的な機能は変わらないが、少なくとも地域のアイデンティティの象徴としての意味を持つ効果がある。更に国家通貨と連動せず、独立した為替レートを持つことにより、域内経済を外部環境に依存せず安定化させる効果があるとされる。一昨年大胆な試みとして行われた「地域振興券」も、通用範囲と期間を限定することの効果を狙った地域通貨的性質を持っていた。 定義をやや広げて考えると、コミュニティ・マネーの試みの中には、「心」の世界にまで踏み込んだものが多い。兵庫県宝塚市の「ZUKA」などは、地域ボランティアや市民運動、小学校学区単位での教育といった、まさにコミュニティの中での価値交換をターゲットとしている。米国で最初の試みが始まった「タイム・ダラー」(1時間のボランティア活動を1タイムダラーという単位に軽量することからこの名がついた)もこの系統である。更に広くコミュニティ・マネーを捉えるならば、古くからある航空会社の「マイレージ」や大手量販店の「ポイントカード」も、企業が顧客コミュニティを活性化させるためのきわめて有効な手段として機能している。 技術の観点からを捉えると、ITはコミュニティ・マネーの運営には絶対欠かせない要素となっている。きわめて感覚的な言い方であるが、数百人までのコミュニティであれば、紙の通貨とそろばんや電卓の通帳程度でも運用が可能であるが、数千人規模となったところで飛躍的に管理運営のための付帯コストが増加する。逆にいえば「電子通貨」、「ICカード」、「データベース」、「トランザクション処理技術」などのITを用いることで、数千人から数万人のコミュニティ内で、ミニ日本銀行を運営することは、もはやそれほど難しくない。 ■国家通貨の縛りから脱却し始める「コミュニティ・マネー」 各種コミュニティサイトや、今はまだマーケティングの一手段であるがポイントカードの隆盛などを見ていると、国家通貨である「円」(日本の場合)に連動していたコミュニティ内の価値流通が、必ずしもそれにこだわらずに運用できる段階が近づいているように思える。たとえば、オークションサイトで継続的に物品の交換をしている人は、入金額と出金額がある程度バランスしており、そうなるとわざわざ「円」の単位で不便な銀行振込を用いる必要も薄くなる。 また、通貨はある意味でコミュニティのアイデンティティを象徴する。日本の国家としてのアイデンティティが成立し始めた時期に、最初の国産通貨(富本銭あるいは和同開珎)が鋳造されたことは有名である。また、今でも英国では、イングランド銀行の発行するポンド紙幣とは別のデザインで、スコットランド銀行が発行する紙幣も普通に通用している。 ■心のこもった「ものくるゝ友」がいるコミュニティ ITが現代社会の構造を大きく塗り替えようとしている、そのもっとも根源的なところで、新しい社会構造の胎動が見て取れる。その一つのあらわれとして、「通貨」を巡る一連の動きは興味深い。個人の立場で言うと、善きコミュニティとは、心のこもった「ものくるゝ友」がいっぱいいるコミュニティであり、だんだんとそれはお仕着せの都道府県市町村のコミュニティではなくなり、自らの意思でアイデンティティを持ったコミュニティになるのだろう。 |
「小さな世界」がつくる水平的ネットワーク利用
以下の文は、2002年に日経新聞社のデジタルコアに寄稿した文を元に、手を加えて改版したものです。あの当時と今と、意外なほどに進展がありません。「失われた20年」になろうとしているのでしょうか? ディズニーのテーマ曲のひとつ、「小さな世界」は、ある意味でコミュニティの本質を言い当てたタイトルである。知人の知人が、実は会社で机を並べている同僚の知人であったという類のことは、実世界で数多く体験されることだが、情報ネットワークの利用に関して大きな示唆を持っている。 ■垂直構造に偏ったネットワークの諸問題 今のインターネットは、小規模な放送局が乱立するモデルから抜け出せていない。ある企業のWebページに求める情報は、人それぞれに異なり、千差万別の情報が得られてしかるべきであるのに、誰が見ても同じ情報であることを前提とし、よりTV放送に近いリッチネスを目指したアニメーションや動画が大量に発信されてようとしている。このため、利用者ごとの目的の違いを補うために、大量の情報をめ込めるだけ詰め込んで、皆の見える高いところにおいておき、セルフサービスで必要なものを探し出してくださいという、上下垂直構造にならざるを得ない。 これは、情報の内容だけではなく、表現の仕方、インタフェースの設計についてもほぼあてはまる。老若男女をとわず、同じマウスとキーボードの操作を強いられている、これまでのWebを中心とした「インターネット」は、あくまでも新しいメディアを利用する試行錯誤の第一段階と考えるべきだろう。また、上下関係があるがゆえに、それを管理する「権限」が生じてくる。また、権限とは表裏一体となる「責任」についても、著作権侵害や、プライバシー侵害、非社会的なメッセージなど、情報がネガティブな働きをしたときの判断が、ますます複雑になってきている。 ■水平的な「友達の輪」は意外と広い 一方で、情報ネットワークの利用の仕方について、社会的にも理解が進んでくるにつれ、少し違ったインターネットの利用の仕方が増えつつある。情報を高いところに陳列しておくのではなく、もっと人間を中心とした輪の構造(水平構造)の中で、自分のほしい情報を取得しようという発想である。自らの疑問にピンポイントで答えることのできる人を、すばやく探し出すことができれば、検索エンジンから吐き出される、大量のゴミ情報と格闘する必要も減るはずである。 このモデルがうまく機能するための条件として、情報を「高いところに置かなくても済む」ことが保証されなくてはならない。無論すべての種類の情報が、この条件を満たすということではないが、「小さな世界(small world phenomenon)」という、社会心理学の研究テマが最近注目を浴びている。1960年代に、何段階の知人関係を積み重ねれば、直接コンタクトのない遠隔地に済む2人の間が、結ばれるだろうか、という実験が行なわれた。詳細は割愛させていただくが、大体6回、「友達の友達」を繰り返すことで、目的の人をポイントすることができたそうである。 これは、日常生活の中でわれわれも経験する、「世の中狭いもんだねえ」を検証したものである。逆をいえば、われわれの等身大の知人関係によるネットワークは、意外と広いのである。こうしたネットワークを有効に利用すれば、中央の高い位置で一元管理を行う便利なサーバーが存在しなくとも、つながりの連鎖で目的の人から目的の情報を取得するのは、思ったほど非効率ではない可能性も示している。 ■ピアツーピア(Peer to Peer)型メッセージボードの実験 ブロードバンドのネットワークは、決して映像などの情報を一方向的に「配信」するモデルでの利用だけを考えるべきではないと書いた。そしてそれに伴い、中央の管理者としてのサーバーを省略したピアツーピア・アーキテクチャの登場場面が増えるだろうということを述べた。このピアツーピアこそが、上で述べた「小さな世界」を前提としたシステムなのである。 その一部を検証するために、指導学生である田中祐一郎君を中心に実験を行った。50人のコミュニティで、ピアツーピア型の設計で擬似的に作成したサーバーレス電子掲示板システムを利用して自由にメッセージの交換をしてもらい、そのときの情報の流れを分析した結果、平均して3.5ホップ(メッセージ転送数)で、全員が同じ内容を共有することができ、上に述べた社会心理学の実験や、理論的に計算した予想とも符合する。 サーバーやネットワークの過負荷が原因で、巨大掲示板などがサービスを中断せざるを得ないケースが時々見うけられる中で、筆者らは、このピア・ツー・ピアー型設計方式を、新たなコミュニティサポートの方式として注目している。(注 この部分は2003年当時の記述) ■水平的ネットワークにおける権限と責任 このような、管理者不在のネットワークが成立しうるということは、社会的に見ても、これまでとは異なるサイバールールについて考えはじめなくてはならな いことを示している。これまでの、クライアント・サーバー型の構成では、サーバーが存在する以上、何らかの形でそれを管理運営する人が必ず居て、いざ事件や事故が起きたときには、責任を問う対象が存在していたが、水平的で、アドホックなネットワークでは、管理者も管理権限もない代わりに、責任の追求もしづらくなる。 匿名性が存在すると大変な手間と労力がかかることになるだろうが、このような場合、情報の発信元(メッセージタイプの情報であれば発言者)しか、責任を求める相手は居そうに無い。既に、ソフトウェアの違法コピーや音楽著作権をめぐる、ピアツーピア・システムの規制の動きが出てきている。仮に今後、利用者数が増加するとすれば、モラルに訴える以外に効果的な規制の手段は無く、ネットワーク社会のあり方に関しての思想的な背景にまで影響を与えるかもしれない。 |
放射線測定器事情(2011年5月現在)
震災の影響で混乱しているものの一つが放射線測定器です。元々それほど市場が大きく、流通在庫で需給バランスの変動を吸収できるような製品ではありませんから、一瞬のうちに世界市場全体で品不足になっています。そんな中で個人的に入手を試みた結果を書いておきます。 (一瞬のうちに世界中で在庫が払底) どうやら日本だけの需要でこうなった訳ではないようです。米国、欧州、北半球全ての地域で、チェルノブイリの経験からいつか自分のところにも放射性物質がやってくるという心理から、ほぼ全ての国で流通在庫が買い占められました。私が「買おう」と思ったとき、丁度ロンドンに居たのですが、マイナーなメーカーの商品も全て売り切れており、もうどうしようもありませんでした。店頭在庫を探しに、休日にトッテムナム・コート・ロードの電気街にも行ってみましたが、これは元々無謀な試みでした。秋葉原とは売っているものが違うようです。アジア的な怪しげな店はあるのですが、商品はたいして怪しくない。やはり通販が主流なようです。 日本に帰り、いろいろ物色を続けていますと、やはり全面的な品薄は続くようです。いままで1万円程度で売られていたものが最大10倍の値段で、しかも納期は保証できないと言うものも多く、まともに取り組む事に消耗感を感じたので方針を変更し、長期戦で考える事にしました。とりあえず、「直ちに人体に影響が出る」レベルの環境放射線が無いことを確認できればと思い、eBayで電離箱方式のCDV-715という年代物を入手しました。 現在一般に使われている放射線測定器は殆どがGM(ガイガーミュラー)管を使ったものですが、電離箱では動作時における印可電圧はGM管より低く、微弱な放射線を関知する事は不可能です。しかし動作原理が簡単で扱いやすい為回路も単純で、この機種も1960年代から使われているものを中古でeBayに出品されているものを購入しました。 実は学生時代、大学における学生実験でこの機種はお世話になりました。回路は単純ですが、勿論全てアナログ回路ですからキャリブレーションが大変でなかなかゼロ点を合わす事が出来ず、また時折回路が振動してしまい微量放射線を測定するのは困難で結局旨く実験課題を終える事が出来なかった記憶があります。 今回入手したものには、付録でFEMA(米国危機管理庁)が冷戦当時に発行したサバイバルマニュアルが付属しており、時代を感じさせます。本体のマニュアルもまた今の感覚では独特で、アナログ回路図に抵抗やコンデンサーなどの部品リストが製造メーカーの型番付きで掲載されています。どこかの部品が壊れたとしても、米国内ならばラジオシャーク(どの街にもある電気パーツ屋)に行って交換パーツを買ってくれば、自力で修理する事が出来ると言う配慮です。昔の電気製品はほとんどそうした作り方だったのに、いつの間にかブラックボックスで手が出せない製品ばかりになってしまいました。 (思惑が入り乱れるオークション市場) さてCDV-715を使って、とりあえず強力な線源は我が家の周りにはないこと(当たり前ですが)を確認すると、やはりもう一段深く確認したくなってきました。それには電離箱方式では限界があります。かといって依然としてある程度信頼のおける米国製、ロシア製測定器は10万円前後という価格が維持されています。 総務省での議論に参加した、周波数政策の時にも「オークション」信仰の根強さを改めて確認させられましたが、究極の市場経済だという事をもう一度痛感しました。eBayで、ロシア製の標準的なGM管計測器(おそらく世界で最も多く売れている)を349ドルで販売しているところを見つけたので、早速Buy it Now!で申し込んでみたのですが、どうやらこれは「空売り」、つまり在庫を持たず、しかも納品の見込みもないのに先にbidを成立させてしまい、キャンセル不可に設定し購買者の泣き寝入りを狙う行為だったようです。販売の条件に書かれた発送日を大幅に過ぎても全く通知がなく、またeBay上では多くの同じ製品の購買者が、批判的なコメントをつけていました。仕方なくこれはPaypalを通じて返金してもらい、別の方法を探る事にしました。(Paypalは同様の返金処理が多く要請されているため、一瞬で手続きが終わりました。) オークションの良い面は「透明性」の維持です。プロセスが全て定型化され、不透明さを排除でき、誰でも納得のいく価格設定や取引が、公平に出来るという点でこれまでになかった情報経済の重要な要素を形成しています。しかし、結局は市場経済の最終到達点であり、新たな経済システムと言うものが今後、創発されてくるとすると、その動きの中で今のようなオークションは排除あるいは形を変えざるを得ないのではないかと思います。この辺りはまた稿を変えて詳しく。 さて、GM管測定器入手に話を戻しますと、不思議なのは民生用放射線測定器の分野には日本製の製品がほとんどありません。堀場製作所が高感度のシンチレーションカウンターを作っているほかは、電子回路工作のキットがいくつかあるだけです。勿論産業用や研究用のものは作られているのでしょうが、唯一の原爆被災国としてはもの足らないものを感じざるを得ません。 数日後ようやく見つけたのが、FJ-2000という機種です。eBayでは319ドルの即決価格がつけられていました。その後日本でもわずかな在庫を販売する業者さんを見つけましたが、値段はその3倍。6〜7万円以上です。この機種が良いのは、線量率とともに累積線量を表示してくれるところです。もともと0.1μSv/h単位でしか表示しませんので、今の空間線量を測定するのには精度が不足です。放射線計測の原則として、一定の同一条件下で時間をかければ、概ね精度はその分高く計測が出来る様になりますから、やく30秒毎に更新される線量率よりは、累積線量の時間変化を記録したものと自分で作り、そこから線量率を逆算する方が正確な測定が出来るはずです。 こういうやり方で、いま自宅では概ね0.16μSv/hという平均的な値を観測しています。教科書に出ている通常時の環境放射線と比べると、やや高めの数字です。バックグラウンドを含んでいる事と、この測定器の内部の回路ノイズがあるので、これを基準値とするのは気休めの為の測定としては十分でしょう。 ちなみに、GWに泉岳寺に行き、丁度新しく模様替えしたばかりの境内で御影石の石柵を計りますと、最大0.5μSv/hを記録しました。東京大阪間の飛行機内では、水平飛行中に最大1.2μSv/hとなり、ある程度理論通りの計数はしてくれているようです。 (シンチレーションカウンターつき冷蔵庫?) とりあえず感度はもの足らず、再現性や安定性の点で大分不安があるものの、大まかな環境放射線の測定ならばできるようになりました。ただ、これでは内部被曝につながる食品の放射能測定は全く出来ません。今は、価格が落ち着くのを待ってより高感度のシンチレーションカウンターを入手できないか考えているところです。 日本のメーカーは作らない(様々な意味で作れない)かもしれませんが、ハイアールあたり今夏の商戦に、シンチレーションカウンター付き冷蔵庫など投入しないでしょうか?冷蔵庫の中と言うのはある意味、放射線計測には適した空間です。新しくスーパーで買ってきて「どさっ」と庫内に投入して半日待ち、α線、β線を含め放射線レベルが極度に上昇するようであれば、野菜などの汚染を識別するのにある程度有効でしょう。(ただし十分感度の高い機種を使い、十分時間をかける必要がありますが。)微量の汚染レベルを識別するのは不可能ですが、何らかの流通上のミスで紛れ込む高度に汚染されたものを排除する事は、不可能ではありません。 |
1-10 of 21