スウェーデン北紀行 夏篇 北欧の夏の夜は暮れない。北緯六十六度三十三分、私達はキャンピングカーでスウェーデンの北極圏に入った。キャンピングカーの窓を通過する薄紫の空が、すでに夜であることを忘れさせ、自分達が気に入るキャンプ場に出会うまで、もうちょっと先へ、もう少し北へと、時間を忘れて車を走らせることになってしまう。ちょっと疲れてきた頃、目に飛び込んでくるキャンピング場の標識、矢印が示す方向に沈まない太陽の光を受けて輝く美しい湖が見える。「ここだね。」と微笑みながら、夫が車のハンドルを軽快にきる。私達は三年連続でキャンピングカーによる夏のバカンスを過ごしている。豪華インテリアが施された大型キャンピングカーはもう少し年を取ってからにして、私たちが手に入れたのは、フォルクスワーゲンのカリフォルニアコーチ。天井部分を持ち上げると、小窓付きのベッドルームに早代わりというスポーツ感覚に溢れたキャンピングカーだ。 この夏私達が目指したのは、スウェーデン北部ラップランド地方でアイスランド馬によるライディングファームを営む友人夫妻の農場だ。首都のストックホルムにある自宅を出発したのがニ日前、千二百キロ余りの道程をキャンピングカーでゆっくり北上してきた。スウェーデンの最高峰、ケブネカイセ山(標高二一一一メートル)の広大な裾野を舞台に、夫妻は近隣諸国からやって来る観光客や乗馬愛好者にニ時間からニ週間のアイスランド馬による各種ライディングツアーを提供している。地元の子供達や身体障害者の乗馬レッスンも行なっている。六年前にファームを始めた時、持ち馬は三頭だったが、現在は預かり馬五頭を含む十五頭に増えている。ご主人のマッツと奥さんのシェスティンは幼なじみで、シェスティンは北方少数民族サーメ人だ。ファームの名前、オフェラス(Ofelas)はサーメ語で道案内人の意味を持つ。サーメ人は、フィンランド、スウェーデン、ノルウェー、ロシアの北部地域に住み、元々トナカイの遊牧を中心に生活してきた人々だ。私達のガイド役はシェスティン、ファーム運営の傍ら、大学でサーメ語を教えている。小柄ながらテキパキと馬の準備を進め、先頭に立ってグループを先導してくれる、土地を熟知した頼もしい道案内人だ。アイスランド馬は、バイキング時代(西暦八〇〇年―千年)にスカンジナビアから船でアイスランドに持ち込まれたものだが、厳寒に耐えて生き残り、しかも気性の優しいアイスランド馬は約千年後の千九百年代に逆輸入されるようになった。道産子や蒙古馬に似た体系で、長い鬣やまつげが印象的な馬だ。乗り心地の良いトルトゥと呼ばれる歩様が出来るのも特徴で、乗馬人口が多いスウェーデンで特に女性に人気の在るのが納得できる。ケブネカイセの裾野には、高い木は少なく白樺の低木や、ブルーベリーの密集が見られた。昼食時に馬から下り、つぶの一回り大きい新鮮なブルーベリーを摘んで口に含むと、プチプチと音がするようにはじけ、甘酸っぱさが口に広がった。一人で旅のロマンに浸っている私を横目に、シャスティンは休む暇なく、馬を放つ囲いを張り、白樺の木の削り片を使って、コーヒーを沸かす火を慣れた手つきで起し始めた。馬の背からトナカイの乾燥肉の大きな塊を取りだし、サーメ人特有のナイフで薄く切り取り、私達に差し出してくれる。しょっぱさが丁度よく、美味しい。ケブネカイセ山の雪渓から溶け出る水が渓流に流れ込み、馬達の喉を潤している。山岳ステーションを基点にして、王様の野道という名の付いた四百五〇キロのトレッキングコースを、各国語を話すハイカー達が通りすぎてゆく。(山岳トレッキング・ハイキングのクングスレーデン参照)夏のラップランドは、まさにアドヴェンチャーランドだ。
スウェーデン北紀行 冬編
今年のクリスマスは自宅でゆっくりしようなどと言っていたのに、クリスマスイブの数日前にラップランドへ行こうと言い出したのは夫の全くの気まぐれだ。この時期になって汽車も飛行機も取れるはずがなく、私達の中古のトヨタは、雪道千ニ百キロを走るにはちょっと不安がある。カーステレオもカセットだ。結局同じトヨタの新車をレンタルすることにした。カントリーの好きな夫には、運転しながらカントリーのCDが聞けることが最重要事項なのだ。出発当日の朝、四時に自宅を出る予定が三十分遅れただけなのは奇跡的という他ない。低気圧の接近でストックホルム周辺には雪が降り始めていた。冬場の北欧は、夏とは正反対で日照時間が短く、午後三時を過ぎるともう暗い。夏にラップランドを目指したのとほぼ同じ道を、今回は途中軽い食事を取るためハーバーガーショップに一回立ち寄っただけで、結局十六時間ほぼぶっとうしで車を運転し北上した。外部の気温を示す運転席のデジタル表示は、ストックホルム付近のマイナス五度から北上する毎に下がり続け、オフェラス・ファームまで後数時間という地点ではマイナス三十度になっていた。午後五時頃だったろうか車の前方に白光色の長い帯が横たわっているのが見えた。もしやオーロラでは、と車を止め昂奮して外に出て見るとやっぱりそう、四、五キロはあろうかと思われる長いオーロラの帯が空一面に広がっていた。私にとっては、生まれてはじめてのオーロラ体験だ。外気温は、体感ではマイナス三十度以下で、数分もしない内に急いで車内に戻った。後で気付いたのだが、デジタル表示はマイナス三十度以下は示していなかった。この時きっとマイナス四十度近くになっていたのだろう。午後八時過ぎ、予想より早く私達はオフェラス・ファーム(www.ofelas.se/)に到着した。
翌朝目が覚めると既に九時を過ぎていた。朝早く起きて厩舎の掃除を手伝うからなどと前日の夜言っていたのにこの有様だ。温度計がマイナス三一度を示している。マイナスニ五度前後を境に、地元の子供達の乗馬レッスンをするかしないかの判断をしなければならない。シャスティンは結局キャンセルすることにして生徒達に連絡を取っていたが、昼前にはマイナス十五度ぐらいにまで上がった。ラップランドの人達が、今日はマイナス十五度で暖かいと言う感覚が理解できる。マイナス十五度は、確かにマイナス三一度より暖かいのだ。ファームのアイスランド馬達は、気温に関係なく朝厩舎から屋外に出され、夜また厩舎に戻されるまで外で飼葉を食んでいる。マッツがファーム内を歩いて足跡を確認し、前日の夜ヘラジカ(Elk)が子連れで飼葉を失敬しにやって来たらしいことを確かめていた。その数日後の深夜、私達は泊まっているゲストハウスの窓越しに、アイスランド馬の二倍四、五百キロはありそうな大きなヘラジカ親子が飼葉を食んでいるのを目撃することになった。ヘラジカ飛び出し注意の道路標識は、お気楽な観光客用の被写体ではないのだ。
シェスティンが所有するトナカイの世話を普段してくれているサーメ人のオーヴェ叔父さんがファームを訪ねて来た。シェスティンがトナカイの血と小麦粉、卵、ミルク、塩少々を混ぜてパンケーキ風に薄く焼き上げたブロードプレッタ(Blodplätta)を作ってくれ、一緒に頂いた。毎年この時期に行なわれるトナカイのマーキング行事について話に来たのだろう。トナカイのマーキングは、新しく生まれたトナカイに持ち主のマークを付けたり、所有しているトナカイの数の確認をし、予防接種等をするため、山に放牧されているトナカイを一所に集め、一回に約二百頭ずつ(二日間で計約六千頭)取りつけた柵内に追い込んで仕分けしていく“レンイェーデ”(Rengärde)と呼ばれるサーメ人伝統の行事だ。各持ち主には屋号があって、トナカイの左耳にその屋号が記されている。新しく生まれたトナカイは、常に親に付いて歩くので持ち主の判別が出来るそうだ。この二、三日気温が低く、マーキング行事を何時にするかの長老の判断が遅れているらしい。私達は、マイナス三十度以下での“レンイェーデ”に備えて、最寄りの町キルナで底の分厚い北極探検用かと思われるようなブーツを買った。足が凍傷になって切断した人がいると脅かされたからだ。早朝から夜まで一日寒風の中に立つことになる後日の“レンイェーデ”で、これが脅かしでないことが実感できた。頭と足と手のカバーが基本だと教えられ、手にはスキー用手袋、頭にはトナカイの皮で裏打ちされたシェスティン手作り赤狐の毛の帽子を借りた。やっとラップランド人らしくなってきた。
気温が上がるまで、ユッカスヤルビの町で世界の観光客を集めているというアイスホテルを見学に行った。春に川から切り出した天然の氷の固まりを保存しておき、冬にそれを積み上げて建てられるホテルで、中には教会や趣向を凝らした氷の部屋の数々、アイスバーなどがあり、ファンタジーに溢れた夢空間になっている。ここで結婚式を挙げた日本人カップルもいるらしい。ホテル内は外気温より高く、マイナス5度ぐらいだった。
クリスマスイブの朝、厩舎の掃除を手伝ってから、マッツ、シェスティン、夫と私の四人でニ時間ほどのクリスマスライドをすることになった。気温はちょっと高めでマイナス十四度。三十センチほどの積雪を踏んで、アイスランド馬が力強く森の中を進んでゆく。雪は降っていたがラップランド装備で寒さは微塵も感じず、野ウサギやへラジカの足跡を目で追えるほどのゆったりペースが、ラップランドのクリスマス気分をさらに高めてくれる。白樺の森はまさしく白銀の世界。この時期、一日中顔も見せない太陽がケブネカイセの稜線を薄っすらと茜色に染めている。アイスランド馬の背中から伝わる温もりを感じながら、気分はトナカイに引かれ空を飛ぶソリ上のサンタクロース、これ以上の精神的贅沢はないと思える最高のクリスマスライドを体験した。夏も冬も、ラップランドの自然は期待を裏切らない雄大さで私達を受け入れてくれる。 |

