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【8】まとめ2<ヨーロッパのダンスシーンから私たちが学び得ること> -ヨーロッパ視察06-07

<2>ヨーロッパのダンスシーンから私たちが学び得ること
 今回の旅を通して私は、現在ヨーロッパのダンスシーンがどういった状況にあり、またどうした理由によってそれが成立しているのか、自分なりに感じ、考えることが出来ました。そしてそのヨーロッパのシーンと日本のシーンを比較することで、日本のダンスが今後よりいっそう発展していくために、前者から多くのことを学び得ると気付きました。

 何よりもその国際的状況です。ヨーロッパは"ヨーロッパ"という巨大な一つの文化圏(及び政治圏)を成しているために余計ですが、ダンスのプログラムや、プロダクションにおける国際的状況は日常的風景です。アーティストは自分の作品が評価され受け入れられる場を探して幾つもの国のプログラムをリサーチします。ダンサーも興味や給与に応じて国家をまたいで様々な作品に出演したり、カンパニーを渡り歩いていきます(それ故に英語が「共通語」として使われているわけです)。カンパニーのリハーサルでは、ヨーロッパ、アフリカ、アジア、アメリカ、様々な地域・国のダンサーが一緒になって踊っていることを普通に見ることが出来ます。
 芸術というものは何か新しいものを創造する、つまり人が思索する1つのあり方/方法です。ですから文化や価値観の異なる人々との出会いを通じて、その思索をより深いものにすることが出来ます。例えば、今私たちは地球の裏側で起きていることをTVで簡単に見ることが出来ますが、その起きている出来事に対する解釈や批判・反省といったものは、実際に様々な人々との会話を通じてしか知り得ません。TVが伝えるものは既に誰かの目を通じて選ばれた(=制限された)ものだからです。現代において世界中で共通してどんな問題があり、その原因がどういったことで、どうすれば芸術がその問題に答え得るか。こうした芸術が取り組むべき課題は、人々との交流における、真にリアリティーある知的遭遇を繰り返すことで、ようやく探求していくことが出来ると思います。ヨーロッパの国際的状況は、アーティストにこうした機会を与え、結果として作品のクオリティーを高めることで、現在世界で最も注目されるシーンを築いているのでしょう。
 さらに、ヨーロッパでは若いアーティストにレジデンシーやファンドプログラムなど、様々な機会/資金サポートを積極的に与えています。作品のコンセプトやアーティストのモチベーションなどから読み取れる、今後の可能性を重要な選考ポイントとし、それまで既に得ている評価を日本程重く見ないプログラムが数多くあります。また日本のように詳細な予算書の提出を義務づけているところも殆どありません。もちろん1つの国で行われているプログラムの数が国によって限られていることもあるのですが、先程述べた開かれた国際的な状況が、「ヨーロッパ」という一つのネットワークを構築していてシーン全体での規模を大きなものにしているのです。それによって若い世代のアーティストが意欲的に作品を作り、新しい表現の可能性が次々に生まれています。加えてそうしたアーティスト、私と同じかより若い彼らの意識のレヴェルは非常に高い。強い責任感と、社会人としての自覚を持って、芸術的生活を送っています。フェスティバルやファンドプログラムをリサーチし、積極的にアプリケーションを出し、パーソナルコネクションを構築し…。まるで個人ビジネスマン/ウーマンの様です。彼らにとって芸術とは、日本においてしばしば見られる「趣味」(=社会の外)の世界にある何かではないのです。

 ではここで、日本の状況を見るとどうでしょうか。まず極めて閉鎖的です。おそらく90%を超える日本のカンパニーが日本人ダンサーだけで構成されているでしょう。また、いわゆるプラットホームプログラムを見ても外国人が参加していることは稀です。もちろん毎年のように様々な国際フェスティバルがあり、海外の大カンパニー/アーティストが日本を訪れることもしばしばです。しかしそこで行われていることは、主として出来上がった作品をそのまま上演するだけで、人と人が実際に交流したり、アーティストが現地で作品を作る(レジデンシー)といったことは殆どありません。そのため、日本へやってきたアーティストはフェスティバルが終れば風のように去っていくばかりです。さらに不思議なのが地理的に近いアジア各国のダンスアーティストとの交流が(もしかしたらアメリカやヨーロッパ諸国よりも)少ないことです。韓国、中国、フィリピン、インド、シンガポール、カンボジア…。私は今回の旅を通じてこうした国々のアーティストに出会い話をして初めて知ることばかりでした。ヨーロッパ人のダンサーに「アジアのシーンはどんな感じなの?」と聞かれて、即答出来ない自分を恥ずかしく思うことが幾度もありました。
 ファインアートやメディアアートのフィールドにおける、日本人現代芸術家の国際的交流は多く知られるようになりました。これに対しダンスの分野は正直まだまだであると思います。多くの日本人ダンサー/アーティストが日本を離れ、活躍していますが、彼らのほとんどが拠点を日本から移し、日本国内外にまたいで作品創作・発表を行っている人はまずいません(クリエイションのみを海外レジデンシーで行い、日本国内で発表するといういびつな構造をもった活動をしているアーティストも少なくないのですが)。日本のダンスシーンにおける閉鎖的な状況は、限られた日本人アーティストのみによって作品が創造されるため、流通する作品数が少なくなり、市場を小さい規模にとどめ、その中で活動するアーティストは、その小さい市場で流通すれば構わないという偏見と甘えを持つようになり、作品のクオリティーが低下していくというヨーロッパとは全く逆な悪循環さえ一部で生み出していると思います。
 そして、若いアーティストに対してのサポートは殆どありません。先にも述べましたが、文化庁のプログラムなどでは詳細な予算書が義務づけられ、まるで商業プログラムのように収支のバランスをみて実現の可能性を問われます(サポートがあれば実現できるのですが…)。また、わざわざ「受賞歴」欄を設け、これまでの経歴をあからさまに重んじることが少なくありません。そこにはヨーロッパのプログラムに見れた様な可能性(=長期的未来)へ投資をするという考え方がほぼ皆無であるといえると思います。失敗するリスクの少ない、既に評価の定まったアーティストにしか機会もお金も与えない。つまり、その公演、それが良いか悪いか、設けられるか否かというところで判断しようとしている。言い換えれば、今後の日本のコンテンポラリーダンス(パフォーミングアート、コンテンポラリーアートetc...)がどういった方向に行くべきかというヴィジョンを欠いている。ヴィジョンを持ち、未来を描き、発展していくためには、まだ青い芽に水をやらなければならないということは、ヨーロッパでの若手アーティストの活躍を見れば分かります。日本で胸を張って「プロフェッショナル」と言っている10代から20代のダンスアーティストがどれだけいることでしょう。フェスティバルやコンペティションなどでのアーティストに対するサポートも質が悪く、毎年行われている日本の某コンペティションでは交通費が全く出ないということを聞きました。韓国人の友達はそのコンペティションに参加するため、自腹で自分と3人のダンサーの旅費、宿泊費を払うことになったそうです。しかも結果は実らず…。こうしたことが日本の閉鎖的状況に拍車をかけているとも言えるわけです。
 日本のシーンがこうした状況である理由は、日本人一般の意識にも根ざしているでしょう。基本的に現代アート/アーティストに対して無理解。アーティストも社会を構成している一員だという意識がなく、いつまでもヤクザな商売として扱われがちです。さらには"ガイジン"差別。未だに日本では外国人と、同じ人間として向かい合うことに慣れていない人が少なくないと思います。少なくとも文化政策を行う人々とアーティストにおいてこうした認識が少しでも変わっていかなくては、ヨーロッパの様な開かれ、また若手アーティストが積極的に作品を作り出していく状況は生まれ得ないと思います。

 このように、日本のコンテンポラリーダンスを取り巻く状況は決して楽観できず、変えていく事も容易には思われません。しかしヨーロッパの現状に学び、根気よく取り組むことで、さらに今後の発展を望む事は不可能ではないと思います。最後に私なりに、具体的なレヴェルで、日本のシーンをさらに活性化していくために次の様なことを提案させて頂きます。まずヨーロッパのように若いアーティストが支援を受けられるプログラムを拡充すること。極端なことを言えば、文化庁など大きなプログラムに1,000万円与える変わりに、200人の若手アーティストに5万円ずつ渡してもいいと思います。5万あればギャラリーなりクラブなりが少なくとも1晩か2晩借りられるでしょう。年間に200個のダンスパフォーマンスがこれで出来るわけです。次に国際ネットワークの構築。せっかく近いアジア各国ともっと積極的に交流を行い、ヨーロッパのように一つの市場になれば、様々な機会や、サポートプログラムに触れ得るチャンスが増えるでしょう。また単に作品の実現可能性が増えるばかりでなく、アーティストが様々な価値観/意見との出会えるようになり、日本の舞踊作品全体のクオリティーはより高まることになると思います。