JET Essay by Dougal Phillips
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Preface to JET Essay

呼吸して国際化

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呼吸して国際化

  外国語でエッセイを書くほど頭を絞るものはない。私は2003年7月までの2年間、メルボルン発行の日本語雑誌に月一回、「以心伝心豪州版」という連載を書く度につくづく思った。日本語に対する劣等感とせめぎ合いながら、あえて書き続けたのはファンからのメールを読むと日本人の視野を少しでも広げて来ていることを垣間見ることができたからだ。私はとっくに国際化の虜になっていたが、JETプログラムの下で岐阜県に来ることになった時、連載の満足感と実績を今度は仕事の面で活かせるチャンスだ、とうきうきしていた。
  国際交流員として岐阜県庁に就いた初日から、回覧という津波に溺れそうになった。上司には岐阜県について勉強するように言われたので、とにかくひたすら読んでいた。しかし、国際化に一目惚れしてしまった私はどちらかというと岐阜県民に直接貢献できる仕事がしたかった。公務員に囲まれるのではなく、街に出て一般市民と触れ合い、演台に立ってスピーチをし、県の政策作成者に外国人の声を聞いてもらいたかった。岐阜県の知識については白紙状態であったが、回覧ばかり読んでいても国際化の時間が縮まり、仕事の低効率に罪悪感が増してくるだけだった。同時に、日本人の仕事振りにも不満を持つようになった。雑談が多く、残業も果てしない。オーストラリアの就業慣行を取り入れられればいいのに、と頻繁に思った。
  この頃、私のチームは猫の手を借りたいほど忙しかった。仕事の分量を少しでも減らしてあげたいと思い、仕事を回してくれるよう頼んでみたところ、JETの業務を任されてしまった。がっかりしたのを抑えながら、国際室からの通知を関係者に送るという仕事に取り掛かった。だんだんこれにも慣れてしまい、気がつくと11月頃には手がすっかり空いてしまっていた。しかし、ばたばたしているせいか、チームのメンバーはこれ以上仕事を回す余裕がなく、私は暇のまま不満が募るだけだった。11月の終わり頃、再契約しない旨を上司に告げた。再契約の意志を伝えるには2ヶ月ほど早すぎる時期だったが、今の仕事に一年以上我慢できないのは明らかだった。
  12月の中旬に 国際交流員の中間研修に参加した。私にとっては待ちに待った愚痴こぼし合い大会だった。仕事に対する苦情を思いっきり吐いたが、話しても話しても不満が消えないという捻くれた自分に少々がっかりした。やっと落ち着きが見えた頃、異文化コミュニケーションの分科会に臨んだ。講師は高文脈文化と低文脈文化との違いについて説明した。日本のような高文脈文化では非言語コミュニケーションが重視されるのに対して低文脈文化では自分の意思や疑問などをきちんと正確な言葉にしないと気がすまないという内容だった。私はつい照れ笑いした。自分がいかに低文脈文化の枠に当てはまったのかを、言われた瞬間に悟ってしまったのだ。仕事の不満は様々だったが、一番いらいらしていたのは説明のなさ過ぎだった。
  翌日職場に現れた私は、今度こそ非言語のメッセージは見逃せないと決心していた。最初耳にしたのはチーフが問い合わせに対応した時の言葉遣いだった。さっそく聞いたのを書き止めようとした。チーフが電話を切ると私は書いていたメモを整理しながらその言い回しを暗記しようとした。そのままチームのメンバーの身振り手振りを物真似するまま、1月が終わろうとしていた。2月の大イベントが迫ってくると上司はぴりぴりしており、他のチームのメンバーもポスター作りのために徹夜したり、資料作成に没頭したりして多忙だった。この騒がしさの中、ある日、電話が鳴った。私は間髪を入れずに受話器を取ると、それまでは他のメンバーに回していたIT研修の件だった。上司に合図を求めたが、集中のあまり、電話が鳴ったことにさえ気づいていない。私は思い切って対応することにした。すると、それまで口パクしていたチーフの言葉が滑らかに自分の口から出た。受話器を戻し、席に座ると、上司は見上げ、「勉強になっているね」と目を細めた。
  日本人社会に漂っている阿吽の呼吸に目を向けた時から、視野が広がると同時に仕事が楽しくなった。チーフに電話の留守番を任されたり、海外の提携先からの提案について上司がアドバイスを求めてきたり、同僚に頼りにされて嬉しい。岐阜に来たばかりの私のように、人間はなぜ自分が置かれた外国をつい自分の母国に照らし合わせたがるのだろう。斬新なものを自分の文化の理屈で処理しようとするのだが、理性を通して異文化に接すること自体無理があると思う。今回日本に来て、文化は頭で理解するものではなく、そのまま受け入れて初めてわかるものだということに気付いた。自分の一部が日本人になったとかいう大げさな話ではない。私が素直に受け入れた日本人に国際化されただけなのだ。