羽島賢一

羽島賢一近作集 その一

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羽島賢一近作集その二

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羽島賢一高校ならびに大学時代の写真生活

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  • 高校時代の思い出は写真部が全てであった。顧問の新貢治先生宅での飲み会、写真を撮り、語りあった西宮正明君の存在、誠に有意義な三年間であった。(作品01~06)
    西宮君はその後写真の道に進み、商業写真の先駆者となり日本広告写真家協会会長まで勤めた。自分の不注意でミノルタフレックスを盗まれ、大学入学時には携 行できるサイズの写真機は無く、木造で大型のソルントンフレックスしか持っていなかったので、やむを得ず人物や静物写真ばかり撮っていた。(作品 04~07モデルは高校のクラスメートのK嬢、後のO大蔵事務次官夫人)1年生の三商大写真展には高校時代に昇仙峡で撮った作品を出展した。

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  • 大学の写真部では、Q森正之・W佐藤昭一・N宮本厚・T大淵敬信・T佐藤絢一郎の諸兄と競い合った。(作品 08)写真部では事あるごとに安酒を飲んでは英気を養った。当時、写真は道楽と言われたように、常に懐具合との格闘であった。商業写真家ととして独立した ばかりの西宮君と組んで、ファッション系の写真を撮ってはお金を稼いでいた。(作品09)

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  • 西宮君の影響を受け、ポートレイトや造形的な写真を得意としていたのだが、当時の写真界のメイン・ストリー ムは「絶対非演出の絶対スナップ」「モチーフとカメラの直結」を標榜する土門拳の社会的リアリズムであった。当然の如く、学生写真界もこの潮流に押し流さ れた。私も風景や造形的な作品からリアリズム写真を撮ることになって行った。(作品11~17)私は土門拳流の乞食写真よりも、木村伊兵衛や浜谷浩流のド キュメント作品に惹かれた。(作品16~17)
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