ヴィトカツィと絶対演劇

ヴィトカツィと絶対演劇
豊島 重之(演出家・精神科医)

    (1)
 92年はふたつの切断的思考の登場として銘記されていい。「顔」の思考と「2」の思考である。それはヴィトカツィと絶対演劇との出会いによってもたらされた。まず92年春、絶対演劇の上演と絶対平面・絶対“対"・絶対言語をめぐるコロック=討議が続々と東京に出現した。そして92年秋、シアター・カイによるヴィトカツィの本格的な紹介に呼応して、絶対演劇派による新しいヴィトカツィ像が提起された。それがMORG(モレキュラー、オスト・オルガン、アカデミア・ルフ、クアトロ・ガトス)であり、ポーランド文学者工藤幸雄氏の言を籍りれば、日本のアートシーンに撃ちこまれたGROM=雷鳴でさえあった。
 翻って、ヴィトカツィと言い絶対演劇と言い、いかにも20〜30年代前衛思考の復活を思わせるではないか。確かに文化人類学・構造主義とともに70年代日本に移入されたヴィトカツィ像には、不条理演劇の先駆、残酷演劇の系譜、激越なるカタストロフィスト=形式破壊者である一方、チスタ・フォルマ=純粋形式なる芸術哲学の提唱者、いわば元祖マルチメディア・アーティストの風情があった。絶対演劇もまた演劇の全否定、零度の演劇、文学的絶対に照応する根源の演劇、逆にメタシアター以上に超越論的な無根拠の演劇とみなされる限りでは、かつての前衛やその復活の身振りと大差あるまい。しかしこの度は少し事情が異なる。絶対演劇はヴィトカツィから「顔」の思考を切り出し、ヴィトカツィは絶対演劇から「2」の思考を引き受けるからである。0・1の二元論でも3・∞の多元論でもない2。それぞれが「絶」たれているがゆえに「対」をなす2。しかも1なる一回性を決して自己完結させない「二度性」としての2。その意味で92年のヴィトカツィは復活ではなく「復−活」とすべきだろう。絶対演劇もまたマルチメディアやサブカルチュアから切断されているのみならず、前衛や固有性・普遍性といった理念からも切断されている。では、顔の思考とはどういうものだろうか。

    (2)
  私達は実は自分の顔を見たことがない。むろん写真や鏡でならいくらでも見ているし、相手の顔から読みとれる自分の顔ならよく知っている。体感としても内観としても自分の
 ・・・                        ・・
顔のことは日ごろ健忘するほど知り尽くしているのに、誰も自分のこの顔にまともに対面したことがないのだ。外観からも内観からも切断されたこの非対面性、それこそ顔の思考に値する。ヴィトカツィは写真家・肖像画家・劇作家・芸術哲学者である前に、顔の採集家であった。何百もの顔を撮り、何百もの顔を描きまくった。自身の顔も相当な数にのぼる。しかもその一つ一つが実に精細で驚くほど洞察に溢れている。表情の人類学的フィールドワークを自分の顔一つで達成していると早計しかねないほどだ。しかしここが肝腎な所なのだが、彼は何百もの顔によって内観というものを探求したのではなく、逆に顔というものからついに内観は駆逐しえないということを示したのである。それは彼の限界や敗北を意味しない。外観はもとより内観もまたどこまでも正対しうるということ、そして顔はたえず正対を強いるということ、まさにヴィトカツィはそこに顔を見出したのだから。肖像写真や肖像画の圧倒的な対面性において初めて現出する非対面性として。
 写真の中の顔がモノとしての平面かつイメージとしての平面なら、この顔の非対面性はいわば「名」としての平面である。それゆえ前者はモノとイメージの両義的な揺らぎを呈し、後者は名ざしの強度だけで成りたつ絶対平面と言ってよい。これまで多くの研究家や哲学者を呻吟させてきたヴィトカツィ独特のターム「純粋形式」はもはや要らない。それは顔の別名だったのだから。自明なほど確実にそこにあるのだが決して正対することのできない顔。それを舞台上に切り出してみせるのが、絶対演劇なのである。

    (3)
 顔の思考と2をめぐる思考の結実をモレキュラー『B/B肖像画商会』の上演に見ることができるかもしれない。ヴィトカツィ「肖像画商会の定款」をテクストとしたこの舞台では、ポーランド語原文からのダイレクトな邦訳と、一旦フランス語訳されたものからの迂回的な邦訳の二種類がパラレルに語り継がれる。さらに重要なのは、二面のラティスによって空間の遠近法が切断されており、従って20枚ほどのタブローの往還、即ち二度性が余儀なくされているということだ。タブローの喚起する正面性・対面性は、こうした二度性の事態にあって初めて「顔の演劇」たりうるのである。

(初出「シティロード」「特集=復活する思考」/1992)

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