及川廣信さんのこと・・・モレキュラーとリセの結節点

及川廣信さんのこと・・・モレキュラーとリセの結節点
豊島重之(モレキュラーシアター/ダンスバレエ・リセ芸術監督)

(1)
 及川廣信さんに出逢ったのは、いつだったろう。
 確か1981年に下北沢の小劇場で「方舟白書」と題した演劇公演を行った。当時、八戸の無名のカンパニーがなんの後ろ盾もなく東京で公演すること自体、無謀の試みとしか言いようがなかった。東京で公演したことのある出演者は豊島和子一人のみで、残り全員が、作演出の私でさえ、初舞台に等しかった。あてどなく、あちこちをめぐって公演チラシを頼んで歩く日々が続いた。この広い東京になら、私達の舞台の射程距離を読み解いてくれる観客がいるのではないか。そんな甘い考えで、ただただ歩き廻っていた気がする。
 幸いにも、この公演に「スコーピオ=肉体言語舎」の面々が足を運んでくれた。メンバーの一人がどこかでチラシを見かけたらしい。終演後の打上げにも数人のメンバーが残ってくれて、八戸からやってきた出演者をねぎらい、かつ適確な批評を切り出す人もいた。それが及川廣信さんとの初めての出逢いだった。

(2)
 及川さん率いる「スコーピオ=肉体言語舎」(*1)は、国内外の(無名だが将来有望な)演劇・ダンス・マイムのみならず現代美術のアクショニストたちを一堂に会した「パフォーマンス・フェスティバル」を1984年に計画していた。場所は奥会津の檜枝岐、平家の落人伝説にもこと欠かない、尾瀬の裏玄関にあたる秘境である。
 八戸で10年も舞台活動してきたつもりのこの私でさえ、途方もつかない構想が、及川さんたちによってじっくり時間をかけて錬成されていたのだった。いつしか上京のたびに中野にあるスコーピオ・オフィス(*2)に足繁く通うようになる。そうして及川廣信という人物に深く魅了されていくことになる。
 いつ誰から知らされたか、もう覚えてはいないが、及川さんは実は八戸生れであった。
 私はそのことを全く知らなかったし、及川さんも自分からは切り出すことがなかった。知ったとしても、そんなことはブッ飛んでしまうほどの未踏の沃野が、遇えば彼の口から尾瀬の大湿原/秘境檜枝岐さながらのスケールをもって語り出されるのであった。

(3)
 八戸から東京の医大に入り、マルソーの日本公演の舞台に触発され、医大を中退して渡航。パリでジャン・ルイ・バローからアントナン・アルトーの存在を知らされる。それが及川廣信を決定的にしたことは想像に難くない。1955年に及川さんは帰国するが、アルトーの詩・文学・哲学の一部は邦訳の動きはあったもののアルトーの肉体言語=舞台表現の思想を日本に最初に紹介し、実践していたのは及川廣信ただ一人。
 今や世界中に表現ジャンルとして定着した「BUTOH=舞踏」の創始者土方巽や大野一雄の草創期にも、及川さんはアルトー的身体哲学を示唆したり、強い影響を与えておきながら、土方・大野が独立すると及川さんはなぜか身を退く。そういう在り方に及川さんの八戸生まれを感じるのは、私もまた八戸生れだからであろうか。
 同じ八戸生れなのを口にはせずに下北沢に足を運んでくれた。振り返ってみると、そのことがボディブローと化して、ずいぶんあとになってから効いてきた気がする。

(4)
 1983年に私は「東北演劇祭・1」を八戸で開催した。及川さん率いる「肉体言語舎」の面々も、舞台・客席に背を向けて、会議室・廊下・階段・ロビー・ホワイエなどを縦横無尽に使い切り、「ロケーショナル/ディスロケーショナル」なパフォーマンスを披露した。1984年に私の作演出による豊島和子「アテルイ」パリ公演の東京凱旋公演を赤坂の草月ホールで行ったが、会場選びやコンセプトの段階から及川さんに御指導いただいた。
 リセ30周年公演と「東北演劇祭・2」が実施された1986年、及川さんから、新たな展開が必要だと厳しく指摘されたのを忘れない。それが86年末のモレキュラーシアター「f/F・parasite」東京公演に結実したからである。フランツ・カフカ「フェリーツェへの手紙」に基づく、フランツ役=大久保一恵、フェリーツェ役=高沢利栄、「父への手紙」の父役=豊島和子らによる舞台。私と姉をこの杣道へと促した書家の父=豊島鐘城(*3)が没した86年のことである。
 顧みれば畏れ多いことだが、私達は舞台作品を創るのに精一杯で、及川さんがパンフレットからパブリシティまで奔走してくれた。このモレキュラー第一作が翌87年のドイツ「ミュンスター国際芸術祭」に招待されることになったのも、及川廣信という震源なくして在り得なかった——。

(5)
 いくら縷々綴ったとしても、及川さんのことを語り尽くすことはできない。
 モレキュラー代表の高沢利栄は「アルトー館」ワークショップに何度か参加して、及川廣信の舞踊哲学の一端に触れている。この私もごく最近、及川さん率いる「アルトー館」公演に足を運ぶことができた。明大前のキッドアイラックでの公演タイトルは『ダンスは症候である』(*4)。症候のフランス語はサントーム。読みようによっては「サン・トゥーム=墓碑もなく」。なんと痛切なタイトルであろうか。
 端的に言えば、アルトーの身体哲学とラカンの精神分析学を及川廣信において融合したもの。いわば及川舞踊哲学の極北。しかも及川さん自身が終始、気息と裸体性を舞台上に晒し続ける、その意味でも私の予測をはるかに超えた「Immanence=内在/Imminence=切迫」そのものであった。

(6)
 今回、及川さんに御寄稿頂いたが、カント・ヘーゲルの哲学用語やフロイト・ラカンの精神分析用語が出てくるからと言って、途中で読むのを諦めないでほしい。韜晦の意味が全くないことは一読するだけで足りる。古今の哲学が難解そうにみえるのは、誰にでも、未来に目を通す人にさえ誤解なく伝わるよう、開かれた普遍性を率直に求めるからだろう。
 ダンス・演劇も今見ている人々のみならず、今ここにはいないが、世界の片隅で「この」ダンス・演劇を感じ取ってくれる人々に向けて成されるならば、やや難解そうに享受されてしまうものだ。けれども、それを怖れたり、ためらったりしたら、ダンス・演劇は射程距離の短い、未来への応答を欠いた、その場でだけ成立する一体感やメディアに踊らされる束の間のブームとなってしまいかねない、脆く危ういものなのだ。
 現象学も量子物理学もアフォーダンス認知科学も再帰性ヒストリシズム哲学も、私達の生活世界を解き明かそうという、いくばくかの「あがき」であって、それは、この生活世界に丸ごと放り込まれた私達自身の寄る辺ない「あがき」と響き合っている。そのことを及川さんの一文が示唆しているのは改めて繰り返すまでもない。

(初出:「PANTANAL 2006」/2006.09.18)

採録者註
*1 厳密には、「肉体言語舎」は舞踏評論家の星野共氏が率いていたもので、「スコピオ・プロジェクト」はシュウウエムラとの関係性の中で及川廣信氏が組織していったものである。詳しくはこちらを参照。
*2 肉体言語舎とスコピオ・プロジェクトは「同居」していた。
*3 北方書道会創設者
*4 正確には「アートは症状である ダンスの場合」。元々のタイトルは「ダンス症候群」だったが、直前に変更された。

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