Hajime Fujita : Texts

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【6】Wien滞在 -ヨーロッパ視察06-07

<1>ドイツ語学習
 ワルサワでのPointe to Pointプログラムを終えて、私は再びWienへと向かいました。それは、Wienでドイツ語の学習をしたかったからです。私はそれまで、danceWEBを含めてWienに3度足を運んでおり、街の雰囲気や、コンテンポラリーアート・ダンスに対する積極的なシーンの状況にとても魅入られていました。そこで、単にそれを外側から眺めるだけでなく、今後(それはおそらくとても長い時間がかかるでしょうが)ウィーンのアートシーンにより深く関わっていきたいという考え、そのためにドイツ語を学ぼうと決意しました。
 日本では、ドイツ語について、基本的な単語や文法のうち、少しばかりを学んだだけで、特にその発音についての知識は殆どありませんでした。そこで、ドイツ語学校にて最も基本的なクラスを受講することにしました。
 学校は、アムステルダム滞在中にインターネットで最も経済的な授業を提供している場所を調べ、電話にて申し込みをしました。Wien中心部、ナッシュマルクト(市場)のそばにあるDeutsch Instituteという私立学校です。授業は月曜から金曜日の15:15~18:00で、途中15分館の休憩が挟まれます。ナッシュマルクトのそばということで、生徒にはトルコの方が多く(オーストリアはかつてトルコ移民をよく受け入れた時期があり、現在もたくさんnの人々が暮らしています。特にナッシュマルクトは、こうしたトルコ移民の方々が大変多く働いています。)、その他にパキスタン、タイ、ポーランド、ナイジェリアの方などがいました。1クラス12~13人程度の人数です。年齢は私が唯一の20代、あとは30代、40代の方々でした。既に仕事を持ち、定住や、引き続きオーストリアで働いていくためにより流暢なドイツ語を身につけたいという方が来ているという印象でした(タイ人の生徒さんが少し喋れる以外、英語を喋る方は誰もいなかったので、直接細かい話を伺うことができませんでした。)。
 先生は20代後半か30代前半と思われるような若い男性でした。かなりしっかりとした英語を喋られる方で、質問がある時は苦労せず聞くことができました(クラスは全てドイツ語で行われます)。とても優しく、クラスの中で最もドイツ語学習が少なく苦労している私を、いつも良く励ましてくれました。
 授業は教材(テキスト)に沿って進められ、日本のドイツ語教材のように、文法事項を順繰りに教えられるのではなく、中学校で行われる最初の英語授業のように、基本的な会話表現から入り、そのために必要な文法を少しずつ解説していくという形でした。
 ウィーンの人は、特に若い人は、基本的な英語を大概の人が喋られるので、例えばカフェでコーヒーを飲んだり買い物をしたり、道を尋ねると言ったことは、英語だけで殆ど問題なく行えます。そのために、学校で学習する以前は、進んでドイツ語を話そうということはあまりしていませんでした。けれども少しずつ授業で簡単な表現に慣れるにつれ、積極的に覚えたことを使ってみるようにしていきました。海外での語学留学の利点など考えたことがありませんでしたが、なるほど現地にいれば学んだことをすぐに実践し確かめることができますし、そうして自分の言葉が伝わった時の喜びは、何よりも学習の励ましとなることが分かりました。
 一ヶ月半という期間では、とてもまともに会話出来る程にはなりませんでしたが、そこで学んだことがしっかりと身に付き、今後も学習を続けていけるという自信を得ることができました。

<2>イニャーキ・アズピラーガ ワークショップ受講
 また12月にはイニャーキ・アズピラーガのワークショップを受講しました。2週間のプログラムで、月~土曜日の10:00~12:00まで行われました。彼は大変有名なベルギーのカンパニー、ウルティマベズで振付けアシスタントとして活動していますが、また先生としても大変有名で、私が旅の途中会った誰もが彼のことを知っており、ヨーロッパのコンテンポラリーダンサーのほとんどが、一度は彼のワークショップをとったことがあるのではと思える程です。フロアを積極的に使った、一見暴力的ともいえる非常に激しい運動で有名です。
 私が受講した際は、1日の授業(2時間)をほぼ4パートに分けて構成していました。各々のパートについて簡単に解説します。㈰呼吸と運動の同期:まず直立して呼吸を意識的に落ち着かせます。次に、その呼吸の、吸う・吐くというリズムに会わせて、立つ→しゃがむ→四つん這いになる→しゃがむ→立つという運動を繰り返します。その後に展開していく全ての運動のためのいわば準備運動です。また、その他に簡単なストレッチなどを行うこともありました。㈪マテリアルの練習:この後のコンビネーションを行っていくのに必要な運動のマテリアル(一つのユニットとして分け得る最小限のシークエンス)をイニャーキが紹介し、それを集中的に練習します。例えば上半身から前方向に床に入る運動。両手、肘から手首までをまず床にその間隔をかなり狭めてパラレルに置き、そこに次第に体重をかけ、胸部の負担を軽減させます。このとき、体重がかかってくるにつれて、拳を握り、肘を身体の中心へと引き寄せるようにすることで、よりそのダメージを分散させることが出来、スムーズな運動になります。或は床に仰向けになっている状態で、足を蹴り飛ばし、身体の向きを180°回転させます。つまり、頭と足の一を入れ替えます。足を思い切り蹴り飛ばし、てなどでブレーキをかけずに、躊躇なく上半身をそれに従わせます。こうした運動はウルティマベズなどの活動を通じてイニャーキ自身が作り出してきた独特な運動です。ですから、コンビネーションで一連の振付けにおいて踊る前に、ダンサーに各々の運動がどうやった仕組みで実現し得るのか詳説するわけです。㈫コンビネーション1:㈪で取り組んだ運動を使い、フロアワークを中心とした振付けに取り組みます。このあと、ストレッチをブレイクとして少し行います。㈬コンビネーション2:㈫とは異なり、フロアワークはあまり使わず、スタンディングポジションでの運動、ジャンプや旋回などを中心とした振付けを練習します。コンビネーション1、2共、特徴はテンポが早く大変情熱的で、時々には暴力的とも言えるイメージが挿入されます。
 とにかく先生は始終熱のこもった指導をされる方で、生徒が見るからにやる気を見せない時は遠慮なく起こられます。逆に精一杯取り組んでいるダンサーには、彼・彼女が出来ていない箇所を見れば、それを懇切丁寧に教えて下さいます。コンビネーションの練習の際は、アップテンポな曲がかけられ、音楽がかかっている間ダンサーたちは止まることなく踊り続けなくてはなりません。友人から聞いた話では、あるワークショップでコンビネーションの時に生徒達がなかなか踊ろうとしなかったため、大変激昂されたことがあるそうです。最近のコンテンポラリーダンスでは、クラス中いつも穏やかな雰囲気で、生徒がクラスの内容に参加出来ないと感じれば、自由に見学することを簡単に許すワークショップが多いのですが、そうした中でイニャーキのワークショップはユニークです。それは、例えばイニャーキと並んで有名なデヴィッドザンブラノ(後のAngers滞在で触れます)が積極的に自分の作品を発表しているのとは違い、現役のダンサーを既に退き、人にものを伝えることのみに専念している真剣さの現れなのだと思います。だから、その真剣さに心打たれ、彼を慕うダンサーがヨーロッパ中にいるのだと思います。彼の人気がある理由は、単に教えているテクニックの素晴らしさだけではないでしょう。
 尚、クラスは、Tanzquartier Wien(略称TQW)にて受講しました。Tanzquartierはウィーンで最も大きな、またヨーロッパでも最大級のモダンアート・コンテンポラリーアートミュージアム、劇場私設などの合わさった、巨大文化施設Museumsquartier(略称MQ)内にあり、コンテンポラリーダンスの普及発展を趣旨として、レジデンシープログラム、パフォーマンスプロダクション、ワークショップなどを行っています。専用のオフィス、スタジオを持つとともに、パフォーマンスはMuseumsQutilier内のArt Theater Wien、Halle Gにて優先的、定期的に催され、月に5~6本のコンテンポラリーダンス作品を上演しています。時には、MQの広大な敷地を使っての野外パフォーマンスや、スタジオでのイベントなども行っています。スカラーシップ生の制度ももっており、一年に一人が選ばれ、全てのワークショップ受講が無料になるとともに、ウィーン屋その他のコンテンポラリーダンスシーンへのアクセスを優先的に紹介されます。2008年度のオーディションは2007年末でした。また、プロフェッショナルダンサーも優遇され、その資格を証明することが出来れば、ワークショップを40%off、パフォーマンスも15%offでみることができるTQ Cardを格安で購入することが出来ます。一年用と一ヶ月用があり、私も滞在中に一ヶ月のカードを購入しました。

<3>Wien滞在の感想
 一ヶ月半に及ぶウィーン滞在は、私にとってそれまで夢見ていた時間で、何よりドイツ語学習を始めることが出来ましたし、まるで満足出来る日々になるはずでした。しかし残念ながら、このウィーン滞在中の後半、ルームメイトとトラブルがあり、大変辛い経験を味わいました。私はウィーンに住む友人が丁度NYへ仕事で出ているということで、彼女の家を又借りすることにしました。ですから、ルームメイトと言ってもいわば友人の友人ということで、正直彼らとのコミュニケーションにあまり不安は感じていませんでした。ところが、残念なことに思った通りにことは運びませんでした。プライヴェートなことも絡みますので、具体的な記述はさけますが、ともかく僕はその部屋を、一月には出ざる負えなくなりました。海外に暮らしながらこうした状況に陥った際の困難(例えば日本であればたくさんの友人や家族に助けをすぐに超えるのですが)を味わったのは言うまでもありませんが、彼らの私への接し方に、絶望的ともいえるほど、大変に心を痛めました。やや抽象的な記述になってしまいますが、私が何を感じ、苦しんだのか、書いていきたいと思います。
 彼らは、彼らの考え方を主張する時、彼らの論理や価値観に即して話し、それ以外の出来事を全く認めようとしませんでした。言い換えれば、私と話しているのに、そこにいる私でなくて、彼らが既定している(つまりかなり限定された像としての)私(彼らによって既定されている時点でもう現前している私ではないのですが)に話している。もちろん私たちの志向には文化や歴史などと言った多様な影響があるのですが、かといって通常の会話に於いて、そのいずれか一つだけに基づいて他者を捉えるということはあり得ないのです。それ以前に、私たちは今そこで生起している他者(のパロール)を必ず通過することなしでは彼・彼女に出会うことは出来ません。つまり、会話に於いて私たちは常に他者を更新し続けているわけです(=他者はそこで常に生まれ続けているのです)。ところが私のルームメイトだった彼らは、そんな当たり前の行為があたかもあり得ない様な仕方(=見て見ぬふり)で私に向き合おうとしていたのです。
 私は近年、様々な今日の問題の原因を、人と人が向かい合う場、関係性が生起するそこで、他者を自分の中で限定的に生きる存在としての自他ではなく、まさに他者(自己の外部であり内部である様な、まさに生きた存在)として捉えようとしていない姿勢があるからだと考えてきました。他者への非理解を、彼・彼女を自他の領域へと幽閉する正当な理由でもあるかの様にして振る舞い起きたのが、例えばイラク戦争であると私は思っているのです。ですから、どうしたら一部の人々に於けるそうしたありかたを変えることが出来るのか、私なりに必死に探ってきました。もちろんその成果としての作品もありますが、それ以上に、自分自身が誰かと面と向かい合う時に、お互いに積極的に接する方法、まさにこの会話の起こるその場面での私の望むべきありかたを探し続けてきました。そして、いくつかの手法については、少しばかりは自信を持ち得る手触りがあったのです。ところが、ルームメイトである彼らには、そうした私が探り、ある程度可能性を感じていたありかたは、全く持って有効ではなかったのです。いわば彼らによって、私が人と積極的に向き合うに必要な手がかりを全て否定された様でした。
 ただまた同時に、このことによって、自分が取り組んできた問題が、いかに重要であるか再確認し、今後もこの問題について考え続けていく必要性を覚えました。まさに今、こうした、人が他者と実際に面と向かい合うその瞬間にいかにポジティヴィティを展開しうるかということは、より切迫した課題であると感じました。