CERNのサポートの影響

■村岡如竹

 KiCadはプリント基板設計CADのOSS(Open Source Software オープン・ソース・ソフトウェア)として、1992年からスタートした。KiCadはOSSとしては分野が異なるが、コンピューターOSのLinuxなどと同様の無償のCADである。

 2013年あたりからジュネーブの国際機関であるCERN(Conseil Europeen pour la Recherche Nucleaire 欧州原子核物理学研究機構)からのサポートが開始されている。

 ヒッグス粒子の発見でヒッグスらのノーベル賞の受賞(2013年)に貢献したCERNには日本からもオブザーバーとして1995年以降140億円近くが拠出され、延べ300人近い日本人科学者が参加している。

 一般に基板デザインCADはリース代が1000万円以上(期間3年)はするものだった。ところが、KiCadは、自動配線機能付きで、物理層(銅箔層)が32層、テクニカル層が14層、ブラインドビアはもちろんベリードビア対応、及び、基板外形が無制限という、あらゆる面で自由な仕様であり、且つ、無償なのだ。


■CERNはなぜOSSの基板設計CADのサポートに乗り出したのか?

 右下の基板の写真はQPS(Quench Protection System 急速冷却保護システム )ボードのものである。

https://home.cern/about/updates/2015/09/engineers-refine-protection-system-lhc-magnets

 これは、LHC(Large Hadron Collider 大型ハドロン加速器)用のQPSの一部を構成するボードで、1000枚以上備え付けられたものである。 写真からはシングルハイトのVMEバス・ボードと見受けられる。

 この他にも粒子線検出器の基板など、最新の検出技術を支えるCERN独自の電子回路の導入など、多岐にわたり且つ大量の基板設計が必要と推測される。

https://cds.cern.ch/record/2285637/files/CERN%20Courier%20Volume%2057%20Issue%208%20October%202017.pdf


 CERNではOSS以外にもOHR(Open Hardware Repository オープン・ハードウェア・リポジトリ)という独自規定のVMEやPCIバス等のデータ・ベースをオープンにしている。CERNには学者以外に常駐の電子回路エンジニアが多数いるようだ。

 加速器内の最新鋭の粒子コントロールや検出器の開発のために、物理学者自身が電子回路の設計に関わっており、ASICの設計にも携わっているものと思われる。つまり、CERNとしては必要に駆られてOSSの基板設計CADを採用し、サポートすることになったと推測される。

■CADとしての性能はどうか?

◆差動ペア及び等長配線(ミアンダ配線)

https://www.youtube.com/watch?time_continue=4&v=chejn7dqpfQ


◆自動配線

  外部アプリ”FreeRouting.exe”を起動して自動配線を行う。その前に、KiCadの”Pcbnew”上で手動で各部品の配置を整え、電源やGND及び重要な配線はあらかじめ手動で引き回し、”塗りつぶしゾーン”の処理を手動で行っておく。四方をパッドで囲まれたQFPなどの”自動配線”機能が苦手とする部品のパッドからは引き回し方向とは逆方向に短い配線を引き出してVIAを配置しておくなどの前処理も行う。

 次に”Pcbnew”上の「外部ルータとのデータ交換」をクリックして”FreeRouting.exe”に自動配線を行わせる。ルーティングが90%以上(というか、残り20本以下程度まで)完了したら、自動配線をストップし、”Pcbnew”に戻って未結線部分や完了した自動配線の配線上のそぐわない部分を修正する。

 上記の自動配線の実行に於ける前処理、後処理は高価なCADでも同じような前後処理が必要なのは同様である。高額なリース代金の大手のCADと比べても遜色ない機能をKiCadは持ち合わせているとみてよいだろう。

もっとも、高価なCADではKiCadより優れた機能を謳い文句にするものもあるだろう。しかし、実は完成度の高い電子回路基板を仕立てるのはCADの性能ではなく、むしろ回路設計エンジニアの回路に対する知識や能力の完成度にかかっている。

https://sites.google.com/a/lyde-global.com/low-noise-pcb-design/


■回路設計エンジニアが直接、基板デザインを行う時代の到来

 基板デザインCADのバージョンアップは性能アップというよりは、CAD会社間の競争や合併によりCADの操作仕様が一変するという事態をエンジニアはよく経験してきた。新しい操作仕様に慣れるまでの時間的負担が回路設計エンジニアにとっては苦になったこともあり、基板デザインを専門の部門や協力会社に依頼するほうがコスト的にも有利なことになった過去の時代があった。

しかし、今日、PCの劇的なスピードアップと高性能なCADが無償で取得できる時代になったことで、回路設計エンジニアは再び基板デザインを取り戻すことができる時代になってきた。

 KiCadの操作や質問事項は、インターネットでググれば、すぐに的を得た答えを知ることが実感できる。専門のCAD会社の場合だとそうはいかない。質問自体がリース契約の有無を問われることはもちろん、サポート部門のキャパシティに限界があるため答えが得られるのに時間がかかる。特に海外のCAD会社だとなおさらだ。

 基板デザインCADとしては、かなり性能がアップしてきたKiCadの世界中への拡散が意味するもの、つまり、回路設計部門基板デザイン部門といった分業体制が壊れ、回路設計部門だけで基板デザインをこなし、ガーバーデータを基板製造会社に出力することができるようになったことだ。


■CAD業界へのインパクト

 日々、研究成果を迫られる研究機関の学者やビジネス上の電子回路設計を担うエンジニアにとって、自ら基板の配線パターンをデザインしたいという要求は使う道具としてのCADのコストの壁に阻まれてきた。

 こんな背景にありながらKiCadはユーザーにとっては”無償”というありがたい基板設計CADである。

 現在、もっとも世界最高峰の加速器や検出器の性能限界にチャレンジしている国際機関であるCERNが後ろ盾となっているKiCadはまだまだ発展系であるが、OSSとしてのCADとして、今後の機能や性能の向上に向けたロードマップが明確に公開されている。

ロードマップ


 同じOSSのコンピュータ用OSのLinuxやITRONがビジネスとして成功を収めた過去の実績を考えると、後ろ盾が巨大なCERNのKiCadは、基板デザインCADの業界にとっては脅威であろう。

 KiCadを使用した基板製造の工程を下図に示す。基板製造メーカーに出力するのはガーバーデータであるが、KiCadのガーバーデータを対象とした基板製造業者もインターネット上の受付含め、増えてきた。

 ガーバーデータとしてのKiCadの出力は一般のガーバーデータ仕様と変わりなく層構成や基板の厚さやレジストの種類などの要求書を出すだけで済む。基板製造業界にとってKiCadは無視できない存在になっているのは確かだ。


■回路図エディタEeschemaの配線ラベル機能の取り残された問題点

 KiCadのすばらしい点ばかりを挙げてきたが、KiCadの過去から次のバージョンとして予定されているVer.5(2018年9月リリース)までも含め、改善にまったく手を付けられていなかった不具合事項がある。

 それはKiCadの回路図エディタ”Eeschema”の配線ラベルの不具合だ。

 ”Eeschema”でそれぞれラベルを付与した異なる配線を誤って接続した場合、”Eeschema”の”ERC”(Electrical Rule Check)でのチェックを行ってもエラー検出ができない。この状態でネットリストを作成した場合、どちらかのラベルが消滅してしまう。 

 このままプリント基板エディターの”Pcbnew”に移行しても間違いに気付かないまま、実基板が出来上がってしまう。量子物理学界では天下の”CERN”だが、そのサポートを受けているKiCadの引き起こす”対消滅”かと皮肉を言いたくなる。

 高価なCADでもバス線のラベルに関してはこのようなレベルの不具合はバージョンの中途まではよくあることだったが、一般ラベルでもこの不具合を取り残していることはKiCadの最大の欠点だ。

 一般に回路図を描く上でラベルを配線の端と端に付与することで阿弥陀くじのような配線の引き回しに対する信頼性を確保できる。つまり、出来上がった回路図を管理する上での保守性の向上につなげるのだが、現状の”Eeschema”ではこのもっとも重要なチェック機能に大きな欠点がある。

 KiCadのロードマップ上は”次の次のバージョン”であるVer.6で”ERC”の改善事項として取り上げることになっているが、一般ラベルでは改善されてもバス線のラベルに対してどうかは不明(むしろ不安)である。ましてやVer.5ですらリリースされていない現在、先の先のことになってしまっている。


■Label_Checker_of_Eeschemaの紹介

 筆者はKiCadのこの欠点に対して補填するツールとして2017年より配線ラベルの誤記のチェッカーとして、

”Label_Checker_of_Eeschema”をリリースしたが、今回、そのVer.2をリリースした。(2018年4月23日)

https://sites.google.com/a/lyde-global.com/label-checker-of-eeschema/

 前のバージョンVer.1.0に対して、All(全シート)モードを追加し、ネットリスをドラッグするだけで、階層化された全シートの回路図ファイルを一括チェックできるようにしてある。KiCadの対象バージョンは、Ver3(レガシー、アドバンスト版)、Ver.4、及びVer.5である。

 シェアウェアとして10回までの試用であるが、無制限化のための有償ライセンスファイルは(株)ベクターから購入できるようになっている。

https://www.vector.co.jp/soft/winnt/util/se515717.html


 旧バージョンVer.1.0でライセンスファイルを購入されたユーザーは、Ver.2.0のフリー版をダウンロードした後、そのライセンスファイルでセットアップすれば、Ver.2.0を有償版(無制限回数化)にできる。

<記: 村岡如竹>