第1回講師の河田教授への塾生からの事前質問と回答 当面、質問と回答を公開します。そのうちに、メンバーのみの閲覧にするかもしれません。 (1)研究職を職業とすることの利点・欠点はなんでしょうか?河田先生が感じている研究職の利点や魅力,あるいは辛い,欠点と思うことを教えてください.特に各「年齢」ごとにどのように感じてきたか(学生時代から現在に至るまで),利点・欠点と思うことに年齢ごとに変化があったかなどありましたら教えてください. 塾でもお話ししましたように、私は自分を研究者(Researcher)だと思っておらず、科学者(Scientist)であると考えています。「研究すること」はご飯を食べたり、歩いたり、歯を磨いたりするのと同じで、全ての人が生きていくために日常的に行う活動です。どうやれば上手にご飯が炊けるか?近道はどのルートか?虫歯にならない歯磨きの方法は??など、皆が日常に研究をしています。「科学すること」はこれと違って、職業になりうると思います。ただし、その対価に社会がお金を支払ってくれるときに、初めて職業人でなります。野球が得意とか好き、あるいは絵を描くのが得意とか好きというのは、アマチュア野球、趣味の絵描きで職業人ではありません。サイエンスもアマチュアサイエンスとプロ(職業人)では、違います。科学が好きと言うだけではアマチュアサイエンティストの方が楽でいいと思います。草野球は楽しい!プロの野球選手になるには、あなたのプレイを見にお金を払って球場に野球を見に来てくれる人がいることが必要、試合のテレビ放送で視聴率のとれる野球をすることが必要です。あなたの絵を買ってくれるひとがいなければ、アマチュア画家です。サイエンスも「売れる」ことが必要です。「あなたの科学」を買ってくれる人は、個人や企業、そして国(納税者)でしょう。プロの科学者は、売れなければならないと思います。国民からお金をもらっているのですから、成果は社会に示して社会に評価してもらうべきだと思います。好きな科学をやってお金が得られると言うことは、とっても幸せで楽しくやりがいのあることですが、それを実現するためには大変な努力と苦労と悩みがあります。 (2)理研と大阪大学で研究者としてどのような違いを感じますか?研究職を目指すとした場合,その中でも選択肢として,大学,理研のような国の研究機関,企業の研究機関等があげられると思います.特に河田先生は,理研と大阪大学を併任されていると思いますが,理研と大阪大学で研究のやりやすさや組織の仕組みについて違いを感じますか? 理研や産総研、物材機構、放医研などは、国のお金(税金)で運営されていますから、科学研究の成果を上げて国民に貢献することが求められます。しかし、新しい発見や発明は実験室の中から、研究中に生まれるとは限りません。日常生活の中で、あるいは社会の中でテーマが生まれたり、アイデアが浮かんできたりするものです。だから、研究者が社会から完全に遊離することは、良いことではないと思います。大学で授業しているときやその準備をしているとき、学生が質問に来るときに、説明をするために自分の頭の中を整理することが、新しい発見や発明に繫がることが多いと思います。だからこそ社会は大学教授に授業をするだけではなく、科学研究をすることを求めるのでしょう。企業の人たちと話をしているときにも、アイデアが生まれます。私にとっては、産学連携は金儲けではなく科学者が産業界から刺激を受けることが目的です。企業の目的と大学人の目的は違うと思います。 大学では講義や学生のケアに時間を奪われますが、大学での研究活動はそれに余りあるベネフィットを科学者に与えます。生涯、研究所で研究を続けて成果を上げることはかなり苦しいことでしょう。 一番いい方法は、研究所と大学を兼務することだと思います。実は、海外では当たり前のことです。ドイツの科学研究は、そのほとんどがマックスプランク研究所でなされますが、各研究室の長(ディレクターと呼ばれる)は皆、近隣の大学の教授を兼務しています。日本では兼業兼職規制があり、複数の所属を持つことはなかなか認められません。私のような例は、極めて希です。しかし、いまのように国が全てを規制する時代が来る前は、日本でも大学と理研を兼任する科学者は大勢おられました。湯川秀樹、朝永振一郎、長岡半太郎など、皆そうでした。 いまの日本は規制と官僚縦割り社会ですから、兼務を認めてもらうことは大変です。たとえ兼務をしても、給料はシングルでデューティーはダブルです。学内の二つの学科を兼務したときも同じです。アメリカでは2倍責任が出来れば給料も2倍になります。 私は、日本も大学と研究所の兼務がもっと一般化すればいいと願っています。研究所が筑波地区に集中しているのも問題です。マックスプランクのように全国の都市に展開し、地方大学と連携するのがいいと思います。 ただし、特定のミッションを持つ研究所、例えば脳科学やSPRING8、再生医学、天文台などは、その設備や目標を持つ組織ですので、上の議論には当てはまりません。アメリカで言うとNASAやロス・アラモス研究所(原爆を作ることが目的だった)などです。 (3)研究者の立場からみて,他の分野(ジャーナリストや政治家,小説家など)にドクターを持っている人がいてほしいと思うことはありますでしょうか? 強く思っています。そのための科新塾です。 (4)研究職からの転職は可能だと思いますか?あるいは,それに価値があると思いますか? もちろん、可能ですし、それが社会と科学者にとって価値があることだと思っています。そのことを伝えるための科新塾です。 (5)研究職に長年携わった「経験」があるからこそ得られる,ジャーナリズム,政治,小説等へのアイディアというのもあると思います.その場合,研究職以外を目指したとしても,ドクター修了直後に就職するよりも,研究職に就いた後に転職,あるいは引退後に研究職の経験を生かしたジャーナリスト,政治家,小説家などになる選択肢もあると思います.それについてはどう思われますか? これについては研究者人生を3倍楽しむ方法という記事を書いています。大学しか知らない教授、企業しか知らない企業人、親の跡を継いだ政治家は、経験が足りず様々な局面で困ることがあると思います。博士課程に進学を勧めるのも、ひとにない経験を得るためです。ポスドクの後に会社の部長になるのは欧米では良くあること。一度の人生、様々な経験を積まれるといいと思います。 (6)第一回講師の河田先生は、博士課程を終えて”Dr. 河田”となったそのとき、自ら思い描いた将来はどのようなものだったのでしょうか?もうすでに科学者としての道がみえていたのでしょうか?そのときに存在した数ある可能性の中で、その道を選んだ最も大きな要因は何だったのでしょうか?略歴からでは分からない、その時々で岐路に立たれた河田先生がどのように考え、またどのように判断されて現在の科学者という道を歩んでおられるのか、そうしたお話をぜひ伺いたいと思っております。 博士課程に進学することを決めた時から、学位取得後はアメリカへ行くことを決めていました。その後にどんな職業に就くかは、全く決めておらず分かりませんでした。どんな可能性があるかが分からなかったし、色んな可能性があるということに憧れていました。当面、科学者で生きていこうと思ったのは33,4歳の頃です。それでも他の職業に就く可能性も大いに残していました。 (7)十数年にわたり、世界的に見ても先端の研究を絶えず発信し続けている河田先生ですが、研究に対する、そのような高い意欲と能力を維持し続けるために河田先生が大事にされていることはどのようなことなのでしょうか? 流行や周りを気にせず、我が儘に自由にお洒落に楽しく、自分が面白いと思うこと・自分が大切であると思うことをやっているだけです。 (8)科学者は、社会的評価の割には給料が少ないと思っていますが、どのように思われますか。 私は日本のポスドクも含めて日本の化学者の給料は高すぎると思っています。給料はもっともっと下げて、その代わりに自由度を上げるべき。アメリカの教授は週20時間契約か年9ヶ月契約です。残りの時間で自由に研究活動をして、収入を上げる人もおれば貧しく暮らす人もいる。日本ももっと給与を下げて、個人として執筆や特許や講演など社会から直接に収入を得るのがいいと思います。 (9)工学部教授という視点から、他分野へも興味がありながら研究を続ける学生はどのように映りますか? いろいろなことに興味があるのが「人」だと思います。そうでなければ「機械」です。大いに結構。私はいまでも多分、学生さんよりたくさん映画を見て、圧倒的に多くの本を読んで、芝居を見に行ってると思います。でも野球は見ないし、カラオケにも行きません。 (10)阪大の授業の中で、異分野へ進むような取り組みはなされていますか? 「先端科学と社会」という講義(4年次前期)を今年の4月から開講します。 (11)研究者になろうと決めたのはいつですか? 研究者ではなく科学者ですよね。科学者になってもいいかなと思ったのはポスドク2年半、それから助手になって3年後、33か34歳の時です。それまでは、いろいろなことを模索していました。もちろん科学を真剣にやりながらですが。 (12)研究でも研究以外でもアイディア(発想)はどのようにして出していますか? (13)「天才は1%のひらめきと99%の努力」と言う有名な言葉がありますが、その真意は努力の美徳を伝えるものではなく、「1%のひらめきがなければ99%の努力は無駄だ」というひらめきの重要性を伝えるものだそうです。(言い換えれば「ひらめきさえあればどんな努力も我慢できる」)河田先生は様々な研究をされていますが、その研究はどのようにひらめいているのですか。 アイデアは歯磨きチューブをひねって出すようなものではありません。日常の研究と社会生活の中で、ある日突然目の前にふっと現れるものと思っています。しかし現れたときにそれに気づかないと、そのまま通り過ぎていって二度と戻ってきません。そのために、日頃から集中力をもって物事を観察し、解析し、判断することが求められると思います。植物の育て方に似ています。種を蒔いたら、じっと芽が出るのをの待ちます。日照りが続けば水をやり、雨が降れば排水をし、雑草が生えれば雑草を抜く。でも、掘り返してはダメ。いつか芽が出る日を待つのです。しっかり見ていないと、折角の芽を踏み潰したり虫に食われてしまうかもしれません。芽が出たら、他の仕事・やりかけの仕事もすべて放り出して、この芽を育てましょう。他の用事があるからといって言い訳をすることは出来ません。 (14)私が河田先生の業績の中で、一番興味深いのはまさに河田先生が成し遂げました科学者のベンチャー企業の設立ということです。私にとっては科学者になること自体が時間がかかり、相当な努力を要するものだと思っていますが、特に理系博士というものはたやすいものではありませんし、とったとしてもその取得者の歳は30歳の近くになり、今の時代のように博士取得者が氾濫する時期にどうやって自分なりの競争力をもち、活躍することが出来るのかと質問したいです。 若いときの起業は、冒険心はあってもコンテンツと経験が足りないので失敗確率は高いでしょう。一方、経験を積んでからの起業は家族などの問題もありより成功の確度を高くするでしょうし、経験もより豊富になっています。その代わり冒険心が不足しているかもしれません。それぞれの年齢で、会社の商品コンテンツやスタイルが違っていいと思います。どっちも経験すればいいと思います。私が起業したのは51歳の時です。大学が独法化する前でしたので、大学から許可をもらうのに大変苦労しました。35回の書類書き換えをさせられ、最後は辞表をポケットにしまって副学長と交渉しました。いまなら、もっともっと簡単に認めてもらえます。 (15)今働いている会社の経営は誰が責任を担っていますのかが気になります。理系のひとが会社の経営するに、考えるべきのことなどがありましたら、お聞かせください。 設立から昨年まで5年半、私が会長として会社の事業計画を立てて、人の採用、給料も担当しました。昨年に新社長を採用し(発掘し)、いまは彼が担当してます。会社の経営は、いかに社員に滞ることなく給料を払うことが出来るかが、最大の仕事だと思います。そのために、事業をするといってもいい。社員に給料が払えなくなった時点で社員はいなくなり、会社は破綻します。個人事業と企業との違いだと思います。創業者と経営者は違うと思います。 (16)博士号を取得する意味は何だとお考えですか。 医師免許や弁理士資格のように、社会の認定資格だと思います。学術の分野で卓越した能力を持っている、人にものを教えて良いという認定でしょうか。医師免許を取ったから医者にならないといけないわけではないのと同じで、博士号を取ったから学者にならなければならないわけではない。でも、資格は重要です。いろいろ説明をしなくても人があなたを正当に評価してくれるでしょう。会社に入っても、ベンチャー起業を興しても、お店を開いても、博士が邪魔になることはない。阪大卒とか東大卒とか言うのと同じです。社会の認定です。 (17)ご自身の人生における目標をお教えいただけたらお答えください。 父より長く生きること。目標間近。 (18)先生の30代で最も悩まれたことは何でしたか? (19)これはやっておいてよかったということを20代、30代、40代それぞれで何かございましたでしょうか? 思い出せないなあ。 (20)博士号取得者はその専門性で社会に貢献するだけでなく、広く社会をリードして行く義務があると考えています。河田先生は博士号取得者のリーダーシップとはどうあるべきだと考えますか。またリーダーの資質や条件とはどういうことだと考えますか、先生の考えるリーダーになるためにはどのような知識や経験、能力が必要だと考えますか。 梅田望夫さんがシリコンバレーで成功する人の条件3つを書いています。 1.Vantage Point。最近の映画のタイトルと同じ、見晴らしのいい位置に立つこと。人よりいい位置に立たないと、間違った決断をしかねない。リーダーは最高に見晴らしのいい位置を見つける人です。私は、他の人よりも信頼できる仲間や、素晴らしいアドバイスをくれる知人、他の人が持たない人脈を持つことが、Vantage Pointだと思います。 2.Entrepreneurship。冒険心があり、起業家スピリッツがあり、絶対諦めないこと。まあこれは当たり前のことですね。 3.Only the Pranoid Survive。病的なほど心配性であること。これはインテル創業者のAndrew Groveの言葉(本のタイトルでもあります。翻訳本のタイトルはたしか「インテルの戦略」)です。このことが私は一番大切だと思います。理論を立てる際にほんの少しでも数式にミスがあれば、結果は全くデタラメです。実験にほんの少しでもミスがあれば、結果は信頼できません。ビスが1本でも抜けている機械はそのうち壊れます。リーダーがちょっとした気配りをサボったために部下の反発を買い、組織ががたがたになったという例は数えきれません。 (21)現在は各地で不況が叫ばれていますが、科学はどのように経済や産業構造と関わっていると考えますか。また今後、最新の技術の価値をどのように定義しどのように発信していくのがベストだと考えますか。 不況大いに結構だと思います。新しいビジネス新しい産業を模索するシリコンバレーは、常に失業率が高い。失業者のいない社会(ソビエト連邦やかつての中国)からは新しい産業は生まれません。戦後の復興は、国民全員の失業から始まったのです。科学を直接・近視野的に産業と関わらせて考える必要はないと思います。博士課程で学ぶことはあくまで科学者の卵としての経験であり、その技術内容は産業と結びつけなくてもいいと思います。 |