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受験生のための作業療法・超入門


1.受験生の不幸?


受験生のみなさん、こんにちは。

京極真です。


私は高校や予備校の説明会で、受験生に作業療法についてお話しすることがあります。

その際、作業療法について肝心なことは何も知らないまま、作業療法を選択している受験生にたくさん出会ってきました。

受験生はだいたい瑣末な事実、たとえば「作業療法には身体障害領域だけでなく、精神障害領域、発達障害領域もある」とか、「専門学校と大学のいずれを出て も、作業療法士国家試験受験資格が得られる」とか、「作業療法はいろいろな活動を使って療法する」などについては、だいたい知っています。

でも、これらは知っても知らなくても、実はそれほど問題にならない類の話しです。


不幸なことに、作業療法のもっとも大切な部分については、だいたい知りません。


もちろん、受験生は普通、これから学ぶであろう学問の芯を知らないまま進学します。


知っていることは、あらたまって学ぶ必要がありませんから、進学後に学ぶであろう学問の中心を知らずに進学する、という状況はいたって当たり前です。

だから、進路選択において、その先で学ぶことの中心ポイントなんて普通は問題にならない。

だけども、作業療法は事情が異なります。

この場合、受験生は作業療法士の「養成校」で教育を受けますから、そこで学んだ後は一般に「作業療法士」として一生を捧げることになります。

つまり、よく知らないまま進路選択した先で学んだことが、自分の一生の費やし方をはっきり決めてしまう。

普通の進路選択のように「仕事のことなんて卒業するまでに決めておけばいいや」というモラトリアムの期間が、ここにはありません。

これは結構な不幸です。

まず、肝心なことを何も知らずして進路選択したため、数年後に悔いるという不幸が考えられます。


次に、作業療法のもっとも大切な芯を知らなかったため、進路選択のときに別の道(たとえば理学療法)に進み、後になってから「作業療法にしておけばよかった」と気づくという不幸もあるでしょう。


また、作業療法士にとっても、心から作業療法を愛し、作業療法士になりたいと願っているわけではない、という人を作業療法業界に迎えいれる不幸があると思います。

受験生が進学後に学ぶであろう学問を知らずに、受験行動を引きおこすのは当たり前。


でも、その当たり前が、さまざまな不幸を呼びこむ可能性があるわけです。



2.作業療法って何だろう?


というわけで、ここでは受験する前に、受験生のみなさんに知っておいてもらいたい「作業療法」についてお話します。

世界中の作業療法士たちは、古来から「作業療法とは何か」というテーマでずっと議論してきました。

そのため、いろいろな意見がたくさんありすぎて、作業療法士の中でも全体的合意が成立していないぐらいです。

本当はその議論の詳細をていねいにお話したいのですが、受験勉強の邪魔になってしまってはいけないので、さっくりと要点を言ってしまいますね。

では、早速。

作業療法とは「適切な『実践躬行』によって、健康で幸福な生活を創りあげる」という方法です。

このテーマについてはいろいろな主張があるので、プロの作業療法士たちからすぐに反論が飛んできそうですが、上記のように考えておいて大きく間違うことはない、と僕は思います。

えっ!?訳がわからないって??

では、もう少しかみくだいて説明しましょう。


実践躬行(じっせんきゅうこう)とは、平たく言えば「自分で実際に行うこと」という意味です。


口先だけじゃいけない。

想うだけでもいけない。

実際に何か行おうよ。

自分で何かに取りくもうよ。

それによって、いまよりも健康になることができる。

これまでより幸せになることもできる。

だけど、ただ取りくめばいいってわけじゃない。

実践躬行は「適切」にしなければ、いまよりもっと不健康になることがある。

もっともっと不幸になることもある。

「適切」に実践躬行するために、作業療法の専門家である作業療法士がいる。

人は適切に何かに取りくむことができれば、癒される。

人類は自分たちの経験からそう確信して、数千年前に作業療法の原型になる技術を開発しました。

現代の作業療法には、長い年月をかけてはぐくんできた、さまざまな技術が濃縮されています。

そう、作業療法は適切な実践躬行をサポートすることによって健康と幸福を実現するための、技術なのです。

身体障害領域、精神障害領域、発達障害領域、老年期障害領域などに関係なく、これは共通している基本原則です。

受験生のみなさんは志望する作業療法士養成校に合格したら、そうした技術を数年間かけて学んでいくのです。



3.作業療法で解決できる問題って?


さて、視線の矛先を、作業療法で解決できる問題にくるっと変えてみましょう。

上述したように、作業療法は方法ですから、その方法で解決できるもっとも妥当な問題があるはずです。

紙を切る方法として、ハサミの使用が適しているように。

お湯を沸かす方法として、コンロで火にかけるという方法が一番良いように。

実は、このテーマについてもこれまでいろいろな議論が蓄積されています(作業療法士は議論が大好きな人たちの集まりです)。

本当はひとつひとつ取りあげたいのは山々なのですが、そうするとやっぱり受験勉強の邪魔になるのでさっくり要点を説明しちゃいましょう。

作業療法の技術で解決できる問題は、「不適切な実践躬行」、あるいは「非実践躬行」によって生じてしまった不健康と不幸です(専門用語では「作業機能障害」と表現します)。

不適切な実践躬行というのは、適切でないやり方で自分で実際に何かを行っている状態です。

非実践躬行というのは僕の造語ですが、自分で実際に行えない状態を意味しています。

必要なことがちゃんとできないと、人は健康でなくなります。

やりたいことに取りくめないと、人は不幸せにもなります。

人は適切な実践躬行によって健康になり、幸福にもなるわけですから、逆に言えばそれができていなければ人は不健康にも、不幸にもなるのです。

だから、作業療法は「自分で適切に何かに取りくめない」という問題の解決に使える方法だと言えます。

この問題は、いろいろな理由によって起こります。

一般に、病気や障害はもっとも大きな理由です。

病気や障害がなくても、自分で何かに取りくむ機会がなかったり、行うことを周囲に認めてもらえなかったりしても、この問題は起こります。

いろいろな状況で起こるのが、作業療法で解決すべき問題の特徴です。

そのぶん、作業療法には期待と可能性が満ちていると言えます。


4.作業療法とは希望の方法です


そろそろまとめに入りたいと思います。

ちょっと考えてほしいのですが、人はどのようなときに「希望」を胸に抱くでしょうか?

希望というのは、未来に対する明るい見通しのことです。

未来を見通せるようになるためには、いまここで実際に何かを行えていなければなりません。


でなければ、いつもの明日はやってこないからです。

人は実際に何かに取りくむことによって、未来を紡いでいこうとします。


いまここで必要なことをしっかり行えていれば、その積み重ねで見通せる未来は明るくなるでしょうし、そうでなければ暗いユートピアをかいま見るかもしれません。


実践躬行でつまずいた人を支える方法が、作業療法です。


それによって、実践躬行が実のあるものになれば、人は明るい未来を見通せるはずです。


だから、作業療法とは「希望の方法」なのです。


現代日本は、これからあらゆる方面でどんどん縮小していきますから、希望を見いだせない人がおそらく増えるはずです。

だからこそ、いまはまだとってもマイナーな作業療法だけども、現代日本で暮らす人たちの可能性を創りだす希望の方法として一般に期待されるようになるのではないか、と僕は考えています。


2009/11/27

作業療法士をめざす受験生の方へ