NHKのアナウンサーは、「朝ひちじ(七時)になりました。おはようニッポンの時間です」と、「七」を「ひち」と発音します。 これは、当然「しち」でなくてはなりません。 もし、「ひち」が許され、「しじゅうひちし(四十七士)」が許されるのであれば、「ひじゅうひちし」もゆるされることになります。 「ニッポン」については、日本軍国主義が好んで使った用語です. 菊池寛が雑誌「モダン日本」を発刊したのは、1930年5月でした. このときは「モダン日本(にほん)」でした. (同誌発刊のことばの中で、「にほん」とかながふられている) 旧日本軍は、南満州鉄道の線路を爆破して事件を起こし、その後5ヶ月の間に満州全土を占領して、対中侵略15年戦争を始めたのでした.このとき以来彼らが好んだのは「ニッポン」でした. 第24回大会決議の自民党の三つの異常の第一「過去の侵略戦争を正当化する異常」があります。 ただし、邪馬台国がヤマトになったときは、「日本(和語で『やまと』)」(万葉集)が当てられ、その音読みが、呉音ではニッポン、漢音ではジッポンであった(らしい)。 (注) (注) 別冊国文学No.46 万葉集事典 p370 日本の国号 国号としての日本は、大宝元年(701)制定の大宝令で法的に定まった。 対外交渉において、正式に日本の国号をしようした確実な例は、大宝2年(702)に派遣された遣唐使である。 持統3年(689)に施行された浄原(きよみはら)令に日本の国号があったかどうかは不明であるが、朝鮮の「三国史記」には孝昭王七年条(文武二年(698)から日本国使、日本国の名称が見えるので、あるいは大宝令施行以前に使用されていた可能性もある。 日本は和語ではヤマトと読むが、音読みは呉音ではジッポン、漢音ではジッポンである。にちに日本とも読む。 しかし、昭和期において、1930年には菊池寛が「モダン日本」でニホンを用いていたが、1931年の日本による対中侵略15年戦争以降ニッポンが好まれたのは事実です。 帝国主義戦争であった「日清戦争」につづく「日露戦争」が、「坂の上の雲」により、 |