Kungsleden クングスレーデン9日心の旅

内容

夫婦二人の山歩き

フィエールレーベン・クラシック

登山グッズ名品

ケブネカイセ山岳ステーション

風の音

山のサウナ

チェクチャ峠

山は思索の場

登山靴修理

アビスコ山岳ステーション

 

スウェーデンでは、夫婦の一人が55歳になると、サービスフユース (Servicehus) という高齢者用の住宅に入居することが出来る。民間運営のものもあるが、大抵は自治体が運営している施設で、台所、居間、寝室、バスルームがついたアパート形式の高齢者用集合住宅である。同じ建物内に食事が取れるレストランがあり、希望によって自宅での食事のサービスも提供されている。私達夫婦の年齢を合わせると、夫は来年60歳、私は55歳で115歳になり、これらセービスフユースに入居できる年齢に達している。とはいっても、二人とも精神年齢は若く、アウトドア好きで、週に何回かのジム通いを30代の頃から長年続けている。夫は今年早期前立腺ガンが発見され、5月に手術を受けたばかりだが、日頃の鍛錬の甲斐あってか回復も早く、2ヵ月後にはジム通いも始めた。夫は若い頃から乗馬が好きで、これまでにも、ヨーロッパ諸国は勿論、アメリカ、アフリカ、インド、オーストラリア、ニュージーランド、チベットなど、乗馬ツアーが出来る所を求めて世界中を旅している。1995年モンゴル高原3週間の乗馬ツアーに二人で参加したのも良い思い出だ。

 

私達夫婦が山歩きの面白さに目覚めたのは、1980年代初め仕事で札幌に3年ほど滞在していた頃だ。週末の気晴らしに、軽いリュックを背負ってロープウェイで北海道の最高峰旭岳に登ったことがあった。その日は快晴で、雪渓を抱く大雪山系の山々が遠くまで見渡せる素晴らしい景観だった。全国各地の山を歩いておられる山好きな老夫婦に山頂で出会い、縦走コースの素晴らしさを聞くうち、このまま下山するのは惜しいような気がしてきた。私達はその老夫婦が各地で撮影された山の写真を見せていただく約束をしてお礼を言い、無謀にもそのまま歩き始めた。荷物もなく、若い体力で尾根を巡り、風呂がまほどの大きさの温泉にも浸かり、そばで食事をしていた登山者からスイカをご馳走にまでなって、数時間後には意気揚揚、元の登山口に戻っていた。山頂でお話を伺った老夫婦には、麓でその感激を伝えお礼を書き添えて絵葉書を送っておいた。自宅へ戻ると、その老夫婦から電話があり、あの後急激に変わったらしい山の天候から、ずっと私達のことを気にかけて心配して下さっていたようで、私達の絵葉書を見て胸を撫で下ろしたとの事だった。日に焼けた、優しい笑顔のあの老夫婦は今どうしておられるだろうか。「若いのだから」と背中を後押しして下さった老夫婦のおかげで、その後夫婦二人の山歩きが、私達のアウトドア・メニューに追加されることになった。

 

フィエールレーベン・クラシック

スウェーデンのアウトドア用品メーカー、フィエールレーヴェン社 (Fjällräven) が主催するフィエールレーベン・クラシックというトレッキング大会がある。スウェーデンの代表的トレッキングコースである全長約450キロのクングスレーデンの内、ニッカルオクタとアビスコ間のクングスレーデン第一ステージ約110キロをトレッキングする大会で、2005730日から85日にかけて始めて開催された。競技ではなく、自分のペースで自然を楽しみながらゴールに到達するのが目的だが、途中6箇所(スウェーデン最高峰ケブネカイセ山岳ステーションと5箇所の山小屋)で通過スタンプをもらうことが条件で、5日で達成すれば銅メダル、4日で達成すれば銀メダル、3日で達成すれば金メダルが授与される。クングスレーデンは、私が歩いてみたかった念願のコースだが、2ヶ月前に手術をしたばかりの夫の体調を考え様子見状態の私を、逆に勇気付け申し込み最終日に参加を決めたのは夫の方だった。出発前ホームページで確認した参加者リストには180名余りの名前が載っていた。出発点の二ッカルオクタからアビスコまでの行程は下記の通りだ。

 

二ッカルオクタ(Nikkaluokta) – ケブネカイセ山岳ステーション(Kebnekaise Fjällstation) 19km

ケブネカイセ 山岳ステーションシンギ(Singi ) 14km

シンギ(Singi) –セルカ (Sälka) 12km

セルカ(Sälka) – チェクチャ(Tjäktja) 12km

チェクチャ(Tjäktja) – アレスヤウレ(Alesjaure) 13km

アレスヤウレ(Alesjaure) – アビスコヤウレ(Abiskojaure) 20km

アビスコヤウレ(Abiskojaure) –アビスコ(Abisko) 15km

 

 登山グッズ名品

何事にも用意周到な夫が、取り付かれたように装備の準備を始めたのは、出発の2週間も前からだった。荷物を軽量化するため、一つ一つ目方を量りながらの緻密な作業で、横で見ている大雑把な私には気が遠くなるような仕事だ。狐を商標とするフィエールレーベンは、昔から夫が愛用しているスウェーデンのアウトドア製品だが、私は結婚した当時、夫が1972年から使用していたフィエールレーベンのジャケットを譲り受けた。カーキ色で、腕には皮製の狐のトレードマークがついている。もう30年以上も前の製品だが、使えば使うほど味が出て、山では逆にお洒落に見えるクラシックなジャケットだ。今回も私はそれを着ていくことにした。バーナーはやはりスウェーデン製のトランギアを長く使っている。元々アルコールバーナーだったのを、ガスボンベでも使えるように、夫がガスホース用の穴を開けて使い易くし、両用出来るようにしたものだ。寝袋は、夏用、冬用いくつか持っていたが、袋に入れる際、広げて空気を抜きながら丸める必要がなく、どこからでもパックに押し込めればよいだけというフィエールレーベンの製品を新しく買った。狭いテント内でのパッキングには実際大変使い良かった。テントといえば、90年代に私達が東京の石井スポーツで買い求めたゴア・ライトは逸品だ。雨水がテント内に染み込むこともなく、風を通さず、気温が下がる夜にはオアシスのような快適さだ。最初持っていくべきか否か迷ったストックは、特に長丁場で石の多いトレッキングには足やひざへの負担を軽くするのに役立った。背中に荷物を抱え、雨で水かさの増した橋のない川を渡るときなど、バランスをとりながら石をステップするのにストックが大変重宝した。フリースのセーターや帽子、手袋、ゴアテックスのジャケット、ジムでも使っている汗の乾きが早いアンダーウェアー、それに雨用のバックパック・カバーなど、スウェーデンの夏山では欠かせないアイテムだ。それやこれやで、結局私は14キロ、夫は15キロの荷物になった。

 

ケブネカイセ山岳ステーションへ

ストックホルムから2日かけてキャンピングカーでゆっくり北上し、フィエールレーベン・クラシック出発前日の夜は、出発点二ッカルオクタに近い友人の乗馬牧場に車を止めて一泊した。「5日? そんなにかからないョ。去年山で馬がいなくなった時、僕は一日でアビスコまで馬を捜して歩いたよ。全然問題ない!」と、牧場主のマッツ。ふむ…。牧場の草の上で出発前の荷物を再点検している私達を見て、「バーナーやガスボンベなんか重いから置いていったら。マッチで火が起せるでしょう。」とサーメ人の奥さんシャスティン。ふむ…。最後の最後まで、荷物の中身を入れたり出したりで時間が過ぎて行く。とにかく出発日前日に私達は二ッカルオクタにある山岳ステーションで受付を済ませた。すぐそばのキャンプ地では既に出発を待つ参加者達のテントの花が咲いている。出発当日は、申し分ない晴天。垂れ幕や翻る旗の波、色鮮やかなトレッキングウェアに身を包む登山者達の群れ、主催者の臨時テント群など、イベントムードは最高潮だ。午前中には同じフィエールレーベン社が同時開催しているマウンテンマラソン大会FEMのスタートが切られた。クラシックの参加者に比べ、荷物は極端に少なく、身に付けたウェアも体にぴったりしたタイツとランニングウェアで、数少ない女性の参加者も含めよく訓練された筋肉の引き締まったボディーラインをしている。おばさんは暫しうっとり。フィエールレーベン・クラシックの出発は午後3時だった。最初の目的地であるケブネカイセ山岳ステーションは、出発地点から19キロ先。67時間かかるとして夜10時近くになるのでは、などど数字だけが頭の中で躍っている。幸いラップランドの夜は暮れない。たどり着けなければ、ビバークすればいいと考えていたら、果たしてその通りになった。晴天の日でも夕方6時を過ぎると急に気温が下がる石の多い山道を、初日の気負いもあって、もう少し先へもう少し先へと引き伸ばしていたら、それが夫の足にきた。冷えたためか筋肉が硬直して歩くのが難しくなってしまったらしい。日中は18度前後でも夜は5度、時には零下になることもある。結局私達は、ケブネカイセ山岳ステーションの2キロほど手前、最初にテントを張った地点で2泊することになった。夫が手術後2ヶ月の身であることもあり、慎重に判断した結果だった。急ぐことはない、楽しまなくては。テントから顔を出して眺めるスウェーデン最高峰ケブネカイセは、刻々とその景色を塗り替えている。明かりなしでも、遅くまでテントの中で読書も出来る。主催者から供給された、「ハンター・メニュー、ヘラジカ肉とマッシュルーム」、「ハンガリー風ワイルド・シチュー」などと記された数種類の山岳食の味定めも楽しい。天気は勿論、装備の良し悪しから山歩きの思い出まで、夫婦二人のテント内での話題が尽きることはない。

 

テントの上をヘリコプターが何度が行き来する音がしている。夫の体調を気にかけながら、私は1987年夏二人で北海道のトムラウシ山に登った時の事を思い出していた。登山後延々と続く長い裾野を歩き、這うようにたどり着いたトムラウシ温泉の溢れ出る湯を堪能し、然別湖のキャンプ場で登山の余韻を楽しんでいる翌朝の出来事だった。シャワー代わりに湖で一泳ぎした夫が、テントの中でうめいているような声がする。駆けつけて見ると、夫は形相を変えて下腹当りを手で押さえ苦しんでいるではないか。私はキャンプ場の管理人さんに最寄の病院の位置を聞き、夫を助手席に乗せてハンドルを握った。運転が得意なわけではないが、あの時は砂塵を上げて走る大型トラックも追い越し、猛スピードで20キロほど先の病院へ向った。苦しみながらも運転の指図をする夫をどうにかして頂戴! 夫は、尿管に石が詰まって苦しんでいたのだ。石は、翌々日の朝、自宅近くの病院へ入院した夫の尿と共に出てきた。あんなことが山の中で起きたらどうしよう。ヘリコプターで運ばれる夫の姿がふと頭に浮かぶ。

 

3日目の朝早く、元気を取り戻した私達は最初の目的地、ケブネカイセ山岳ステーションへ向けて再出発した。天気は快晴。空には一片の雲もなく、ケブネカイセが頂上までくっきりとその姿を見せている。360度どこを向いても絵になる。私はシャッターを夢中で押し続けた。通りがかりの登山者が「カメラ持ってない日本人っているのかな。」だって、何とでも言って頂戴!

休養後のケブネカイセ山岳ステーションまでの2キロは、足取りも軽やかだった。一時はスタート地点へ戻った方が良いのではという思いも過ぎったが、とにかくケブネカイセ山岳ステーションまでは行ってみたい。離発着するヘリコプターのエンジン音が一歩ごとに近くなり、白樺の木々の間からそのケブネカイセ山岳ステーションが突如姿を現した。以外に大きい建物で、インテリアにはフロアーから梁まで木がふんだんに使われている。レセプションで通過スタンプを押し、父と子がチェスに熱中している暖炉のあるサロンを抜けて、ライブラリーを覗いてみる。白黒のパネル写真と共に山岳ステーションの歴史や古いピッケル、登山靴などが展示されている。1927年に設立されたスウェーデン山岳倶楽部や1940年代のアルピニスト達の説明パネルに見入る。ここには、テロリストも殺人魔も麻薬常習者もいない。アビスコから南下してここに至った登山者と、これから本格的に山に入る登山者達が交差し、健康的で爽やかな華やぎに満ちている。山岳ステーションからの登山道両脇には、いくつものカラフルなテントが張られている。クングスレーデンが始まるのは、実際には次の中継点であるシンギ (Singi) からだが、ケブネカイセ山岳ステーションは、スウェーデン最高峰ケブネカイセ登頂 (2117m) を目指す登山者達のベースキャンプでもある。ここでもまた、何事かに時間がかかっている夫を待ちながら、私はそばのせせらぎで水を汲み、ごみの処理をし、カメラを手に歩き回り、フリースのセーターを脱いでバックパックに詰めた。しばらくして戻ってきた夫は、1週間後に予定されていた手術医との予約を電話でキャンセルし、「これで落ち着いて山歩きができる。」と言って微笑んだ。

 

風の音

シンギの山小屋を見下ろす山の中腹で私達は3泊目のテントを張った。両側を山に挟まれ、その間を流れる川沿いに位置するシンギ小屋は、夕方私達がテントを張った地点から見下ろすと、日が当らない暗い場所のように見えたからだ。ところが私達がテントを張った場所は風が吹き通し、テントの外側の覆いがはたはたと音を立てた。テントにもぐり込むのを待っていたかのように、ポツポツと雨音もし始めた。しばらくしてテントから顔を出してみると、目の前に虹のアーチがかかっている。湿地に敷かれた板の歩道の下で、ナキウサギがちょろちょろ飛び回り、ピーピーと独特の泣き声を響かせている。丘の向こうをトナカイの群れが長い列になってゆっくり移動している。そういえば、今回の山行きでトナカイの群れを見かけたのはこの時だけだった。好物の茸をお目当てに山を降りてくるまで、普通はもっと山の上の方にいるとトナカイの所有者でもあるマッツが言っていた。翌朝早めに荷物を作り、シンギに降りて通過スタンプを押し、小屋の管理人さんと暫し立ち話。フィエールレーベン・クラシック参加者の中には、ここで続行を諦めてヘリコプターで戻った人や、一気に最初の夜にここまで到達したが、足の痛みが止まらず引き返した人もあったことを知った。あせりは禁物。出発時にサーメ人の女性が門出を祝してサーメ語で歌ってくれたヨイク (jojk) のように、自然を愛で、風の音を聞いてマイペースで行きましょう。

 

山のサウナ

日本の山に温泉があるなら、スウェーデンにはサウナがある。山岳ステーションには大抵サウナが付いているが、山小屋にはある所とない所がある。二ッカルオクタとアビスコ間にある5ヶ所の山小屋でサウナがあるのは第3中継点のセルカ (Sälka) と第5中継点のアレスヤウレ (Alesjaure) 2箇所だ。私達は、セルカで、オランダやベルぎーからの登山者達と一緒にサウナを楽しんだ。サウナの中で得られる、これから先の登山道の情報収集は貴重だ。裸の付き合いでひざの痛みや筋肉痛を吐露し、お互いに慰めあっている。9日間のクングスレーデンの旅の間、清らかだが手が凍るほどの冷たい川の流れを利用して歯を磨き、朝晩顔や手を洗ったりするのは怠らなかったが、お湯を使って体を洗ったのは結局この時のサウナだけだった。使ったお湯の分、川から水を運んで補充し、薪をくべて後の人への配慮も忘れないようにと、サウナ使用時の注意書きが出ている。夫が裸で飛び出し、そばを流れる川からバケツいっぱいの水を汲み、両手に下げて戻ってきた。初日26キロを歩いたという一人旅のスウェーデン人女性が飛び出し、川にジャブンと浸かって大急ぎで戻ってくる。彼らに刺激され、次はオランダからの登山者達が飛び出した。旅はまだ1/3を来たばかり、ここで一息入れて、また明日も頑張ろう。

 

チェクチャ峠

 

STFが運営するクングスレーデンの山小屋の内(スウェーデンのトレッキング、ハイキング参照)、一番標高の高い所にあるのが標高1000メートルのチェクチャ(Tjäktja)の山小屋だ。クングスレーデンは2000メートル級の山々の裾野をぬうように歩くコースなので、山に登るところはなく、全コースの最高地点は標高1100メートルのチェクチャ峠だ。通常登山者は、北のアビスコから太陽を顔に受けて南下するコースを取るが、フィエールレーベンクラシックは、南から北上する。南下する登山者達とすれ違うと、「Hej! ヘイ!」と言って挨拶を交し合う。彼らは北上するフィエールレーベン・クラシックの参加者160名余りと集中的にヘイを交わして来たに違いない。チェクチャ峠を境にした、南と北の景観は別世界のようだ。南下するグループにとって、石また石の大地が長々と続く峠への上り坂は、雨が降ったりしていればスリップしやすい暗い道だ。途中から板の歩道が敷かれているのが有難い。すれ違ったドイツからの登山者が、「アウトバーン!」と板を指差して笑った。冬には峠のてっぺんにある避難小屋で、何人もの登山者が一息ついたに違いない。峠を越えた南側は、緑の大地を太陽に輝く川がうねる、まるで別天地だ。もう少しだから頑張って!と心の中で激励する。2日遅れで峠に達し、眼科に広がる緑の大地を振り返って眺めながら、この後は385メートルのアビスコ山岳ステーションまで下るばかりになった私達の道程を思った。ゆっくり楽しみながら歩きましょう。出発してから5日目のことだった。

 

山は思索の場

7日目アレスヤウレの山小屋に至る頃には、食事のバラエティーが少なくなっていた。主催者から供給されるドライフード以外に、自分達で用意したチューブ入りのチーズ、ビスケット、ココア、コーヒーがなくなり、皮ケースに入った携帯用のスティール製ウィスキーボトルも空になった。67時間歩いた後、毎晩テントの中で「スコール!」と乾杯して、一口ずつ頂く楽しみがこれでなくなった。アレスヤウレの山小屋の上空を、ヘリコプターが飛んでいる。食料の補給のためだろうか、などとそのときは考えていたが、実はフィエールレーベン・クラシックの主催者がスタンプなどの備品を引き取っていったのだと後で知った。私達は、いよいよ枠外登山者になったようだ。でも、その方がむしろ居心地はいい。アレスヤウレの山小屋の売店で、チョコレートやビスケットを買いたし、幸い残されていた支給用のドライフードを受け取って、また歩き始めた。湖の反対側の岸に、サーメ人の村落が見える。歩いても歩いても振り返ればそのサーメ人集落が目に入り、なかなか前に進まない。目線は、前日の雨でぬかるんだ足元に落ちている。何時の頃からか、息子さんと一緒の中年ご夫婦と追いつ抜かれつ、何度も顔を合わすようになっていた。「良くお会いしますね。」と奥さん。聞けばベルギーからの登山者一家で、去年私達がカヤックを漕いだビスタ川沿いのコースを取って、クングスレーデンに入られたようだ。山岳部周辺にはいくつものトレッキングコースがある。コースの選択も楽しみ方も、またそれにかける時間も人それぞれ。川の流れに逆らって、私達がビスタ川を上流に向けてパドリングした時には、最初のキャンプ地まで5時間もかかった。同じコースを翌日戻ったときには2時間余りだった。流されるほうが楽には違いない。でも流れに逆らって挑戦した後だからこそ、楽しさがある。山歩きも、同じ1キロが体調や天気で随分違うものに感じられる。「雨にも負けず、風にも負けず …」と、小学校で音読させられた詩が自然に浮かんでくる。スウェーデン人の元国連事務総長ダーグ・ハンマルショルドが書いている。「一番長い旅は内面への旅である」と。

 

登山靴修理

 

前を行く夫の登山靴の底が、パコン、パコンという音を立てだしたのは、最後の通過点アビスコヤウレ (Abiskojaure) の山小屋を目前にした時だった。2層になっている靴底の一枚がはがれ口を開けている。人生最後まで油断は禁物、何が起こるか分かったものではない。出発してから既に8日目、髭ずらの夫は、旅慣れた山男の風情でこの時とばかり荷物から非常用キットを取り出した。小指ほどの紙筒に巻いたスティールコイルとナイフやペンチがセットになったツール。夫は靴の両側の二箇所に穴を開け、凸凹した靴底のラバーをナイフで削って平らにし、コイルを通し、ペンチでコイルの両端をねじ止めて、登山靴の応急修理をした。パッキングに私の二倍は毎回時間がかかる夫を、「いつものことだから」と待つのが習慣の私も、時間をかけるのも悪くないのだとその時実感。その応急修理された靴を履いて、夫は最後まで問題なく歩き通した。

 

アビスコ山岳ステーションでのディナー

最後の通過点であるアビスコヤウレの山小屋を後にし、いよいよ最終行程に入った。出発してから9日目の早朝だ。ここはアビスコ国立公園の区域内で、スウェーデンの自然享受権の範囲外にある。テントは決まった場所でしか張ることを許されていないし、ちょっと木の実を摘んで味わってみる、などということも出来ない。自然への配慮と整備が行き届いていて、川にかかる木製のクラシックな釣り橋でさえ、何ともいい雰囲気を出している。流れ落ちてきた山の水が合流し、川の水量は徐々に増してゆく。ヴェーネン湖、ヴェッテン湖に次いで、スウェーデンで3番目に水量の多いトーネトレスク湖が、はるか眼下に見える。白樺の木が高くなるにつれ、私達のゴールも近くなる。犬を連れたサンダル履きのカップルや杖をついてゆっくり散策する白髪のご老人らとすれ違うようになると、ゴールはいよいよ真近だ。犬だって山の中ではリュックサックを背負って、猟犬風になっていた。なんだか山の生活から離れるのが惜しいような気がする。もう23日このまま歩いていたいような。でも私達、すれ違う人達のようにいい石鹸の香りはしないかもしれない。暖かいシャワーをたっぷり時間をかけて浴びたいのも事実。私達はおそらくこのトレッキングの最後の休憩地になるだろう格好の場所を見つけた。目の前の川を流れる大量の水が、会話をかき消すようにゴーと音を立て、もう手の届く距離になったトーネトレスク湖の方向へ突き進んで行く。白樺の倒木を背に、私達はしばらく言葉も発せず、お互いの思索の中に座り込んでいた。

 

アビスコ・ツーリストステーションのレストランの窓一面に、トーネトレスク湖が広がっている。30分かけてゆっくりシャワーを浴び、遅めの昼食を取りに降りたレストランで、またベルギーからの一家と出会った。日に焼けた頬を光らせて、満足化な優しい笑顔が返ってくる。グラスの白ワインを上げて、9日間の山の旅への感謝の気持ちを夫に伝えようとするが、感激して涙が先に溢れ、言葉にならない。生野菜のサラダとスパゲティーをお腹一杯になるまで食べ、減らした体重をいっぺんに元に戻したような気がする。昼食後、2キロほど先にあるアビスコの集落へも足を伸ばしてみた。元々鉄道を敷くため働いていた人たちの住宅が線路沿いに並んでいる。キルナ鉱山から採掘された鉱石を運んで、長い長いトロッコを引いた貨物列車が、積出港であるノルウェーのナルビックへ向っている。トロッコの数を数えたら52もあった。鉄道の駅に降りる人も乗る人も、今は大きなバックパックを背負った登山者ばかりだ。彼らを歓迎するように、ラポッテンがU字型のアーチをくっきりと描いている。その夜、アビスコ・ツーリストステーションで頂いたディナー・メニューは、香菜仕込みトナカイ肉のスライスわさびクリーム添え、ボイルしたイワナとアスパラにチーズ味のリゾット。隣り合わせたノルウェーのカップルと、ひとしきり山での体験を披露しあって、何時までも明るい北極圏の夏の夜が過ぎていった。

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