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ゲームで「勝ちを目指せる」条件は人によって違う

2011/01/15 7:21 に Jun Shin が投稿   [ 2011/01/15 8:06 に更新しました ]

 先日、「勝つことを目指して欲しい理由」というような文章を掲載したのだが、率直に言ってあれは良くなかった。私と同じような考えを持つ人は単純に「そうだよねー」と言うだろうし、そうでない人間はあの記事とそれに賛同する人に対してなにやら壁を感じる、という構図にしかならないんじゃないだろうか。そんな対立構造は全く望んでいない。「ボードゲームっていうのは、本気プレイじゃないと駄目らしいよ。一見さんお断り。おお怖い」なーんて噂を立てられたらたまったものではない。(あっ私のボドゲは優しいですよ! 何せカタンで最初に初心者の土地に泥棒置いちゃうぐらい)

 理想的なのは、あれを読んだ人が私と一緒にゲームをする時に「そういえばこの人は勝利を目指すプレイが好きだって言ってたな。そんならまぁ、付き合ってやるか」と思ってくれる・・・なんて展開なのだが、普通に考えてあの、ちょっと嫌味な感じのある文章ではそれはあり得ないと思う。「おいこいつ、なんか嫌なやつだぜ。もうあっち行ってみんなで6ニムト!やろうぜ。勝ちを目指したやつ死刑な。」という幻聴が聞こえてくる。

 そもそも自分は、ボードゲームをするにあたって「こうしなければならない」なんて言うつもりは毛頭ない(私自身は「こうしたほうがいい」と思っている事があるけど、それを他人に強制したいとは全く思わない)。それは、自分自身にも、逆の立場で似たような体験というのはいくらでも思いつくからである。

 例えば自分はスポーツ全般があまり得意ではないので、誘われてやると、勝つことよりも楽しむことを優先する事が多い。というか、どうせ勝てないので、そうでもないとやってられない。この時、スポーツ巧者は決して「えー、勝ちを目指そうよ」なんてイジワルなことは言わない。バドミントンで私がネット前にポトンと落とすのだけを狙って、うまくいったときに「イェーイ!勝った勝った!」等とはしゃいでいても、「そんなのだけを狙って、他の勝負は捨てるようなプレイで勝って、そんなに嬉しいか?」なんて言わない。ただ笑顔で「良かったなw」と言うだけだ。

 それを考えると、なんて了見の狭い記事を書いたんだ自分は・・・w
 (いや、もちろん、別に間違ったことを書いたとまでは思ってませんが・・・。笑)

 ボドゲにおいて、やはり「勝ちを目指すこと」は大事である。しかし、スポーツと同じで、上手い下手はなんにでもある。例えば私は「電力会社」において計算があまりにも苦手な為、計算が複雑そうな戦略を脳みそが勝手に却下する。「10」とか「20」とかのキリのいい土地に自然と目が行く。あっこれ計算ラクそう・・・!この土地欲しい・・・! 明らかにゲームに対する冒涜である。まぁ冒涜は言いすぎとして、こういう、自分が苦手な部分で勝ちより「ラクにプレイすること」を選ぶことはみんなもあるんじゃないだろうか。「ええい、わけわからなくなった!もうこれでいいや!」とか(私の常套手段)。本気で勝ちを目指すのであれば、そこで諦めてはいけない。「申し訳ないが、紙とペンを頂けないだろうか? ちょっと今から連立方程式を3つ解かないといけないので」等と言ってみんなをドン引きさせるべきじゃないだろうか。

 何が言いたいかというと、「勝ちを目指す」というのは、目指す能力や条件を満たしている場合にのみ可能だということだ。前回の記事でいうと、「もう明らかに逆転できないことが判明してしまった」というのは、明らかに勝ちを目指す条件を満たしていない。また、苦手な人が場にいて、その人との交渉が成功すればゲームに勝てるんだけど、どうしてもそれができない、とか(私はゲームと割り切ればそれができますが)、単純に計算ができない、とか。だから、そんな時にまで「勝ちを目指すべき」なんて言っていたら、そのうち周りには誰もいなくなった、ということになりかねない。

 私が前の記事で言いたかったのは、「可能な限り」勝ちを目指して欲しいということだ。そして、その人にとってどこまでが「可能」なのかは、その人にしかわからない。だから、傍目に見て「この人勝ちを目指していない」というように見えても、本当にそうかどうかは慎重に考える必要がある。

 本当は、誰だって「勝ちたい」と思っていると思う。「私はボドゲに勝つのが嫌です」まで行っちゃってる人というのは、あんまりいないはずだ。みんな、いろんな条件が重なって、勝つのを諦めているだけなんじゃなかろうか・・・少なくとも、そう考えたほうが自分にとっては心穏やかになれる。

 だから、基本的にはその人を批判するのではなく、勝ちを目指せるような環境作りのほうに目を向けたほうがたぶん建設的だ。交渉が重要なゲームでは、交渉ごとが苦手そうな人へのフォローを忘れない、とか、そもそもそういうゲームをいきなり遊ばない、とか。勝ちの目が見えなくなっている人がいたら、そこはかとなくヒントを出してあげる、とか(これさじ加減が非常に難しいけど)。そうこうしているうちに、「勝ちを目指す快感」みたいなものに目覚めてくれればもっと嬉しい。

 とはいえ、根本的にゲームへの参加スタンスがおかしい(って言っちゃうとまたダメなんだろうけど)人はやはりいて、例えば毎回むちゃくちゃ変な手を打ってみんなが困ったり困惑したりするのを楽しむ、という人はたまにいる。「いやー、別に自分、勝てなくてもいいんでw」という感じだ。ここまで来るともはや、そんな人を呼んだのが悪いということになってしまうのだけど、やっぱりこれも、その人が悪いというわけではないのだ。迷惑ではあるが、その人が悪いわけじゃない。非常に難しい話である。

 そんな人たちに私が言えるのは、「別にいいよw 私は勝つけどw」ぐらいなのかもしれない。

 ところで、前回「遊びプレイ」についてちょっと書いたが、もちろんこれは「勝ちを目指さない」場合の話で、一般的に「今回は○○戦略で行くぞー」ということはよくある話だと思う。「今回は役満しかあがらないぞー」の何が問題かというと、麻雀というゲームにおいてそれは普通、勝負のほとんどを運に任せるという意味になるからだ(と私は思う)。結局これは試合放棄宣言とさほど変わらない。バスケで3ポイントシュートがメインで狙われないのは、それが決まる確率が低いためだ。もしプロのバスケ選手が「今回は3ポイントしか狙いません。だって決まると気持ちいから」と言ったら、おいまてよと思れるんじゃなかろうか。もちろん何も知らない初心者が「役満だけを狙い続けたら勝てるんだろうか?」と考えてそれを試すというのはアリだ。というかそれは避けようが無い。しかし、いろいろやりつくしてしまって麻雀の多くを知ってしまった人間がそれを言うのは、ちょっと他プレイヤーへの配慮が足りないんじゃないか、ということである。とはいえ、そういうプレイが許される場は当然あると思うので、いろんなやり方でゲームを楽しんでもらえばいい、というのは、すでにさんざん書いたとおりだ。

 なんにせよ言えるのは、ゲームにおいて勝者が決まるには、一緒にプレイしてくれる仲間がいてこそ、だということだ。その感謝の気持ちを忘れないようにしたい。