硬質な言語空間による身体の新しいリアリティ

硬質な言語空間による身体の新しいリアリティ
鴻英良(演劇批評家)

 まず八戸から上京し、T2スタジオで公演を打ったモルシアターの「f/Fパラサイト(平行植物)」(豊島重之作・演出)。豊島重之は、東北演劇祭の組織者であり、精神科医でもあるというかなりユニークな人物で、舞台もまたかなりユニークである。私は豊島の舞台をこれまで数回見てきたが、いつも困惑しないわけにはいかなかった。黒装束の俳優たち(彼らは舞踏家である)が顔に漏斗をつけ、現像液のなかをうごめきつづけるといった舞台は、いっさいの形態を排したところで身体表現を作り出そうとするものであって、私はこうしたやり方に、表現における退行現象の徴候を見ないわけにはいかなかったからだ。顔に漏斗をつけるということは、目や鼻や口の機能を俳優から奪うということである。俳優はさまざまな知覚が生みだす距離感を一様に剥奪される。そして俳優たちは、視覚的、言語的存在から触覚的存在へと移行するため、外から見ているとさまざまな知覚器官を奪われた人間がうごめいているだけのように見えてしまうのだ。
 実際、豊島重之の構想によれば、漏斗は人間の知覚領域の一部を遮断することで、分節化のより少ない知覚の領域を開発する目的を果たすはずであったろう。そして俳優は、目や口を介した世界との関係を奪われることで内部の生のエネルギーが皮膚へと流出し、非形態的な表現を実現するはずだと、豊島はおそらく考えている。しかしこうした構想には言い訳めいた嘘っぽさ、無理、こじつけのようなものが感じられた。このこじつけにもかかわらず、豊島の表現のなかから浮び上がってくる身体を<器官なき身体>と名づけるとき、豊島の実験は現代思想にたいする批評的な試みであることが了解され、興味深く思えてくる。
 彼は今回の舞台を<身体なき器官>の演劇と名づけている。私ははじめこれが<器官なき身体>の誤りではないかと思った。しかし舞台を見ながら<身体なき器官>の演劇とは、書簡の演劇だったのかと思いいたり、おもわずためいきをついた。約二時間にわたるこの舞台では、最初から最後までたえまなくカフカの「フェリーツェへの手紙」が朗読される。つまりこれは、書かれた言語=手紙の言葉だけが空間を満たすような演劇なのだ。(中略)
 カフカからフェリーツェへ一方的に送られるこの手紙を、ドゥルーズ/ガタリはその著「カフカ——マイナー文学のために」のなかで、「法律的=訴訟手続的文体」と名づけているが、豊島重之自身、ドゥルーズ/ガタリにならい。この文体の超越性、対象を持たない純粋形式に最大限の注意を払い、内面性を完全に欠いた言語としてカフカの手紙を持ち出すことが演劇の言語を回復するための道であると考えていたように思われる。実際、カフカの「法律的=訴訟手続的文体」が舞台の上でとめどもなく反復されつづけるとき、そしてその言葉が翻訳の言語によって花嫁たちの口から吐き出されつづけるとき、言葉それ自体が空間のなかに屹立してくるように思える。
 そしてまた手紙の言語が話し言葉ではなく、書き言葉であるという単純な事実だけをとってしても、この舞台をみたす言語は物質的なもので、硬質な手触りを示すだろうということは容易に想像できるが、カフカの手紙が法律的=訴訟手続的文体で書かれていることによってその印象はますます強まるのである。そのため、無数の言葉がガラスの破片のように空間で乱反射するのが私たちに幻視されるのだが、まさにこうしたイメージこそ、意味のない言葉、奇妙な言い方だが、意味のない論理言語の執拗な反復が作り出した意味なのである。この硬質な言語空間を呈示することではじめて、豊島重之がこれまでの舞台で呈示してきたうごめくような身体が実体的な存在として認識されるようになった。言語発生機械に化すことによって肉体を消去しようとした花嫁たちでさえも、内面から言葉を差し出そうとする役者より遥かに身体のリアリティを感じさせていたと言えるのである。
 このように見てくると、身体を活性化させるのに言語がどれほど大きな意味を持つかが理解できるし、硬質な言語が私たちの演劇にとってどれほど意味を持っているかが了解されるのである。舞台の上で言葉だけが作り出す空間もまだ劇的でありうる。純粋に身体的なものが言語を除いたところにあるというより、言語それ自体が身体感覚を呼びおこすということ、身体もまた言語によって揺り動かされるということ、この両極の往復のなかで、新しい演劇を呈示しようとするとき、豊島重之はそれを「平行植物」と名づけたのだとすれば、私は彼の演劇実験の今後に注目しないわけにはいかない。(「新劇」誌1986年12月号より抜粋)

(初出「f/F・PARASITE」/1987)

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