写真は密航する———下北半島=イスムス/写真の北限へ

写真は密航する
———下北半島=イスムス/写真の北限へ
豊島重之

 改めて言おう。笹岡啓子の写真は「イ」の写真である。
 「夷=イをもって夷=イを征す」とは、古来より権力の悪質な統治力学の原則である。笹岡が足を踏み入れた酷寒の原野や外来者をこよなく歓待する傍ら、勇猛で鳴らすほど西の権力者達を震え上がらせもしたムツ・シモキタのエミシ同士を争わせた少なからぬ記述が正史にあろうはずはない。それが意外にも吉田初三郎の鳥瞰図のアナモルフォージスめいた歪像に見い出せるとしたら。後世の永山則夫に敬意を表したわけではなかろうに、網走・小樽・函館・岩木山まで洩らさず、ことに北海道や岩手釜石の「バードスペクティヴ」の今にも襲いかかる化け物蟹か「甦った土蜘蛛」[1]めいた異風はどうだ。一見、八架・八帖ものヨコサイズの平板で美的な八戸・弘前・十和田鳥瞰図の末端に、巨象の小尾か精虫さながら極端に狭められた下北半島の奇っ怪きわまる歪像はどうだ。
 そこに誰しも重ね合わせてしまうのは、ペンフィールド/ボルドレイによる体性感覚地図「ホムンクルス=脳内の侏儒」[2]だろう。口唇・舌先・手指ことに親指・視覚ことに眼球運動・種々の粘膜領野だけが異様に肥大した、要するに知覚野と運動野の鋭敏な器官のみを大きく、鈍感な領野を相対的に小さく描出した錬金術的人造人間を思い浮かべてほしい。その異様性たるや、実地見聞による観光地・軍略地のみを詳細に特筆し、それ以外の未知未聞の、軍略的に無効なエリアは大幅に略筆する初三郎式鳥瞰図[3]の真骨頂に他ならず、それをそっくりそのまま反転したのが笹岡の写真なのだ。
 一つは、タテでもヨコでもなく「正方形サイズ」であるという異様性。06年ICANOF「TELOMERIC展」に展示された笹岡のヒロシマ連作の黒々とした正方形/ISO・gonal=等辺形を思い出そう。07年「写真0(ゼロ)年 沖縄 連動展」に展示された『後の世界=The World After』[4]の正方形=ヒロシマの写真のあとの沖縄北部の「赤いISO」を。例年なら湖面全体を結氷させてしまう小川原湖に、降り積もり沈みかかる雪の重量が却って湖底から古代の埋没林を蘇らせる「白いISO」。さしずめ正方形のリクイディティ。
 もう一つ、ペンフィールドの侏儒が面妖なのは、侏儒が蟄居する脳内ではなく、外界が歪んでいるから、という指摘がある。笹岡の正方形に依拠する平面性もまた、その前に立つ人々の歪んだ知覚を喚起する。それどころか自らが拠って立つ時空間の歪みに覚醒させる。歪みなしに時空間は知覚し得ないということに。いわば、大脳皮質の視覚情報処理の第一次視覚野損傷により、見えている意識を欠いていても、脳内の侏儒には見えているという「ブラインド・サイト=盲目的な、ではなく、盲目自体の視力」を。これが9節の「イナウの三脚」のイメージを飛来させた10節のエメージに呼応するものであろう。
 吉田初三郎が『太平洋を中心とした大東亜戦争鳥瞰図』を見開きで発表したのは1942年の元旦の朝日新聞であった。その彼が1946年5月、原爆が投下された直後の広島の爆心地に仮寓し、延べ5年がかりで『広島原爆砂漠八連図』を完成、GHQ肝煎りでアメリカ向けのグラヴィア誌に発表される[3]。その際の間接被曝が初三郎の死期を早めたことは夙(つと)に知られている。広島生まれの笹岡が「黒い、赤い、そして白いISO」の途上にあるのは、しかしイメージの死期を早めるためではあるまい。[5]


[1]喜田貞吉「手長と足長——土蜘蛛研究」(1919年)。喜田貞吉『先住民と差別』河出書房新社、礫川全次編、2008年、所収、36頁以下。
[2]「ホムンクルス」はパラケルスス由来。「体性感覚地図」は1891年米国生まれのカナダの脳神経外科医ワイルダー・グレイヴス・ペンフィールドらによる。
[3]八戸市博物館企画『特別展・吉田初三郎と八戸』と同展図録より。2006年7月15日〜8月20日、八戸市博物館。当時の朝日新聞など資料提供は柳沢卓美による。
[4]笹岡啓子によるネーミングが「After The World」ではなく、『The World After』であることに留意されたい。と同時に私達は、その直下に「The World Behind」をも読み込むことになろう。それが「下北イスムス」たる所以である。
[5]『photographers’ gallery press no.7』、2008年、同書所収より抜粋、207〜208頁。

(初出「花と紛争の二元対立からはじまるパラノイア的構想」パンフレット/2008.09.06)

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