下條剛一

下條剛一 脳梗塞回復記 2010.7.7水

  • ――去る4月15日のミニクラス会での小生の近況報告で「先週退院」とありましたが、実は脳梗塞を発症し、緊急入院して一日12時間の点滴を一週間続けて回復し、4月13日に退院した次第です。
    現在、ほんの僅か呂律が回らなかったり、右腕に脱力感を感ずる様な後遺症がありますが、幸い発見が早かったせいか、重度の障害に至らず、再発という爆弾を 抱えながらも何とか小康状態を保っている状態です。人間 75才位は体力の節目で、何処かにガタが来るのかなとつくづく感じ入っている此の頃ですが皆さん の長生の参考になればと一筆記します。―――
  • 十五年前に老衰で他界した父親は享年89歳だったし、母親は今秋100歳になるので、小生は、まあ長生きの方かなと勝手に判断。
    30年来の痛風でかかり付けの医者による3ヵ月毎の血液検査も中性脂肪・高脂血症・HDL値が若干高い他は、ほぼ正常。昨年2月港区のメタボ対策講習会を 受講し、まじめに対応した結果、半年後には72kg→67kg 92cm→86cmと一応の成果を収め、血圧も130~80で、まあ健康の部類に入ると 思っていた。
    唯一の気懸りは、母系にガンが多いので、ガンに罹らぬよう、又、糖尿病に罹らぬよう食事・運動に注意、ガン保険にも加入し、一応の対策はとっていた積もりであったが伏兵にやられた。
  • 今までは対岸の火事か、他人事だと思っていたのが、まさに晴天の霹靂だった。
  • 今年正月中旬に、歩道橋階段の下りで、あと5~6段という所で転落、そのまま自転車を運転、又横転して左手首を骨折。
    丁度それが直りかけた頃の3月末に又々、交差点で停車中の自転車で横転して左膝の靭帯を損傷。
    後から考えると、この連続事故は、次に来る脳梗塞の前触れだったかも知れない。
  • 四月早々、突然、微かに呂律が回らなくなり、微かに右腕・右指に脱力感を感じ、満足に字を書くことが出来なくなった。
    急遽、近くの日赤医療センターに駆け込み、緊急でMRI検査の結果、脳梗塞と診断された。
    発症前後の状況を、日記風に書くとこうなる。

3月29日(月)

  • 渋谷の國學院大學前の交差点で自転車を止めた時、弾みで左に横転、左膝・靭帯を強打。
    (3ヶ月過ぎた今でも未だ、左足を充分に曲げられず蹲踞が出来ない。)
    バランス感覚に問題があったのかも知れない。
  • これが発症第1日目と言うか、発症の伏線だったのではないかと思う。

3月 30日(火)

  • 朝、何となく頭が重い感じのため、妻が常用中の血圧計で計ったら162-100と出た。
    週に一回通うスポーツクラブでの血圧は、高い方120~130。
    高くても140位だったから、驚いたが、2~3時間後の測ったら130台に落ちたので気に留めずにいた。

4月1日(木)

  • 孫へのバースデイ・カードを書こうとして、ボールペンを握ったが、力が抜け、確りと字が書けず、無理して書くと、字が丸くなってだんだん小さくなるので、封筒の宛名書きは、妻に頼まざるを得なかった。

4月2日(金)

  • 偶々、一月に骨折した左手首の最終診察日だったので、ついでに同じ病院(日赤医療センター)の脳外科で診断を受けた。
    診察は先ず、目をつぶって、右指・左指で交互に鼻の頭に触れる動作を遣らされたあと、翌週、CTスキャンとMRIの検査を受けることになった。この時点では、ことの緊急性は不明であった。

4月4日(日)

  • 何時も自分が運転するのに、何となく運転に不安を感じ妻に運転してもらって、川崎に住む次男の家を訪れたが、次男は、私の顔をみるなり、「お父さん!口が曲がっていておかしいぞ!」と言った。

4月5日(月)

  • 朝、立ったままズボンを履こうとして、左足の先がズボンに引っかかり、バランスを崩して横転。
    妻曰く「これはおかしい。脳の検査までに二・三日あるけれど直ぐ病院に行くべきだ。」
  • 予約はなかったが、緊急で診断を依頼。金曜のドクター(以下DR)とは別のDRであったが、彼は即座に検査を前倒した。
    その結果、CTスキャンと頚動脈超音波検査では異常はなかったが、MRIで左脳下部に2~3ミリの小さな血栓が発見され、脳梗塞 詳しくは 脳幹梗塞と診断された。
  • この血栓は、小脳の下、延髄の近く見つかった。
    切開手術でもして、その血栓を削除出来ないものかと無謀な質問をしたら、DRは直ちに「とんでもない! そんな事をしたら、一巻の終わりだ。」と答えた。
  • では。どんな処置が必要かとの質問に、DRは、この血栓とその先の細胞は死滅しているから、後は、又血栓が出来ないように、血液をさらさらにする薬を服用することと言った。
    薬の名は、バイ・アスピリン、つまり血小板凝固抑制剤であった。
  • DRは、「一週間くらい入院して点滴するか、自宅で様子をみますか」と言った。緊急を要する筈なのに、そんな悠長なことでいいのか、或いは、もう 取り返しがつかないので、自宅で残る人生を味わって欲しいという意味なのか、迷ったが、正直な所、「入院」と言う言葉に拒絶反応してしまった。
  • そこで、事態が急変したら即入院という条件で、前述のバイ・アスピリンを貰って、一旦家に帰った。
    (後で判ったことだが、DRの考えは、発症して一週間くらい経っていて、状態が安定していたから、即入院しても、一旦帰宅し様子を見ても同じと考えていた様だ。) 
  • 夕方外出から帰った妻は、「今日、自分の主治医にあなたの事を訊いたら、脳の病は一刻一秒を争うものだから、暢気なことを言っている場合ではないと叱咤されたから、明日は絶対入院すべきだ。」と強い口調で主張。

4月6日(火)

  • 朝一番で、昨日のDRに緊急連絡し、入院治療のお願いをする。
    ところが、大部屋(4人部屋)の空きがなく、止む無く取敢えず個人部屋に入る。
  • 色々とこまかい手続きの末、個室に入ったのは午後3時。
    ホテルの部屋と紛うばかりのきれいな病室。
    婦長・担当看護師が挨拶に来る、続いて別の看護師が体温・血圧測定、入浴指示。
    掃除婦が床の清掃などで入れ替わりに、入って来てやっと落ち着いたのが5時。
  • それから愈々点滴開始。
    低分子デキストリンL注500mgをゆっくり時間を掛けて12時間点滴。終わったのは、翌朝5時だった。

4月7日(水)

  • 処置のせいか、症状は落ち着いてきて、呂律の回らなさ、右手の脱力感が和らいだ。
    昨日と同様の点滴を 朝10時から夜の10時まで実施。
    点滴中も、病室でTV・携帯電話・パソコンの使用は可能であったが、大半は、読書との天井との睨めっこであった。
    (睨めっこの結果は後述)
  • 一時、TVの画像が、若干二重写し的にみえたが、これも脳梗の一つの症状で、直ぐ消えた。

4月8日(木)から12日(月)の五日間は症状が安定していた。

  • 毎日、点滴朝10時から夜10時まで実施。
    トイレへ、面会ロビーへは点滴スタンドを手で支えて持ち運ぶ遣り方で移動出来た。

4月10日(土)

  • 大部屋に空きが出たので移動。
    因みに、病室の差額ベッド代は、個室\29,500./日、4人室窓側\2,100./日。 
  • 随分と落差の大きい料金システムであった。
    この間、担当DRは、朝夕二度の回診。
    多忙の身ながら懸命の尽力に感謝。
  • 又、交代制とは言え、昼夜を問わぬ患者の面倒をみる看護師の労働環境の厳しさを痛感した。

4月13日(火)

  • 症状が落着き退院。
    大げさだが生還して帰宅できた。うれしかった。
    生還のキーワードは何と言っても「早期発見」である。

  • 以後は、毎朝 バイ・アスピリン100mgを1錠服用する他は特に治療処置はなく、アルコール、運動、旅行なども原則OKで、平常状態に戻っている。
    あとは3ヶ月毎の診察、半年~1年毎のMRI検査という定期検査が予定されているのみである。
  • 再発予防の為、痛風で掛り付けの医者と相談、血中コレステロールを下げる薬ゼチーア10mgを服用することにしている。
    又、自衛手段として、甘いもの、脂っこいものは意識して以前の半分以下に抑えている。
    ( 全く食わない方が良いかどうかは未詳 )

退院から3ヶ月近く経過、6月末には医者の許可を得て念願のロシア旅行が叶った。

  • サンクト・ペテルブルクのエルミタージュ美術館の膨大なコレクションや古都の重厚な佇まいに圧倒されながら、無事帰国出来た。
    目下、一応 元の生活ペースに戻って、通常のペースで生活できる喜びを噛み締めている。

以上が私の脳梗塞発症顛末記だが、点滴中は天井と睨めっこの時間が多く、病気について考えた。

  • 闘病生活とか、病魔に打ち勝つと言った表現は何とも逞しく勇ましいし、対決の姿勢は悪くはないが、敵は簡単に打ち負かされるほど柔ではない。いや病気と言うものはなくならない。
  • 対決姿勢や闘う気力は必要かもしれないが、病魔が余り悪さをしない様、宥めなだめて、病魔と共に生きるという姿勢のほうが 必要なのではないかと思うようになった。
    相手の存在を謙虚に受止めて、腰をすえて相手を見据え、相手と平衡状態を保つのが肝要ではないのか。
    そう思って、退院後、新聞を見ていたら、あの免疫学者多田富雄氏が、生前同じ様なお考えを持って居られた記事を見て、わが意を得たりと合点した。
  • 相当飛躍すると、核廃絶は理想だが、核兵器との共存、つまり核の存在を前提とし、核兵器が使われないような平衡状態を保持するよう努力する方が、現実対処方法であるとの考え方と一脈通ずるものであるのではなかろうか。

    以 上

林祐三君メール<転載承諾済> 

  • 下条兄の回復記QOLを損なわず、後遺症なく回復されて良かったですね。

    一度脳梗塞をやりますと再発率30%(但しアメリカの場合)と高く、くれぐれも再発予防に万全の御留意願いたく。

  • 私のアメリカ人の若い友人はもう3回再発を繰り返しております。
    私は再発したらもう年齢的にヤバイよといわれてますので、血圧の完全管理、ダイオバンの生涯服用、小児用アスピリン81mgの服用を続けています。
    又コレステロール値などの3ヶ月毎血液検査も実施しています。
  • 小生の場合は発症が2002年2月で偶々日本出張中に起こり飯田橋警察病院に入院治療しましたが手当ては非 常に早かったのですが、残念ながら当時日本ではtPAという最新の遺伝子工学技術により米国で開発された血栓溶解剤が厚生省がtPAの使用を認可しておら ず、EDRABONEという脳保護剤の点滴だけで、結果後遺症が残り右半身不随となり、今日に至っております。

  • 当時アメリカで発症していればtPAが使用されていた可能性高く真に恨めしいかぎりです。
    後遺症は運動機能だけじゃなく、脳を中心に色々影響ありますからQOLなどメチャクチャになります。

  • tPAは実に素晴らしい薬ですが早期たとえば発症後8時間以内(現実的に発症時間を特定するのは難しい)と言うことで、血栓が固まってしまって tPAをやると血管を破って大出血起したり、又tPAは脳だけではなく全身のあらゆる血管に効きますから非常に危険な薬でもあるわけです。
    厚生省が躊躇したのも分かりますね。
    動脈硬化箇所が重篤だったらどうなるのか?  

  • 特に高齢者は要注意です。
    疑わしいと思ったら夜中でも救急車を呼び、即刻病院救急科に行くこと。
    我が家では、日ごろ行くべき病院をカードにしています。

  • しかし下條兄の場合、現段階ではtPAの処置臨床数も日本では格段に増えており安全性のチェックもすすんでいると思われますので、幸いでした。
    当地でもtPA普及最初のころは厳しく発症後3時間内といわれ、私が後遺症治療に通っていたリハビリ病院ではtPAを打ってもらえなくて重篤な後遺症になった人たちが可なりいました。
    当時普及率10%といわれていた。現在75-80%位といわれています。

  • 患者に“貴方は発症後3時間以内ですか”と聞いて答えられる人先ずいないと思いますが、それでも断言できる人が10%いたんですね。
    それとも医者様がいい加減なんだろうか。

林祐三



オペラ「椿姫」に出演(下條剛一)・・・平成22(2010)年2月11日

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  • 平成22年2月11日の港区文化芸術フェスティバル・オペラ「椿姫」(芝・メルパルクホール)にて

出演 松原有奈(ヴィオレッタ)、経種廉彦(アルフレード)、今村雅彦(ジェルモン)、西けい子(アンニーナ)、澤田薫(ガストーネ子爵)ほか
音楽監督:北村晶子、演出:大石泰(東京藝術大学演奏芸術センター准教授)、合唱指揮:苫米地英一、進行管理:沖野尊、衣裳:江良智美(東京服飾専門学校非常勤講師)、制作:金子哲理(ソナーレ・アートオフィス)