Q&A

スイートハートさんが展開する世界子育てネットのバイリンガル掲示板に、2009年の春にQ&Aを行いました。ここに載せようと思ったのですが、スイートハートさんが「インターナショナルスクールQ&A」のページに綺麗な形で載せて下さったので、そこへのリンクを貼っておきます。(下記はその一部です)
http://www.sweetnet.com/interschool.htm
駆け足で書いたので誤字・脱字や、あまりはっきりしない表現が結構あったらご容赦下さい。


(Q):9522 純粋な日本人のインター進学について(櫛田様へ)
櫛田様

はじめまして。櫛田様の「IBトーク インターナショナルスクール入門」を先日本屋さんで見つけ、早速購入して拝読させて頂いたものです。
題名の通り私も主人も純粋な日本人なのですが、どうしてもいわゆる老舗インター(YISかサンモールか清泉)への進学を希望しています。私自身が日本の教 育制度に疑問を持っていることもあり、やはりインターのようなグローバルな環境で、色々考えさせることを学んだり、日本の学校にはないユニークな授業や、 厳しい規律や勉強を是非してほしいと思っています。ただ老舗インターは、純日本人の受け入れに厳しいですよね。現在娘は1歳5ヶ月です。私自身はもう随分 前になりますが、2年程留学経験はありますが、最近全然英語を使っていないため、簡単な会話程度しか今は話せません。もちろんこれから娘と一緒にまた勉強 し直そうとは思っていますが。(ちなみに主人は全然ダメです)
私どものようなものは、実際にどういう順序を踏んだらいいのでしょうか?実際やはり、老舗インターの小学部に入れるためには(もちろんその学校にもよると は思いますが)当然親が英語に堪能でなければならないことは承知なのですが、例えば、受入れられやすいプリスクールとかあるのでしょうか?入学することは 本当に厳しいということは重々承知しておりますが、それでもなんとか方法があるのなら、教えていただきたく思います。よろしくお願い致します。


(A): 9556 re(1):純粋な日本人のインター進学について(櫛田様へ)
chocoさん

返答に時間がかかってしまい申し訳ありません。拙著も読んで頂けたのは光栄です。
率直に申し上げますと、chocoさんのような質問が、私としては一番答えにくいところです。
というのは、私は心底chocoさんのような背景と考えを持った方を応援しています。
chocoさんのような方のお子様がインターへ通うことこそがこれからの日本を支えていく
大きな原動力の一つになり得ると信じているからです。私の周りにも海外経験が
ほとんどない日本の家庭からインターへ通い、大学や社会人となってこれからどう考えても
日本のより多く必要となってくる人達がいます。

しかし、一般的な情報と、色々な知識をはめ込んでいき、それを活用できる
フレームワークを提供する以上に、私が具体的な入学の手順などを広く公言すればするほど、
逆効果になり得ます。なぜなら、ほとんどのインターは規模があまり大きくなく、
例えば30人ほどの海外経験が少ない日本人家庭が面接にやってきて、大半がほとんど
同じようなことを言った場合、しかも特にそれがいかにもどこか同じようなところからか
聞いてきたような表現を使ってきた場合、面接を行っている側は個別の判断をしにくくなる
可能性が高いと思います。また、最悪の循環が起こってしまう場合ですが、入りにくい
学校ほど面接を受けている側が同じようなことを行ってきたら、全員その時点で認められる
可能性が低くなるのではないでしょうか。

私のジレンマはそこです。自分の影響力を過大評価しているとも思いません。ネットなどを
見回すと、情報があまりにも少なく、「こういうのが良いらしいですよ」という情報が
アクティブな「インターに大変興味があるネット・プレゼンスが高い方達」によって
急速に出回ります。ですから、9442と9429で書いたことの繰り返しになってしまいます。

どうやって英語「を」習う環境ではなく英語「で」学ぶ環境をサポートしていくのか、という
ことです。例えば日本語が喋れない先生(大半)が我が子について親と直接コミュニケーション
を取りたい場合、大丈夫なのか?夏休みの間、全く英語を使わない環境にいたら学力も
低下するのではないか?学校だけが英語で、それ以外の環境が100%日本語だったら
普通に考えたらついて行くのは難しいのではないだろうか?個人的な感想という位置づけでは、
この辺について真剣に考えた方が良いかと思います。英語もできるだけ練習するのも
いいかもしれません。そして一般論ですが、最悪の場合は日本語があまり分からない、
特に日本人家庭にさほど魅力を感じない器量の狭い人に面接が当たってしまう可能性が
あり、どうアピールするべきなのか?熱意を一生懸命伝える家庭もいます。

余談ですが、具体校についてあまり触れないことにフラストレーションを感じた読者から
メールを頂きましたが、これには二つ理由があります。一つは、特に小さい学校ほど
スタッフや教師が変わることでガラっと変わることがあるからです。例えば「○×校の
アドミッション担当の人は日本人の考えがよく分かる人なので入りやすいです」ということや、
「○×プリスクールの園長は○×のインターと中が良いので比較的入りやすい」といった
情報は、あっという間に逆転しまうこともあります。すると、遅れた情報を広く提供した
側は「嘘を言っている」「噂を伝えているだけ」と叩かれ、その情報を元に計画を立てた
家庭にも悪影響を及ぼしかねません。
二つ目は、私が提供しているのは「次の情報はどういうものを求めれば良いのか」、
「今手に入った情報はどういうふうに使えばいいのか」という、いわばツールです。
例えば、「うちのプリは○×のインターに入学しやすいですよ」と優しそうな担当の
人に言われても、構造的に成り立つのかどうか考えられるわけです。例えば、
「人数から考えてもほとんど入れないような感じですが、どうして入りやすいのですか?
向こうは自分のプリスクールから上がってくる子達がほとんどで、ここのプリからは
どうして好まれて上がるのですか?」「そこまで密接な関係だったら何故提携や
姉妹関係を公にしていないのですか」などと訪ねられるわけです。
子供には「自分で考える力」と育成する教育を求めても、自分では考えずに
「どうして答えを教えてくれないんですか」という姿勢の親にはため息が出てしまいます。
(chocoさんではありませんよ(笑)!)

まとめると、chocoさん、心底応援していますが、こういう場で具体的なことを勧めれば
勧めるほど逆効果になってしまう危険性があるので、一般論に留めます。
お許しください。

あ、最後に一言、余計なお世話かもしれませんが、たまに「純粋な日本人」という表現に
対して(少し必要以上に?)反発するインター関係者を見かけます。もちろんchocoさんは
特に深い意味を込めて使っている訳ではないのは承知ですが、「純粋」と言ってしまうと
そのカテゴリーから外れる人達は何になるのでしょうか、ということを考えてムッと来る
人がいます。じゃあ「純粋な日本人」が長く海外で生活したら「汚れた」日本人、「濁った」日本、
「変な」日本人、「準日本人」というレッテルの帰国子女になるのですか?
下記のスレようなコンプレックスに発展してしまう場合もあり、我が子を守ろうとする
親の気持ちかも知れません。
ましてはハーフなどは家庭の都合で「純粋」な日本人として日本社会で育ち、国籍が
日本でも、「純粋」にはなり得ないので、アイデンティティーに長期的な「無意識の摩擦」
を感じる人もいます。(そういうことで悩む人には「あなたはワイロに手を染めた企業や
政治家や、暴力を振ったり、その他の事件を起こす「純粋な日本人」や、偏見を持つ
「純粋な日本人」よりもよっぽど「純粋な日本人だよ」と言ってあげたいのですが。)
こういうことをお考えになった上でお使いになった言葉だとは思いませんが、
このように、小さなところでの色々新たな発見を積み重ねながら色々考えていって
いただければ幸いに思います。



(Q):
9479 コンプレックスの克服法(櫛田さまへ)
日本人家庭で、子供はインターに通っています。子供は3ヶ国語環境にあり、親は試行錯誤の日々です。櫛田さまの著書も読ませていただいております。
実は同じ環境にある知り合いのお子さんなのですが、非常に強い言語的コンプレックスを持っています。家庭では日本語、小中高は韓国の学校、大学は日本、大 学院は韓国で出ており、また大学は両国とも一般入試で合格。はたから見たら非常に優秀なバイリンガルなのですが、本人はいつも自信がありません。
ちょっとしたことがわからないと「やっぱり、私の日本語はダメなんだ」と。
モノリンガルの日本人なら、読めない漢字などがあっても、「難しいなあ」で終わりなのに、バイリンガルであるゆえにそれがコンプレックスになってしまう。彼女は韓国語に関しても同様なようです。
これは日本語と韓国語が非常に排他的な言語である(国家・民族の「純潔性」との関連が深く、社会そのものが多重言語者に対する認識をもたない)という問題もあるかと思います。

櫛田様の場合はそこらへんの問題はどうだったのか。
英語のような普遍言語であると、そういう排他性からは解放されるのか。

バイリンガルであることが、コンプレックスになることは、わが子の将来を考えても非常に心配です。


(A):9518 re(1):コンプレックスの克服法(櫛田さまへ)

韓国在住さん
返答に時間がかかってすみませんでした。

私見ですが、コンプレックスはやはりアイデンティティーと絡んでいるのではないかと思います。
そしてかなりマイノリティーなアイデンティティーを作り上げるには、多くのマイノリティーの
人は、「こう考えればいいのか」或いは「なるほど、あの人はこうだけど、私はここがちょっと
違う」という、いわゆる取り込んだり、反発することで自らを見つめ直せるテンプレート
に触れる機会が少ないのではないかと思います。そこで非常に繊細だったり、自分の状況を
きちんと理解して上で話し合いができないと、自分を追い込んでしまうケースをかなり見てきました。

自分の場合と例に出された大学院を出た方、そしてお子様では若干状況が違うと思いますが、
まずは自分の話から入ります。私の場合は常に小さい頃から親が「日本人とアメリカ人のいいところが
取れるから得だね」というニュアンスのことを言っていました。小学校低学年にもなると、
発音や感覚として母親(アメリカ人)の日本語、父親(日本人)の英語がネイティブのレベルではなく、
ちょっと大きくなれば自分のほう上手に扱えるようになるような感覚でした。何かで親を超えるのは
なかなかないことで、それはそれで凄いな、と「得だね」といつも言われてきたこともあり、
素晴らしいことだと思いました。

しかし、私の場合は見た目が外国人なので、日本人社会からは必ず第一印象が「外国人」で、
ちょっと親しくなっても「日本語お上手ですね」「お箸使えるんですね」「さすがに納豆は嫌いでしょ」
「食事はやはりパンですか?」のような感じでした。つまり、周囲から叩き込まれる
アイデンティティー構築の部分が、「日本人ではない」というものでした。
それはそれで、多少残念であっても、ほとんどの日本人には感覚として分からない日本の良さが
自分には分かるんだ、ということや、「日本の良いところを存分に楽しむ」ということが
できるので、やはり得だ、と思いました。

例えば、中学校ぐらいから勝手に考えていた「お得」な要素の一つは、ユーモアの幅が英語しか
分からないアメリカ人と日本語しか分からない日本人の約二倍なので、これは楽しい人生だな、
と思いました。日本人の父親は英語でのユーモアはさほど理解できていなく、母親とイギリス英語の
ジョーク集(小学校低学年の時に買ってもらったり、ちょっと沈んでいたアメリカの祖母のために購入)
や、アメリカ旅行の時にBill Cosbyのテレビ番組を見たりしてゲラゲラ笑っているのに、父親は
「??」という感じでした。しかし、日本語のダジャレとか、中学生ぐらいがゲラゲラ笑うような
日本のギャグや漫画は、母親にとっては理解不能でした(父親が何回か僕の読んでいた漫画を開いてみて、 僕よりも大きなリアクションで笑っていたのに、母親は全く分からなかったのも印象的でした)。
ちなみに、母親は日本での一人暮らしに何ら不自由しないレベルの日本語が扱え、父親はかなり
英語が達者な日本人の部類に入ります。
というわけで、簡単すぎる考えであっても、単純に「理解できるユーモアが役二倍」というは、
それだけで楽しいのではないでしょうか?

そこから発展すると、日本の徒然草や夏目漱石、そして松尾芭蕉(大好きです)などの良さも理解でき、 しかも、例えば翻訳では絶対に分からないハリー・ポッターの巧みな英語表現とユーモアある名前を 英語で楽しめる。歴史も、面白いところをどんどん掘り下げていけるし、ポップカルチャーも楽しめる。 ここまでは「どちらもネイティブ(インサイダー)な人の同じように理解でき、楽しめる」というものです。

この上に、双方をアウトサイダーから見て楽しめる要素を加えると、さらに楽しむべきところが増えます。身近なところから入ると、多くの外国人が日本に行って感動するのが、電車や新幹線ですよね。したがって、 電車に乗る度に、感覚としてそうではないところを熟知しているので、「やはり日本はこういうところも 凄いな。」と感心しつつ、例えばアメリカに行くと、車さえあればどこでも行けるという
開放感(例えば、やろうと思えばフリーウェイに乗って左折してずっと行けばカリフォルニアから
フロリダまで行けちゃう)が楽しめるので、ルーティンかされた毎日がいちいち新鮮に思えます。

つまり、いわゆるインサイダーの良い部分を堪能しつつ、アウトサイダーからの観点も理解し、良いところを 見て喜ぶ、ということができるわけです。こんなに幸せなことはありません、という気持ちの原点は、 小さい頃から親に言われてきた「良いところ取りができてお得」というところにあるような気がします。

もちろん、自分の場合は「誰がどう見ても完全な日本人」にはなれません。しかし、「不可能な到達点」
に執着するのではなく、それを前提、あるいは「出発点」として考えれば別に気にならず、逆にポテンシャルは 無限にあるのではないでしょうか、という気になります。例えば、「そっかやっぱり○×という熟語は 知らないんだね」という、いかにも「不完全な日本人を指摘」するような発言に出くわしたら、頭の中では 「1)そこら辺の物わかりの悪そうな日本人もそれはたぶん知らない 2)日本の首相もたぶん読めない(笑)3)そんなことを指摘するあなたが分からない別の社会文化・言語の事を、あなたから見たら無限大に近いくらい 熟知している」ということが一瞬だけ頭をよぎり、心の余裕が生まれ、余裕があってこそできる 「そうですね。知りませんでした。教えてください。いやあ、良いことを習いました。ありがとうございます。 (これで日本語力・社会文化の知識がさらにレベルアップ!)」というプラス思考に持って行けるのです。

コンプレックスになっている方に当てはめると、お得な要素は数えきれません。
勝手な感想ですが、日韓の双方は、互いの国をアウトサイダーとしての偏見だらけで見ていたり、ちょっと 的はずれな「良いところ」に妙に惹かれているような気がします。
学術論文を、今では友人の韓国人の博士課程の学生と共著するプロセスで色々な会話で日韓の文化比較などを したり、研究の関係で日本育ちの韓国人(バイリンガル・バイカルチャー)で、現在韓国政府につとめている人と 仲良くなりましたが、やはりインサイダーでないと楽しめない要素に加え、アウトサイダーの視点と インサイダーの視点を組み合わせた要素が楽しめる投稿に書かれた方の感覚は、多くの人がうらやましいと思う ものだと思います。

もちろん、到達点が「完全」が存在しない言語・社会文化に執着しすぎたり、インサイダーとアウトサイダーを 双方持った視点でした見えないような社会の悪いところにしか目がいかないと、気持ちが沈んでしまう かもしれません。しかし、アップサイドがあまりにも多いので、それは勿体ないと自分で
思えるようになれば心の余裕はできるかもしれませんね。日本でも韓国でも、99%以上の人にできない ことができたり、楽しめるので、それはプラスでしかないのでしょうか。
プラスに見えないのはアイデンティティーの問題で、じゃあアイデンティティーの問題を
どう解決するのか、ということは、例えば「日本人なので○×が分からない」ではなく、
「日本人プラスα」で見るこができたらいいのではいでしょうか。「日本人」は言語や社会文化的な
要素が足りないと「不完全」なのではなく、前提が「日本人」なので、それ以上は
プラスαということで。日韓の双方とも、こういう考えを前提にしたアイデンティティーというのが
一般的ではないかもしれないので、それがゆえに苦労をしているのかもしれませんが、逆に言うと、
そこまで深く両方が理解できる人が少ないので、ただそういう発想を裏付けるような
要素や根拠がいままで足りなかったのではないか、と思ってしまいます。

私の周りや会ってきた人達で一番楽な思いをしているのは、簡単のアイデンティティーなどを
割り切れたり、気にしない性格の人です。しかし、こういうことを考えるのが好きだったり、
気になってしまう人にも「こういう考え方がありますよ」という会話をするとふっきれて、
元気になってもらえることもあります。

お子様も、人一倍頑張る必要があっても、親がプラス面を強調して「洗脳」すれば楽しめるのでは
ないでしょうか。(ちょっと軽いですか?)

数年前に、この掲示板で「手結川 中まろ」というHNの日・中・英トライカルチャーの方が
素晴らしい表現を含んだ投稿をしています。「暫定的なよそ者の感覚を楽しむ」や(私は
ニュアンスとして「よそ者」を「第三者の客観的な」に置き換えますが)や下記のような
事を書いています。

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大まかに例えると
中国語・英語文化はデジタル的で
日本語文化はアナログ的、と言えるかもしれません。

例えば、二枚の、よく似た絵が、ここにあるとしましょう。
遠くから離れて見ると、どちらも、ほぼ同じに見えます。
けれども、近づいて行ってじっくり見たり、拡大して見ると
中国語・英語文化の絵は
小さなマス目の集まりなのです。
一つのマスには、一つの色しかついていません。
そのマスの位置や、大きさの組合わせによって
遠くから見ると、なめらかな絵になっているのですが
あくまでも、一つのマスに一つの色という境界線のはっきりした
個体の集まりなのです。
それに対し、日本語文化の絵は
各色が、非常に滑らかに混ぜ合わされていて境界線が無く
どんなに細部まで見極めていっても、非常に滑らかなのです。

また、日本語文化というのは、この、いかに境界線をぼかし
いかに上手く多種多様な色を自然に調和させるかという事に
非常に苦心し、また、その技術にプライドを持っている、と
私は考えています。
その為、日本語文化は細部に注目する傾向が非常に強いのです。

逆に、中国語・英語文化では、細部よりも、まず
全体としての構図・バランスを最重視する傾向があります。
また、幾何学模様など、一見相反する色(要素)をうまく配置し
組み合わせる事によって独特の美を創り出す事にも長けています。
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韓国語・韓国の社会文化はどうでしょう?興味があります。
手結川さんの投稿は下記の通りです。

【3332】 私が「(日本語を含む)完璧なマルチリンガル」を目指さない理由
【3116】 肯定的な「よそ者」感覚の有無