人間を救う業は、万物創造の業と対比することができます。 神の子が、神としての栄光の存在を捨て無なる人間の姿をとり十字架のあがないを成し遂げたのです。神の子は、天の父と聖霊とともに超越した存在です。 天使ガブリエルは、ナザレの町の処女マリアにマリアが孕んで男の子を生むことを伝えました。神の子がマリアの胎内から生まれます。イエスと名付けなさい。「救い」という意味です。イエスはやがてダビデの王となり、イスラエル民族のための永遠の神の国が到来するでしょう。 現代的にいえばマリアは代理出産で神の子を産んだのです。エマニエルの祝福をマリアは受けました。神 が人間と共に住むこと、これは万物創造の目的と一致します。 キ リストは、神の持つ永遠の命、聖にして義なる存在、栄光に輝く存在を捨てて人間になったのです。弱い肉体をまとった無なる者、見ることも聞くことも語ることも判断することもできない。自分の力では生きることさえもできない最も弱い胚子となったのです。そして聖霊がその胚子をマリアの胎内に移したのです。 当時、救い主はダビデの子孫から生まれると預言されていました。しかしこれは、救い主がダビデの血筋を受け継がなければならないということではありません。ヨセフもマリヤも共に、ダビデの子孫でした。つまりイエスはダビデの家系の中で人間となったのである。 も しイエスがダビデの子孫であったら、アダムとイブの子孫ということになります。しかしアダムには原罪があったので、イエスが罪なき者でなくなってしまいます。 救 い主イエスキリストは、アダムとイブの子孫を救うために人間として生誕しました。神は人間となったが罪人ではありません。なぜなら罪があるものが他の罪人をあがなうことはできないからです。 |

マタイ 1:18
イエス・キリストの誕生は次のようであった。その母マリヤはヨセフの妻と決まっていたが、ふたりがまだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重になったことがわかった。
マタイ 1:19
夫のヨセフは正しい人であって、彼女をさらし者にはしたくなかったので、内密に去らせようと決めた。
マタイ 1:20
彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現われて言った。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。
マタイ 1:21
マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」
マタイ 1:22
このすべての出来事は、主が預言者を通して言われた事が成就するためであった。
マタイ 1:23
「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)
マタイ 1:24
ヨセフは眠りからさめ、主の使いに命じられたとおりにして、その妻を迎え入れ、
マタイ 1:25
そして、子どもが生まれるまで彼女を知ることがなく、その子どもの名をイエスとつけた。
カトリックでは、ここに出てくる女は聖母マリアと解釈するそうです。
黙示録 12:1
また、巨大なしるしが天に現われた。ひとりの女が太陽を着て、月を足の下に踏み、頭には十二の星の冠をかぶっていた。
黙示録 12:2
この女は、みごもっていたが、産みの苦しみと痛みのために、叫び声をあげた。
黙示録 12:3
また、別のしるしが天に現われた。見よ。大きな赤い竜である。七つの頭と十本の角とを持ち、その頭には七つの冠をかぶっていた。
黙示録 12:4
その尾は、天の星の三分の一を引き寄せると、それらを地上に投げた。また、竜は子を産もうとしている女の前に立っていた。彼女が子を産んだとき、その子を食い尽くすためであった。
黙示録 12:5
女は男の子を産んだ。この子は、鉄の杖をもって、すべての国々の民を牧するはずである。その子は神のみもと、その御座に引き上げられた。
黙示録 12:6
女は荒野に逃げた。そこには、千二百六十日の間彼女を養うために、神によって備えられた場所があった。