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今年もやります、 
研究三昧」。


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名古屋大学 上田良二先生

菊水の尊敬してやまない名古屋大学の上田良二先生の言葉を借りて、今年は研究三昧をスタートさせたいと思います。上田先生は
昭和初期の物理学者です。祖父は儒学者の上田章。父は経済学者の上田貞次郎、という学者一家に育ちました。
1934(S9)東京帝国大学理学部物理学科卒業。'42名古屋大学理学部助教授、'44教授、'68工学部教授を経て、'76名城大学理工学部教授。電子回折と電子顕微鏡の研究に従事し、超微粒子を世界で最初に人工的に作り出した、とても先見の目のある先生です(森光俊より)
以下、名古屋大学の上村泰裕先生のWEBから記載を転記させて頂きます(http://www.lit.nagoya-u.ac.jp/~kamimura/uyeda.htm

小さな運には5年か10年に一度はぶつかります。私はそれを、「犬も歩けば棒にあたる」と言っています。われわれの頭は犬と同じだから、歩き回ることが大切だという意味です。しかし、いくら歩き回っても舗装道路の上では絶対に棒にはあたりません。棒にあたりたいなら、人の歩かないところに出て行かなくてはだめです。そう言うと、いわゆる新分野への進出を考える人が多いのですが、それで成功することはむしろ稀です。「棒にあたる」ような分野は自分で開拓すべきもので、他人の後を追ってもだめなのです。

まず、他人の持たない実験技術を身につけ、新しい分野を開拓するのがよい。舗装道路を何回走っても運はつかないが、荒野に踏み込めば思わぬ宝物に出会う可能性がある。研究は計画通りには進まないが、努力を続ければ一応は独自の成果が得られる。しかし、それで満足してはいけない。一生に一度の大運がめぐってきた時に、それを逃さずにつかむのだ!

最近の若手は「研究は理詰めでするもの」と思っているらしい。もちろん、そのような研究も学問の発展に欠くことはできないが、それは歯車のこまのようなものである。学問の流れを変えるような研究には、多くの場合、ぜんまいによる飛躍が必要である。

若者はもっと夢を描いて、飛躍を試みてほしい。小さくてもよいから飛躍を試みてほしい。それは一種の賭けである。賭けには負けがつきものだから、負けを恐れていてはできない。自ら研究者と名乗る者は、賭けをする勇気を持たなければならない。そのような姿勢の若手が多くなれば、近い将来、日本からも超一流の業績が出ると信じている。

基礎研究は灯台に火をつけるようなものだから、そのプライオリティが尊重される。それは多くの航行者に恩恵を与えるからで、直接の利益を得るからではない。(中略)独創性を涵養して基礎研究を振興するのは、灯台に火をつけて世界の人々に恩恵を与えるためである。日本人がその価値を認め、それを実行するようにならなければ、日本が先進国になったとは言えまい」

一般に、大学の研究は基礎的、会社の研究は応用的と思われている。しかし、大学の研究がすべて基礎的ならその各々から大枝小枝が出て発展するはずだが、そうした例は極めて少ない。つまり、大部分は基礎的ではなく末梢的なのである。そこで、金儲けと縁のない研究を純正的と呼ぶことにしよう。私は、研究費を使うだけの研究を「純正研究」、使うだけでなく金儲けの魂胆があるものを「応用研究」と呼んでいる。

湯川先生のような研究が「純正基礎研究」、トランジスタやレーザーの発明が「応用基礎研究」、大学の研究の多くが「純正末梢研究」、会社の研究の多くが「応用末梢研究」である。顧みると私も、基礎研究のつもりでたくさんの純正末梢研究をやってきたものだ。末梢研究は基礎研究には及ばないが、そのすべてが役に立たないわけではない。適当な剪定をすれば、花が咲いたり実がなったりするのは末梢である。現在の日本の工業の繁栄が大量の応用末梢研究に負うていることは間違いないだろう。

残念ながら日本人は、学理を生むような技術を開発したり、技術のなかから学理を育てた経験に乏しいから、教壇に立つ先生まで、学理が先で技術が後と思い込んでいる。このあたりに日本の科学技術のくちばしの黄色さが窺われる。


新しい革命を起こせ、若人よ。はぐるまにならず、ぜんまいになれ。